医療が信用できない | tokaiama20のブログ

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 私が、日本の医療に決定的な不信感を抱いたのは、今から30年くらい前のことで、当時、頻繁に膝に激痛を感じるようになっていた。
 理由は、若い頃から百名山踏破を目指して、相当無茶なスケジュールで山行をこなしていて膝に大きな負荷をかけていたからだ。
 当時はアルプスの3000m峰さえ、日帰りで普通にこなしていた。休憩なし12時間以上の連続歩行など当然。それでも体は持ってくれていた。

 90年頃、とりあえず百名山を完登したあたりから、膝の激痛が始まった。
 当時は、まだ医療に幻想を抱いていたので、医療機関を訪ね歩いたのだが、どこでも原因を確定することができなかった。
 なかには「欺されたと思って……」といいながらステロイドを膝に注射する医師もいたが、逆効果だけで激痛を増す以外の結果は出なかった。

 結局5カ所くらいの整形外科を訪れたのだが、どこでも原因不明と片付けられた。
 ところが、旧知の山仲間である石川医師(守山区廃業)に腫れた膝を見せたら、一目で「これは痛風だよ」と指摘してくれて、一発で問題解決した。
 石川さんは、私に無償でアロプリノールを与えてくれて、それを飲み始めたら、たちまち膝の腫れが引いて、普通に歩けるようになった。

 ほぼすべての医師が、「痛風は足の親指の付け根に発症するもの」と決めつけていて、初発が膝にくる痛風に対する知識がなかったのだ。
 「ああ、医者なんて、この程度のものか……」と私は医師のレベルを思い知らされた。
医師というものは、教えられたマニュアル・プロトコルを知ることで医療に対する優越感を抱くのだろうが、自分の知らない現象を見て、その本質を見抜く力が弱いと感じた。だから、やたらに文献に頼りたがる。

 当時、私は地震前兆の宏観観測に夢中になっていて、前兆を知ることの意味は、文献知識を知ることよりも、自分の目、足、頭を使って、観察と考察を繰り返すことだということの大切さを思い知らされていた。
 医療も同じだと思った。多くの医師たちは、観察的事実に対して自分の目と頭よりも文献やマニュアルを重視しているのだ。
 
 以来、私は日本の医療に対する本質的な不信感を抱くことになり、単独だったクライミングや沢登りで、滑落して骨折したときでも、あまり医者に行く気がしなくなってしまった。
 だから、私の体は、今でも数カ所に偽関節ができたままだ。肋骨にまで偽関節ができている。

 左肩には、雅山のような盛り上がった偽関節が醜い。完全に折れて肩が下がってしまっている。これは2011年2月に、瑞浪市の屏風山道路で凍結スリップで自爆事故を起こしたときのものだ。
 このとき、救急車で東濃厚生病院に運ばれた。担当は磯部という整形外科医だった。 このとき、左鎖骨を4カ所骨折していたので、手術しなければ回復はありえなかった手術前日、私はアロプリノールを飲んでいなかったことから、足に違和感を感じていたので、足親指の痛風変形を見せて磯部医師にアロプリノールを処方してくれるよう求めた。

 ところが、磯部は足親指付け根の大きな変形を見ても、「検査しなければ痛風かどうか分からないと言い放ち、処方を拒否した。
 さらに、手術を取りやめると通告してきた。理由を尋ねると「態度が悪いから」というものだった。文句をつけた私が許せなかったらしい。
 磯部は肩4カ所の骨折で左手がまったく使えない私に対して、即時退院を要求した。

 左肩の骨折は手術しなければ回復は不可能な代物だったが、私は磯部の追放命令に追われて自宅に帰らされることになった。
 以来、近所の整骨院に通ってはみたが、どんな治療を施しても治ることはなかった。私の左肩は永久に治らない、雅山なみの偽関節ができることになった。
 保険会社は、障害等級7級という認定で、多額の補償金を出してくれたので、当分生活には困らなくなったが、障害者手帳は6級までしか交付されないらしかった。

 このときの体験は、医師のなかには磯部のように倫理的に極めて悪質な人物がいることを思い知らされた。自分の権威を絶対視し、患者が文句を言おうものなら、たちまち病院から追放してしまうのだ。
 なお、その後もアロプリノールをもらうため何回か医療機関を訪れたが、どの医師も私の足親指付け根の変形を見せたら、検査結果もなしに処方してくれた。
 今では、初診料などを考えると通販で購入した方が安上がりになっている。私は「キョーリンアロプリノール」を常用している。外国製は信用しないほうがいい。(飲んでる最中に発作が起きた)

  我が家でまったく原因不明のユスリカ大繁殖が起きたのは、2012年頃のことだ。あまりに小さすぎるユスリカが大繁殖していることは、私が視認できるまで1年以上もかかった。
 2013年頃から、私は喘息発作が起きるようになり、2014年頃には、息をするたびにブツブツバリバリと音が出る「ベルクロラ音呼吸」が始まった。

 このとき、近所に住む泥棒のAが、私の喘息を知ったのか、悪化させるため化学物質を庭で燃して大量の煤を発生させ、我が家に送り込んでいる姿を目撃した。
 たぶん、これで取り返しのつかない悪化をしたのではないかと疑っている。

 私は、東濃厚生病院での経験もあり医師が信用できなくなっていたので、ネットで情報収集した。すると、ブツブツバリバリ呼吸音は、間質性肺炎=肺線維症(IPF)の特徴で、繊維化した肺胞細胞は二度と再生されないと書かれていた。あまけに平均余命は発症から5年程度と書かれている。
 実際に、わずかな坂道や階段でも呼吸が苦しくなっていた。

 これにはショックを受けた。まるで癌で余命宣告を受けたのと同じだった。
 それで、今後、どのような対策をとるべきか考えたのだが、致死率100%なので、何をやっても同じだった。
 それよりも、IPFで死ぬ人を調べてみると、無駄無益な検査、診療プロトコルのせいで殺されたとか思えない人が多かった。

 検査プロトコルには、①肺CTスキャン ②X線像 ③肺穿刺細胞診 などが書かれ、治療マニュアルには①ステロイド ②ニンテダニブ ③ピルフェニドンなどが記載されている。診断を確定させなければ病理認定もされないということだ。
 https://pro.boehringer-ingelheim.com/jp/product/ofev/ild-international-clinical-practice-guideline-2022

 とりわけ肺CTと肺穿刺細胞診が診断の絶対条件とされ、造影剤が使われるようだった。私は腎臓がかなり悪化していて、造影剤が腎臓に強い悪影響を及ぼすことも知っていたので、こんな検査を受ければ検査が原因で殺されてしまうと確信した。
 実際に、たくさんの患者が、肺穿刺による刺激で急性増悪(サイトカインストーム)を引き起こして急死していた。

 実は、後に私の90歳代半ばの母親が、名古屋城に近い介護施設で肺疾患を患い、担当医が肺穿刺細胞診を行ったのだ。母親は数日を経て死んだ。
 私からみると、90歳代の枯れ枝のような老人に肺穿刺をすれば、その刺激で死ぬことは常識と考えられた。むしろ、医師は施設側の意向を受けて、それを承知で殺人目的で行ったとしか思えなかった。

 肺穿刺細胞診は、ステロイドの種類を定めるために必要な検査だというが、そもそも細胞診など行わなくとも、ベルクロラ呼吸音だけで肺線維症が確定できるし、それをステロイドで治療(消炎)する医者の発想も、私には不可解に思えた。
 また肺CTや造影剤の使用も、病気を悪化することにしか役立たない。それは医師側のデータの蓄積にだけ役立つものだ。
 医師たちは、ドイツ医学の悪しき伝統である「治療とは診断確定、投薬、手術」の形而上学的な西洋医療に呪われているとしか思えない。
 そこには、「患者が自分で自分を治療する」という医療の真実が見えていない。

 ステロイドを使えば必ずリバウンドが起きるし、そのとき急性増悪を引き起こしやすくなる。そんなことよりも、私には、肺の炎症を自家治療するホメオステーシス免疫医療の方がはるかに大きな意味があると思っていた。
 病気は医師が治療するものであってはならない。患者が自分で自分を治療するのだ。医師はそれを手助けするだけのことだ。
 ところが、西洋医学は患者に対して上から目線の優越感に立って「医師が患者を治療してやる」という傲慢な本末転倒に貫かれている。

 だから、私は「医師が治療してやる」という上から目線の医学医療をまったく信用できないのである。
そこで、「私は病院に行けば検査で殺される」と考え、徹底的にホメオステーシスを重視することにした。どうせ余命5年と書かれているのだから何をやっても結果は同じなのだ。

 ホメオステーシス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%92%E5%B8%B8%E6%80%A7
 とにかく、本来の健康な恒常性と免疫機能を取り戻すのにもっとも必要なことは「体液の循環」であると問題を建てた。
 体液が循環することで、体の細胞の隅々にまで恒常性維持機能のための指令と材料供給が行われる。
 循環不良では細胞の修復はできない。毒素も排出、浄化されない。

 循環させるために必要なことは運動である。それも第二の心臓といわれるふくらはぎの運動で、重力沈降した下腿部に貯まった血液を心臓に送り返すことで、二の腕の運動も同じだ。
 私は、若い頃からの登山経験のアドバンテージの上に、必死になって毎日歩くことにした。一回1~2時間、歩数計で7000~10000歩程度、標高差が200mを目処に、年間350日程度は、歩いている。

 このおかげで、今年とうとう発症から10年目を迎えた。ネット上の記録では、IPFの最長寿記録が10年になっている。
 もう数年前から末期の状態が続いていて、階段昇降、トイレや布団の上げ下ろしや、しゃがみこんだだけでも息切れを起こしているのだが、それでもノロノロと歩くことができる。
 歩いていられるうちは、たぶん生きていることができる。

 もう数年前から死を覚悟する毎日だったのだが、10年目を迎えて、死なないと申し訳ないような気さえする。しかし、私には生きている理由がある。
 それは近所の泥棒Aの問題や、中津川警察署の許しがたい対応について決着がついていないことだ。もう出版準備はおおむねできているが、最後の一押し、Aを告訴するのに必要な写真動画の証拠が不十分なため、法的に決着をつけにくいので出版が遅れている。

 私が「肺線維症で10年間生き延びている」とブログに書いても、それを信用する医師は少ないだろう。それは検査を拒否しているからだ。
 医師の多くは、私がIPFでなかったというに違いない。それは彼らのマニュアル信奉信仰から来る問題だ。

 私にとって、もはや医療は信用できないものであり、医師がどっぷりと浸かるマニュアル信仰などどうでもいいことだ。
 私は、階段もまともに上がれないほどの呼吸困難を抱えながら10年間生き続けてきた。山をノロノロと、かたつむりのように歩き続けた。

 10年、ほぼ毎日歩いても、とうとう期待した肺胞細胞の回復は起きなかった、発症した2014年頃と10年後の今も、ほとんど呼吸能力が変わらない。劣化したままだ。
 でもステロイドなんかに頼らず、医師の検査システムも拒否し、ひたすらホメオステーシスだけが自分を救ってくれると信じて、まだ今朝も生きている。

 「病気は患者が自分で治すものだ」 医師は、それを手助けしてくれるはずだが、権威にどっぷりと浸かった医師たちは、むしろ患者を早く殺すことにのみ役立っているような気がするのである。
 なによりも、誰かや何かに頼るのではなく、「自分で治す」という気迫が一番大切なものだと思う。