日本のトイレがきれいである理由 | tokaiama20のブログ

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 インバウンド外国人観光客は、口を揃えて、「日本にはゴミが落ちていない、日本のトイレは清潔だ」という。
  https://www.youtube.com/watch?v=mWOGfYYECrc

 だが、その理由について触れているコンテンツもメディアも、ほとんど見かけない。
 理由は簡単なことだ。責任感を持って、一生懸命トイレを掃除してくれている人が非常に多いからだ。路上でゴミを清掃してくれている人が多いからだ。

 観光地へ行っても、ゴミのポイ捨てを見かけることは少ない。しかし、たまにある。
 昨年のことだが、私の住む中津川の、よく歩いている苗木の夜明けの森で、私は国立大研修センターの向かいの森に大量のゴミが捨てられているのを目撃した。
 とうてい個人の篤志で解決できる量ではなかったので、市役所に報告した。
 後に、近所の人の清掃活動で、大ゴミ袋10袋くらいあったと電話を受けた。

 ここは国内有数の水晶の産地なので、一攫千金を夢見た観光客が来たのだろうかと思ったが、その数ヶ月前から私は予兆を感じていた。なにわナンバーや京都ナンバーなど関西ナンバーの普段見かけない車がたくさん駐まっていたのだ。
 近くを歩いている人も、普通の日本人の雰囲気ではなく、韓国人か中国人のように見えた。

 今時、日本人で、美しい森に大量のゴミを捨てる人などほとんどいないだろう。捨てるのは、比較的最近移住してきた韓国・中国の人が多い。彼らは、運転していても窓から平気でゴミを捨てる。
 森の中で大量の食事ゴミやビールの空き缶を捨てる理由は、山菜採りや何かの採集で、森からの収奪を狙うピクニックなのだろうと思った。

 彼らも、日本に移住して10年も経てば、日本の習慣に溶け込んで日本人から白い目を向けられるような自分勝手なことをしなくなるのだが、最初のうちは、中国や韓国で行っていた生活習慣を日本に持ち込んで顰蹙を買うことになる。
 朝鮮半島には昔、入浴施設での入浴習慣がなくて、オンドルが朝鮮サウナとして機能し、出て川に飛び込んで体を洗う習慣があった。

 だから、日本の銭湯や日帰り温泉で、浴槽内で体を洗うような汚いことをしている人の多くが、朝鮮韓国系の人たちだ。
 李朝が崩壊して、1910年に朝鮮が日本に併合されると、300万人近い朝鮮人(韓国人も朝鮮人だった)が日本に仕事を求めて「日本人」として移住してきた。
https://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/18-1_Mun.pdf

 彼らが渡来した地域は、軍需によって人での不足していた北九州、広島、神戸、大阪、名古屋、川崎、東京などだった。
 東京にも下町に大量にやってきた。多くは浅草や亀戸、江東区、墨田区などだ。
 戦前の下町は、実は、江戸時代の習慣が残り、倫理的に厳しい地域だった。入浴は銭湯しかない。そこに朝鮮人が移住してきた。

 彼らは、入浴習慣を知らなかったから、朝鮮と同じように浴槽内で体を洗おうとした。これに地元住民は激怒した。また、朝鮮では、屎尿も道ばたでするのが普通だった。だが、日本人は、これを不潔として激しく嫌悪した。
 イザベラ・バードによれば、朝鮮は世界で一番汚い国、逆に、日本は世界で一番清潔な国と評されていた。
  https://www.youtube.com/watch?v=Who79y54Ddg

 こうした、下町住民の在日朝鮮人に対する嫌悪感が、爆発寸前にまで高まってしまった。移住が始まったのが1910年だが、20年代になると劇的に増えた。
 そして1923年関東大震災が発生した。
  https://www.youtube.com/watch?v=qErKrhTwuYs

  当時、東京には数万人規模の在日朝鮮人がいたが、6000名を超える人たちが下町の自警団などによって殺害された。
 「朝鮮人大虐殺など存在しなかった」と、ネトウヨが宣伝しているが、残念ながら、証拠は揃っている。下のウィキも、殺害の事実をかなり曖昧にしているようだ。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6#:~:text=%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6%20(%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%93,%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%82%92%E8%99%90%E6%AE%BA

 私は、結局、大虐殺に至る民衆心理の根底に、急激に大量移住してきた朝鮮人との文化的な齟齬、とりわけ、世界一きれい好きと言われた日本人のなかに、世界一汚いと評された朝鮮人が入り込み、たくさんの文化的軋轢を起こしたことがあると思う。

 事件の契機は、当時、警視庁警備局長(副署長=後に読売新聞社主)だった正力松太郎が、「朝鮮人が井戸に毒を入れ、娘たちを犯している」というデマをメディアに流したことだった。
 首都圏のメディアは、これを正力によるデマと認識したが、仙台の河北新報が真に受けて拡散し、それが首都に移入し、拡散されたことが分かっている。

 朝鮮人大虐殺について、「誰が悪かったのか?」といえば、アジア進出の足がかりとして朝鮮併合を行った日本軍や政治家たちである。300万人の朝鮮人を労働力として利用しようとした帝国主義者たちだったという他はない。
 ちょうど、安倍晋三が海外からの非専門職労働者を移住させて、彼らが現在、日本で大きな問題を引き起こしているのと同じ構図なのだ。
  https://www.mbs.jp/news/feature/scoop/article/2022/11/091676.shtml

 この意味で、「日本は世界一きれいな国」と浮かれているのはいいのだが、そこに世界中から、清潔でない、高い道徳理念も持たない習慣を持った人々が大量に流れ込んできていることを忘れてはいけない。

 とりわけ、安倍晋三による「移民法改悪」移住労働力の利用を推進しながら、彼らに人間的権利を与えないで追放する法の改悪についてきちんとした理解が必要だ。
 現在起きている、ベトナムやインドネシア、フィリピン人による凶悪犯罪の激増は、まさに安倍晋三と移民を利用しようとしている自民党が招いたものである。
 
選挙が終わった、大量の移民がやってくる、消費税が上がって生活できなくなる、憲法が改悪されて、若者たちが戦争にかり出される……。2019年07月23日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6081324.html

 入管法改悪問題 2023年06月01日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6041658.html

 特殊技能を持たない単純労働者移民は、5年間で追い返す。妊娠出産も禁止、結婚も禁止という安倍晋三による移民法は、移民たちが普通の人間であること、恋もし、子供も作り、その土地に溶け込もうとする人間であることを完全に忘れたか、まるで奴隷のような差別的立場で扱い、意図的に人権を無視する、悪質極まりないものだ。

 まさに14世紀に、日本人女性50万人を奴隷として海外に売り飛ばしたポルトガル人たち帝国主義者の視点に他ならない。
 これだけでも、安倍晋三が射殺される正当な理由があった。

 こんな非人間的な扱いをされた移住者が、その国を愛せるだろうか?
 今、トイレや街路を、使命感を持って美しく清掃している人たちと同じ思想、立場を得られるだろうか?
 外国からの移住者は、どんどん増えて行く。今や、街中は日本人よりも外国人が目立っているし、犯罪者も日本人と同等に増えている。

 そんな彼らが、今のトイレをきれいにしている人たちを受け継ぐことができるのか?
 私は、安倍晋三や自民党は、移住者を搾取し、徹底的な利己主義に追い込んでいるようにしか見えないのだ。

 日本がきれいになり始めたのは1990年代以降である。
 私の知る限り、50~80年代の日本は、街路にポイ捨てゴミが散乱し、車から吸い殻を捨てる人も当たり前で、まるで今の中国・韓国のようだった。

 だが、1980年代から、大本教から派生したPLや真光・世界救世・生長の家などたくさんの宗教団体が、街路清掃活動を運動として行い、また、船井幸雄が「トイレをきれいにし、掃除を行き届かせることが経営の基礎」という企業コンサルを薦めたことが非常い大きいと私は考えている。
 こうした努力が重なり、1990年代以降、ポイ捨ては悪と認識されるようになる、日本の街路やトイレは、見違えるほどきれいになった。

 だが、私は安倍晋三や竹中平蔵がもたらしている差別の思想が、再び日本を汚い社会にするようにしか思えないのだ。
 差別がある社会では、人を愛せなくなり、国を愛せなくなり、地域も街路も愛せなくなる。みんな、敵対的関係になってしまうのだ。
 敵の使うトイレを誰がきれいにするだろうか? きれいにしたいのは愛する人たちの住む町なのだ。

 すなわち、トイレがきれいな日本は、人を愛することのできる社会だった。しかし、それを安倍晋三、竹中平蔵、自民党は、人を愛せない社会に変えようとしているのではないのか?