ウーマンリブ | tokaiama20のブログ

tokaiama20のブログ

ブログの説明を入力します。


 今から半世紀以上前、1970年代、日本社会にウーマンリブの嵐が吹き荒れた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%96

 (ウィキ引用)
 第一次世界大戦・第二次世界大戦の最中、若者の男性は兵士として戦場に駆り出され、女性が国内の生産現場を担っていた。
 第二次世界大戦が終了した1950年代になると、帰還兵の就職口を作るために、働く女性が職を手放さなければならなかったが、多くの女性はその後も工場・農場・伝統的な女性職の領域で働き続けた。

 戦争が引き起こした人手不足は女性の積極的労働参加を促し、「女性も男性と同じ仕事ができる」という、仕事における自信をもたらした。この女性の社会的自立が、のちのウーマン・リブの運動の気運を高めたといえる。そしてベトナム戦争の反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた女性たちによるウーマン・リブの運動がアメリカ中を圧巻した。

 伝統的な女性のイメージは根本から否定され、女性の労働が当たり前となり、それまでほとんど男子校同然だった大学で女子の入学が認められ、男性中心だった学問に女性学が導入された。ウーマン・リブは反キリスト教運動も兼ねており、それまで禁止されていた人工妊娠中絶を認める法律ができた。

 この運動の発端となったアメリカでは、ベトナム反戦運動や公民権運動に連動する形で、性による役割分担に不満を持った高学歴主婦や女子学生を中心に「男女は社会的には対等・平等であって、生まれつきの肌の色や性別による差別や区別の壁を取り払うべきだ」という考えのもとで開始され、1979年、国連総会において女子差別撤廃条約が採択されるなどその後の男女平等社会の推進に大きく貢献した。

 ウーマン・リブという言葉が最初に日本のメディアで使われたのは1970年10月4日の朝日新聞都内版。同紙は女性解放運動の原語の「Women's liberation movement」を「ウーマン・リブ」と名付け、記事の見出しに掲げた。

 そして同年10月21日の国際反戦デーに女性だけによるデモが行われた。田中美津らは「便所からの解放」という手書きのビラをまいた。日本でウーマンリブが社会的注目を浴びたのはこの日のデモが最初だといわれる。
 同年11月14日、第1回ウーマンリブ大会が東京都渋谷区で開催され、男女雇用機会均等法の制定に大きな役割を果たすなどした。
*********************************************************
引用以上

 当時、私はちょうど20~30歳代で、ベトナム反戦運動にも参画し、人生のもっとも輝いていた時期だったから、ウーマンリブ運動には大きな思想的影響を受けた。
 私のつきあっていた女性たちは東京付近の学生が多かったので、ウーマンリブ運動の主役でもあった。彼女たちは、現在70歳代である。人の多い団塊の世代でもあった。

 当時は、ファッションとしてミニスカートやパンタロンスーツが流行し、まるで小学生のような「可愛い格好」の女性も多かったのだが、ベトナム反戦デモに参加するような女性たちは、共通してジーンズに運動靴、男性的なシャツが多かった。
 以下は、ウーマンリブデモの風景
 u-man01










 ほとんどの女性は、運動靴でストレートのジーンズをはいて、化粧をしている人も見かけなかった。スカート姿もあまり見かけなかった。
 以下は、ウーマンリブ運動の牽引者だった田中美津さんの記事。

 2019.10.26 ウーマン・リブのカリスマが抱えてきた性被害のトラウマ 田中美津さんの「当事者意識」の理由
 https://gendai.media/articles/-/68011?page=1&imp=0

 私なりの解釈をすると、封建的な儒教国家の残渣を引きずっていた日本社会では、当時、まだ女性の社会的地位が低く、責任ある部署には配属されず、せいぜい事務的な作業や清掃、お茶くみという観念が一般的だった。
 そして、「女性は男の権威を飾るもの、男の子を産むための道具にすぎない」という価値観が広く一般化されていた。

 当時、女性社長や女性管理職という存在は、極めて珍しく、男たちは、ことあるごとに「女のくせに」という呪文を唱え続け、女性の価値を貶めようとしていた。
 男にとっての女というのは、バブル時代に向かう当時の人々が追究した価値観、「豪邸、高級車、美人妻、権力、蓄財」のなかで、男の人生の価値を装飾する道具に過ぎなかった。
 社会の主役は男だったのである。

 男社会は、「他人を見下す立場」を得ることが人生の勝利であると考えられていた。
 それは、幼稚園段階から競争を強要して、子供たちに順位をつける教育が行われてきたことの必然的な結果でもあった。
 人々は、女性蔑視でもある社会的価値観に何の疑問も抱かなかった。
 そのなかに、「女性はもっと大きな存在だ!」と主張するウーマンリブ運動が登場し、また「元始女性は太陽だった」という平塚雷鳥の書も愛読されるようになった。

 女性たちを立ち上がらせたのは、「自分たちは、男と同じように社会の主役になれる、女は男の愛玩動物ではない!」という心の叫びへの共感ではなかったか?
 それは若い男が徴兵されて激減した戦時に、男の代わりに、電車の運転手でも土方でも炭坑婦でもやってのけた矜持でもあった。

 1970年代の当時、まだ女性たちの人生観、価値観のなかで「可愛いと思われる女」という封建的な隷属感覚が広く残っていて、女性が化粧をして、ナイロンストッキングをはいてスタイルを良く見せる理由は、男の歓心を惹くためでもあった。
 それは男の権力社会の価値観に迎合するものであり、女性をますます隷属的地位に貶めるものと思われた。

 私の友人のウーマンリブに共感する女性たちは、「可愛い女」という価値観を拒否していた。だから誰もスカートをはかず、ジーンズを好んだ。口紅もつけなかった。
 煌びやかに自分を飾ることを嫌悪していた。「一人の人間として」生きようとしていたのである。
 
実は、日本社会に「女は男の子を産むための道具=愛玩動物」という価値観が拡大した理由は、江戸時代、家康が林羅山に命じて、各藩の道徳教材として儒教=朱子学を強要したことによる儒教社会化という問題だけではなかった。

 それは、「女性を男社会に隷属させる思想」である儒教によって歴史的に洗脳されていた朝鮮人が、李朝崩壊後、敗戦までに、数百万人の単位で、日本に日本人として移住したことが大きな問題になっている。

 李朝崩壊時の朝鮮は、日本軍の作った傀儡国家である大韓帝国になっていて、人口は朝鮮全体で1300万人(1907)と表記されていた。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%B8%9D%E5%9B%BD

 その後、1910年に日本が正式に大韓帝国を併合し、彼らは正式に日本人として認められ、日本本土への渡航も自由化された。
 このとき、大量の朝鮮人が日本に渡航した。その数は公称で210万人を超えているが、実際には手続きを経ない密航も含めれば300万人を超えるといわれる。
 国境が消えたのだから、日本への渡航のハードルがひどく低かったのだ。
https://www.jica.go.jp/Resource/jica-ri/ja/news/topics/20230413_01.html

 朝鮮人の実に五人に一人が、日本に移住したのである。
 戦後、帰還事業が始まり、数十万人が帰国し、さらに、岸信介や槙枝元史らの北朝鮮帰還事業で30万人以上が北に送り返されたが、この人たちの大半が、財産を強奪されたあげく、強制収容所で死亡させられたといわれる。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6052441.html

 日本に住み着いた朝鮮人が、結局、どれほどいたかといえば、200~300万人というところで、地域としては、求人の多かった大都市圏、広島・神戸・大阪・名古屋・川崎・東京などである。
 その歴史は100年を超えている。だから、すでに4~5代目が主役で、子孫は数倍に増えているはずで、おそらく1000万人を優に超えているはずだ。
 朝鮮人文化は、日本文化の隅にがっちりとした地位テリトリーを占めているのである。

 日本でサウナ文化が発展したのも、在日者が持ち込んだ可能性が強い。朝鮮では入浴文化の代わりに、オンドル室で汗を流して川に飛び込む習慣が普及していたのだ。
 また、朝鮮人の多くが、「女性は男の道具にすぎない」という封建的価値観に深く洗脳されていた。
 だから、在日系の人々には、とりわけ女性の地位について軽視する人が多く、「女は可愛ければいい」と考え、在日者の主力業種である芸能界にあって「可愛い文化」が蔓延したと考えられる。

 ちなみに、在日者は、未解放部落民と同じで、出身を差別されていて、日本で働く場所は、土建・遊戯産業・飲食接待産業・風俗・芸能界・スポーツ界などに限られていた。
 芸能界・スポーツ界が、どれほど在日者によって占められているか実態を知ったなら、ほとんどの日本人が驚愕させられるだろう。
 我々が毎日テレビで見ているタレントの半分以上が在日で、彼らは朝鮮儒教の価値観による洗脳を受けているのだ。

 現在、韓国は世界一の整形王国だといわれる。
 どうせやるならトコトンまで!? 韓国の整形意識。なぜそこまで外見重視社会なの?
 https://gendai.media/articles/-/94933

 韓国は、人に序列を付けて差別し、見下す社会である。国民のみんなが、自分は他人より上だと思いたがっている。だから学歴差別も世界一激しい。
 出身校の偏差値や格によって、一人一人に値札がつけられているような社会で、ちょうどYouTubeで学歴差別を主題にした「スカッとシリーズ」があるのだが、まさに、これは韓国人が作ったコンテンツではないかと思うほどだ。

 女性たちは、男の玩具として重用されるために、なによりも男を惹きつける美しさがなければならない。だから、完璧な美しさを求めて整形するのが常識であり、整形しない自然な姿は、嘲笑される社会である。
 美しければ女性の鼻も高くなり、人間性も傲慢な差別主義者になってゆく。

 私の友人が千葉で入院していたとき、同室に韓国人女性が入院してきた。彼女は、卵巣が癒着して炎症を起こしていたのだが、原因は、過度の節食にあった。
 韓国では、美しくスタイルが良くないと馬鹿にされるので、必死になって無理な節食をするのだ。
 これほど、韓国の女性たちは、「女が男の道具になる」ことに洗脳されきっているわけだ。

 かつて、半世紀前、日本でも同じ傾向があった。
 こうした風潮に立ち上がったのが、上に紹介した田中美津氏らのウーマンリブ運動だったのだ。
 男性に左右されない、自立した女を求めて、女性の権利を主張する運動だった。

 半世紀前、日本の芸能界は、韓国系芸能事務所の強力な影響下にあり、韓国の儒教的価値観が芸能界に持ち込まれ、日本のテレビなどで「女性は男の所有物」であるかのような価値観を強要する番組が放送されていた。
 当時、芸能界には岡林信康・加藤登紀子・泉谷しげるのような独立系フォークソングが大きな力を持ち始めていたのだが、これに対し、アメリカCIAは、日本での左傾文化を抑圧し、保守系権力を支える目的で、保守的価値観を持った芸能事務所を主役に据えた。

 この代表格が、性加害で消えたジャニー喜多川だった。彼はCIAの芸能工作員だった。 https://president.jp/articles/-/29399?page=1
 ジャニーは、男性アイドルを前面に据えて、「女性は可愛くあるべき」のような性的玩具としての風潮を芸能界、メディアに蔓延させたのである。
 これによって、人々はウーマンリブを排し、「可愛い女」の価値観を求めるようになった。
 そして、独立系のシンガーソングライターの大半が、メディアから姿を消していった。

 現在は、どうだろう?
 テレビ界でも、芸能界でも、女性たちは「可愛い系」に傾倒しているように見られる。可愛くないTVキャスターは、決してテレビに映されることはない。
 かつてのようなジーンズをはいた「戦う女」たちは、どこにもいない。
 女性が社会の主役になっているか? といえば、国会議員の女性比率は、衆11%参17%にすぎない。まして岸田政権の女性比率は7%にすぎない。

 私は、岸田文雄という広島出身の人物に、韓国との強い絆を感じていて、でなければ韓鶴子が「岸田を呼びつけろ」などと言うはずがないと思っている。
 女性軽視政権である事情は、岸田が韓国儒教の影響を強く受けているからだと思う。

 いずれにせよ、日本社会が、男女の平等対等を実現し、序列主義の価値観を克服して人間解放の社会に向かうためには、女性の本当の意味での地位向上が欠かせない。
 それは男性のまねをしろという意味ではない。女性の役割を尊重した上で、不合理、無意味な差別を廃止せという意味だ。

 国会議員と内閣の半数が女性になるまで、再びウーマンリブ運動を再建しなければならないと考えるのは、私だけではないはずだ。
 日本社会に、男に媚びを売るような整形は必要ない。自然な美しさが評価される社会でなければならない。
 化粧もいらない。女らしさを否定するわけではないが、男性偏重社会を克服するには、女性が無理な「可愛い系」価値観から抜け出すことが絶対に必要だと思う。