迫り来る認知症の恐怖 | tokaiama20のブログ

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 前回のブログ、「地方が消えてしまう」のなかで、70歳過ぎの老人の運転免許更新で更新率が3割程度しかないと書いたが、これは間違いだったので訂正します。
 実際には、更新率は8割程度とのこと(地域によって異なる)。無責任な情報を書いたことをお詫びします。

 新しく導入された70歳以上の運転免許更新検査には、70~74歳までと、75歳以上の後期高齢者更新手続きの二種類が新設された。70才以上では「運転講習」が必要になった。これは試験コースを走行する実地運転テストが含まれている。

 内容は「座学」「運転適性検査」「実車指導」で、普通自動車対応免許を更新する方は3つとも受ける必要がある。 所要時間は2時間ほどで手数料は6,450円。 原付、二輪、小特、大特のみの免許を更新する方、運転技能検査を受けた方は実車指導がなく、所要時間は約1時間で手数料は2,900円。(2022/09/21)
 「高齢者講習義務」は、免許更新日の6ヶ月前から更新日までの間なので、この講習を受けていないと、免許更新が拒否されることになる。

 これにプラスして更新手数料、2500~3850円がかかるので、全部で1万円以上と交通費ということになる。私のような低年金老人にとっては、きつい負担だ。また老人にとって非常に複雑な手続きも、免許更新に高い壁を作っている。
 新設された「高齢者講習」の全貌は、以下の動画がわかりやすい。

 2023年の高齢者講習の内容と実技のポイント
 https://www.youtube.com/watch?v=PivOiKKmkM8

 結論からいえば、74歳以下の高齢者講習に合否判定はないようだが、適性検査で運転の可否、認知症の恐れが判定されるため、もしも「認知症など運転障害の疑い」を判定されると医療機関での判定の結果により、運転免許が取り消されることになる。
 普段、運転していない人が実車試験を受けた場合、欠点のない完全走行は難しく、何回か実車試験をやり直すことが多いようだ。合否通知書ではなく、講習修了証が交付される。

 75歳以上の高齢者講習では、「認知症検査」が行われ、これに合格できないと免許が取り消される。合格点数は100点中36点である。まだ制度発足以来の更新者は少ないが、やり直し試験を経ても、おおむね10~20%が不合格にされて取り消されているようだ。認知症と判定される人が3%程度いるらしい。
 これまでのところ、認知症検査合格率は68%とされている。つまり32%が不合格なのだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=fgBlUy7jiQ0

 実車試験の場合は、以下のように不合格者が15%になっている。
 https://www.caranddriver.co.jp/column/26634/
 後期高齢者にとっては、新規免許取得者と同様に、更新試験が高い壁になっている。
 地方生活者は公共交通機関が廃止されているので、事実上の生殺与奪制度になってしまっている。
  なお、ゴールド免許であっても、有効期間、5年は失われ、70~71歳では4年、それ以上は3年の有効期間しかなくブルー免許になる。

 私のように、最寄り駅まで徒歩3時間以上、最寄りバス停まで2時間以上、最寄りスーパーまで3時間という過疎地帯に住む孤独老人は、免許を取り上げられた瞬間から、もはや生きるための基本的な手段を失うわけだが、日本政府、自民党政権は、この問題を完全無視し、一切の支援を放棄している。

 だから、成田氏による「老人問題の解決は集団自殺しかない」という発言には、非常に切羽詰まったリアリティがある。
 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/53e5bc2e319f6223c60a01cee69343cbbf744ce5
 私自身も、免許を取り上げられたなら、自殺以外の一切の手段や社会的救済制度が存在しないのだ。例え、生活保護申請が通っても同じことだ。少しくらい金をもらっても、食料さえ手に入らなくなるのだから、ほとんど意味をなさない。

 自民党政権は、小泉純一郎政権以来、竹中平蔵の新自由主義を思想的基調にしている。
 菅義偉首相は、「自助・互助・公助・共助」を国民に求めるとした。
 https://diamond.jp/articles/-/248616
 何を言いたいかと言えば、「国民はお上を当てにせず、自分たちで助け合って勝手に生きてゆけ」と言い放ち、国家による国民支援を否定するものであり、まさに絵に描いたような市場原理最優先の竹中平蔵思想である。

 岸田文雄も、この新自由主義の「市場原理最優先思想」を、そっくり踏襲している。
 つまり、社会を動かし、必要としているのは「市場原理」だけであって、人情などではないというわけだ。
 だから、退職金や社会保険まで大増税を仕掛けている。とにかく金になりさえすれば、国民がどれほど窮乏しても苦しんでも、何一つ問題でないと考えているわけだ。

 だから、自民党政権が地方が生きてゆく上で大切な基幹インフラである公共交通を「金にならない」という理由で、片っ端から廃止させていることを前回書いた。
 彼らは、「市場原理の観点から不合理だ」という理屈で、地方から住民を排除追放しているのだ。地方の存在理由=意味をまったく理解していない。自民党政権には金の損益しか見えていない。
 もし日本から地方が消えたなら、何が起きるのか、想像さえできないのだ。

 地方は、公共交通などのインフラが廃止され、どんどん住みにくくなり、若者たちは仕事があり、インフラ施設が整っている大都市に住むようになっている。
 この結果、地方の住民が減り、ますますインフラ赤字の悪循環に陥っている。
 もう水道や電気などのインフラ供給、整備は、すべて赤字ということになっている。
 ガスも高額のプロパンしかなく、あまりの高額ゆえに、電気くらいしか利用できないので、停電のときは本当に困ることになる。(私はカセットガスオンリーだ)

 地方は、もはや大都会に移住する余力のない、また、故郷を愛する老人ばかりの土地になった。
 だが、そんな地方に忍び寄る最大の問題は、老齢化と認知症の激増である。
 今や、私も70歳代に突入し、農家の平均年齢は80歳を超えている。もう田植えや刈り取りなどの重労働は困難であるため、青年団などが組織する機械化農業企業に委嘱するのが普通になっている。

 過疎の田舎に熊やイノシシが徘徊する「野生の楽園」になりつつある最大の理由が、住民の高齢化であるといっていい。今や熊の出没が日常風景なのだ。
 農業従事者は体を動かすので認知症になりにくいのだが、農業ができなくなると、たちまち認知症が顔を出してくる。

 私自身が、毎日、認知症との戦いであるといってもいい。
 このブログを書いていても、単語が思い出せない。もしもインターネットの検索機能がなかったら、とても文章など書けない。
 何せ、ブログを書いて、数時間もすれば、自分が何を書いたのか思い出せないのだ。
 まあ、記憶の連鎖法則を使って連想ゲームのように単語を並べてやっと思い出すのだが。

 私の場合は、20歳前後で、バイクの転倒事故で脳挫傷=大脳萎縮をやっているので、それが認知症に関係していると思う。もう十数年前からカレーライスもコーヒーも香りを感じられなくなっている。
 カレーは粉からルーを作るし、コーヒーも自分で焙煎した香り高いはずのものだが、わずか数秒間香ってあとは、もう何の香りも感じられない。ハッカなどアロマも効果は見られない。
 ネット上には、アルツハーマー認知症の典型的初期症状と書かれている。

 私は、自分の認知症の進行に恐怖し、毎日戦っている。だから、近所のAの泥棒問題を一刻も早く片付けないといけないと焦っているのだが、まったく前進しない。
 中津川警察の卑劣な姿勢も、毎日怒りが煮えたぎっているのだが……。
 でも、もし、私にこの事件への激怒がなければ、たぶんアルツハイマー認知症の発症が進行していたのではないかと思う。
 強烈な怒りの動機が、私を緊張させ生かし続けてくれているのだが、Aも警察も、私の予想を超えた、凄まじい厄介者で、人生最大の困難を感じている。

 物忘れは「老化現象」とはいうが、やはり認知症の初期症状であることは間違いない。それは誰にでもやってくる。70歳というのは、その節目なのだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=JLWqG5TaqxQ

 70歳では1~2割、80歳では4~6割が認知症になり、90歳を超えると、100%に近く認知症になる。例外的に冴え渡った頭脳を持っている人は、例えば剣道の持田盛二とか柔道の三船久蔵とかの達人たちだ。彼らは、からだの隅々まで体液を行き渡らせる循環運動を毎日欠かさず行っていた。

 私も、間質性肺炎による呼吸障害を軽減するため、ほぼ毎日歩いているのだが、これによる体液循環が、辛うじて私のアルツハイマー進行を阻害してくれていると思う。
 老人になったなら、体液を循環させなければならない。脳に血液を送り込んで、認知症物質であるアミロイドβやタウ蛋白を洗い流さなければならない、というのが、私が確信できた唯一の認知症克服法である。

 基本的に毎日7000歩が適正らしいが、少し息がはずむ運動が必要ということで、私は、標高差100~200mを含めている。坂道が認知症を救うと信じているのだ。
 私の場合は、肺線維症なので、徐々に呼吸力が衰えて、数年前よりも3割以上、時間がかかるようになった。もの凄く苦しいが、認知症になるよりマシだ。
 それに歩かないと、たちまち、日常生活で息切れが起きるので、よく眠るためにも必要な生活ルーチンである。

 老人になったなら、苦しい仕事をしないですむなんて甘いことを考えない方がいい。老人になるほど、普通に生きることが苦しくなるのである。
 だから死への誘惑が頭をもたげてくる。
 「死にたい」と思ったときが、死への入口である。この世は意識して「やりたい」と思ったことが実現する世界なのだ。

 若い人が交通事故を起こしたりすると、偶然起きたように見えて、実は偶然ではない。事故のずっと前から、「そのようになりたい」と意識し、それが実現するというのが真実である。
 「豊かで充実した老後」を得たいと思うなら、それを望まなければ実現しないというのが「思ったことが実現する」人間社会の法則である。

 非常に近い将来、たぶん2030年くらいまでに、日本は認知症老人激増によって、認知症を前提とした社会システムを作らなければならなくなると私は思う。
 至る所で、認知症が社会を混乱させることになる。交通事故も火災も、あるいは傷害殺人事件も、認知症によって引き起こされる時代になるだろう。
 このとき何が必要だと考えると、それは「体液循環健康社会」だと私は考えている。