高齢者になってみて | tokaiama20のブログ

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 日本の法令上の年齢区分で「高齢者」は65歳以上である。75歳未満(74歳以下)は前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼ぶ。
 ただし、2017年1月5日、日本老年学会と日本老年医学会は、これまで65歳以上が高齢者と定義されていた年齢を、75歳に見直すべきであるとする提言を発表した。
 https://business.ntt-east.co.jp/bizdrive/column/dr00002-075.html#:~:text=2017%E5%B9%B41%E6%9C%885,%E6%8F%90%E8%A8%80%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

 だが、自民党政権の思想的バックボーンとなっている「新自由主義」を日本社会に事実上持ち込んだ、竹中平蔵は、「老人たちに90歳まで働け」と主張している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/db3bc6447e838176ee531cf32d387b4d1b1a3cb2

 竹中平蔵は、日本の保守勢力界(自民・維新・国民・公明など)で、もっと影響力の強い男で、1998年の小渕政権から実質的に自民党政権を仕切ってきて、2001年の小泉政権下で、
「日本では労働者が甘やかされている、労働法の権利や身分保障を剥ぎ取って、労働者を保証のない派遣臨時労働者にして、会社都合で自由に解雇できるようにしなければならない」
 と経済大臣に就任し、実際に、労働法を改悪し、日本国民勤労者の4割を派遣など法的身分保障のない「ルンペンプロレタリアート」に転落させたことが知られている。

 また、小泉とともに公的身分の強固だった三公社五現業を解体し、社会のすべてを自由競争と市場原理に変えるという新自由主義社会を実現し、さらに「日本を金融(博打)国家」に変えるとして、「真面目に働いて、人々のお役にたちながら生計を立てる」という日本職人社会の伝統を破壊し、若者たちを株投機やFXなど不労所得の世界に引き入れた。(株やFX投機収入の税率を20%に引き下げた)

 竹中平蔵が日本社会の利己主義化に対して果たした貢献は、もしかしたら歴史上最大級かもしれない。
 新自由主義の原理は、「金儲け競争」だけなのだ。まさに「日本を利己主義社会に変えた男」と評価されるべきだろう。
 竹中の登場以降、「思いやりや助け合い」を美徳とした「人情社会」の伝統は完全に崩壊させられたといってもいい。

 その竹中が、日本人は90歳まで働くのが当然である、老人に対する公的な援助・扶助を廃止して「自助」を原理とする社会にする必要があると、自民党・維新政権の方針を定めている。
 儲けるのも自由、競争に負けて脱落するのも自由、ホームレスに転落して自死するのも自由という価値観である。

 竹中平蔵ビジョンの未来には、競争社会から脱落した累々たる屍が、片付ける人もいないまま腐乱して放置されているのだ。まさに「地獄社会」とはこのことだ。
 一部の勝ち組は、超大金持ちとしてタワマンに住み、社会に君臨している。勝ち組だけは特権階級として美しく整備された豪華な街に住むことができるが、大多数の負け組=貧乏人は、スラムのような街に住み、そこにはいたるところに腐敗した遺体が放置されている。街は悪臭に満ちている。

 これが竹中がもたらす理想社会なのだ。資本主義の行き着く先にある新自由主義とは、そんな思想である。「自助」の意味は、国家が底辺の人々を決して援助しないという意味である。「国に助けを求めるな」と竹中と一心同体だった菅義偉首相は言った。
 https://diamond.jp/articles/-/248616

 さて、私はすでに「高齢者」の中核となった。いわゆる「団塊世代」(1947~1949年生まれ)は、すでに後期高齢者に足を踏み入れているが、私は、少し遅れて生まれてきた準団塊世代である。
 団塊世代が登場した理由は、もちろん長い太平洋戦争が終わって、帰還した兵士たちが故郷に戻り、安定した生活を取り戻して、嫁をもらい、やることは仕事とエッチだけなので、社会を上げて「産めよ増やせよ」が実現したからだ。

 なにせ太平洋戦争で、日本人が400~600万人も死んだ。兵士だけでも230万人が無謀な作戦で死ぬことになった。
 1940年の日本全人口は7200万人だった。結婚適齢期の青年たちの大半が徴兵され、800万人が戦地に送られ、その三割が戦死した。
 だから生還できた若者は、女性たちを選び放題で、なかには数名の妻を娶るものさえいた。大半の有力者が「妾」を抱えていて、それが社会常識だった。

 三木武吉は、4名の妾を追求されて、「違う、私の妾は5名だ」と応じた。戦後の妾は一種の職業として認知され、実は、戦争未亡人の救済措置だったという側面もある。
 https://say-g.com/topics/1601

 私の2歳上の姉、竹中平蔵と同級世代が準団塊世代の最初だった。それでも小学校中学校では1クラス50名超が常識で、机や椅子が足りなくて、立って授業を受ける子が、ようやく消えた頃である。私の時は、1クラス40人後半で、教室は満杯だった。

 これは余談だが、春先になると人間も含めた動物は、急激に生殖要求が高まる。だいたい5月~12月頃、人間社会では一年のうち、もっともエッチしたくなるようだ。極寒の時期は、あっちが縮こまってしまって役に立たないのである。
 妊娠期間が10ヶ月なので、3月~10月に生まれる子供が多くなるのである。
 https://www.taiyo-seimei.co.jp/net_lineup/colum/basic/047.html

 団塊、準団塊世代の特徴は、人数が多いために競争が激しいことだった。子供たちは成績などランキングに強い興味を持たざるをえなかった。
 だから、団塊世代が一番、学歴評価に敏感で、すぐに他人にコンプレックスを持ったり見下したりする傾向がある。
 今でも、ランキングを気にする人が多いのが特徴だ。
 この人たちが戦後、日本の最多主力として社会を形成してきたのだから、戦後社会はランキングを強く意識する社会になった。

 1970年当時、話題になった日産サニーがカローラを意識した「隣の車が小さく見えます」広告。
 https://www.youtube.com/watch?v=_F07XMAwFGw&ab_channel=taokuno
 このテレビCMこそが、戦後、日本社会の発展イデオロギーを代表するものといっていだろう。

 だが、その団塊世代は、今まさに「認知症世代」に突入している。このことは、「2025年問題」として周知されはじめている。
  https://www.asahi.com/sdgs/article/14957810
 
2025年問題とは、団塊世代が75歳以上の後期高齢者となることで起こる、社会保険費の負担増や働き手不足などの問題のことをいう。
 女性や高齢者の労働参加が進んでも働き手は減少するとみられ、1人あたりの社会保障負担はますます重くなることが特に問題視されている。

 2004年に約2500万人だった高齢者は、2013年に約3500万人になる。
 2002年に約150万人だった認知症高齢者は、2025年に約320万人になる。
 2005年に約1340万世帯だった高齢者世帯(28.9%の386万世帯が一人暮らし)は、 2025年に1840万世帯(うち36.9%の約680万世帯が一人暮らし)になる。

 2004年に約100万人(81%の約83万人が高齢者)だった年間死亡者数が2025年に160万人うち90%の約143万人が高齢者)になる。

 総務省の人口推計によれば、2023年1月1日現在の高齢者人口は約3617万人で、予測値である約3500万人を超えている。
 今や日本人の三人に一人が高齢者なのだ。

 認知症の高齢者数は2012年時点で約476万人おり、2025年には約675万人になるだろうと指摘されている。
 2025年には、高齢者の5名に1名が認知症になる可能性が強い。
 私は、このブログで、「社会が上昇するならば、いつか必ず下降のときがやってくる」と何度も書いた。
 政府や経団連は、夢のように美しい未来ばかりを語るが、真実は、人口減少が始まった国家では、必ず、社会と国家の衰退が始まっているのだ。

 この世のすべてで、「限りなく発展する未来」は存在しない。発展したなら、その後には衰退しか残されていないのである。
  衰退する社会では、発展するときに良いことばかり起きるように、衰退するときは悪いことばかり起きる。負の側面が露わになってくるのだ。
 我々の住む日本社会は、すでに認知症老人と共存しなければ生きてゆけない社会になっている。

 考えてほしい、街を歩けば五人に一人が認知症老人になるのだ。この人の財産を狙って詐欺を行う若者が後を絶たないが、いずれ必ず厳罰化になる。このとき、詐欺師は必ず死刑にするという社会の圧力まで出てくるだろう。
 それも、老人詐欺は公開処刑という形の恐怖社会が現れるかもしれない。

 これからの社会は健全な若者ではなく、認知症老人を基準にした制度設計を行ってゆかねばならない。
 私のように1980年頃からパソコンに向き合ってきた者でさえ、後期高齢者になれば、もうモニターの文字が読めず、細かい判断などできなくなる。
 だから詐欺師はやりたい放題、老人向けのパソコンを作らない限り、もうパソコン社会の未来は存在しないのだ。

 至る所に徘徊老人が現れ、線路にも入り込んで、列車止めたり事故に遭ったりする。道路交通の障害にもなる。認知症老人の運転する車は恐怖以外の何ものでもないが、彼らから免許を奪えば、地方社会での生活がまったく成り立たなくなり、本当に餓死者が出てきてしまうのだ。

 認知症老人による医療費は莫大なものになるだろう。社会保障費の負担は、どんどん上がってゆかざるをえない。社会保障費とは、年金・医療保険・介護保険・生活保護などの社会保障制度によって、国が支出した費用のことで、社会保険の徴収を財源とするので、社会保険費は恐ろしいほど上がってゆかざるをえない。

 私は、自分が高齢者区分になってみて、私が若い頃に想像したよりも百倍も恐ろしい現実に直面している。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6033830.html

 50歳ころから認知症の兆しが自分に現れた。とにかく固有名詞が出てこなくなった。発する言葉は、「あれ、これ」という指示代名詞ばかりになった。
 それから視力がひどく衰えた。パソコン打ち間違いがないか検証し、推敲することが困難になった。今では、ブログ一回に数回のミスが含まれるのが普通になってしまった。

 私は一人暮らしで、誰も助けてくれる者はいない。だから必死になって毎日歩き続けることで、認知症の進行と対峙しているのだが、脳の衰えは何をやっても進んでゆく。ただ、遅らせることができていると信じて、毎日山を歩いている。
 いわゆる「野垂れ死に」や「自殺」を考え出したのは60歳台後半からで、今は、これ以上老化が進んだなら、庭にテントを張って中で七輪木炭を炊くしかないと覚悟している。

 行政や民間のケア施設は、金のある者しか相手にしてくれないので、貧乏な私に残された手段は自死だけだ。
 しかし、大自然の生き生きと残る中津川市に移住したことは大正解だった。
 私の年齢では、大都会で借家アパートに受け入れてくれるところなどない。いつ死ぬか分からず、死ねば「事故物件」として価値を極端に低減させるからだ。

 私の場合は、かなり前に、200万円程度で、自分でキットハウスを組み立てて住んでいる。上下水道も全部、自作設備で、公共インフラは電気しか使っていない。
 バスも廃止された自由度の高い弩田舎だからこそ、これが可能なのだ。
 毎月5万円に満たない年金と、わずかな貯金を取り崩して生きているが、これがなくなれば、いよいよ七輪テントを決行するしかないと覚悟している。

 医療は、ほとんど信用していないので、肺線維症を患っているが医療を受けず、自家治療に専念している。といっても毎日5~7Kmを歩くだけのことだが。
 これが認知症も含めて健康を維持する基本になっている。この判断は、今までのところ正解だった。
 非課税世帯一人暮らしなので、あらゆる負担は小さい。家賃もタダ、上下水道もタダだが、EMシステムによる浄化のため、電気代は月に1万円近くかかる。

 大都会に住んでいたなら、とっくに私の金も命もなかったと思う。また認知症と対峙して悪化させないようにすることもできなかっただろう。
 私は、山深い中津川市の地理的な恩恵を最大限に受けていると自覚している。

 竹中平蔵と自民党、維新、公明は、年金支給を75歳まで延長し、本気で90歳まではたかせようと画策しているようだが、日本の戦後社会では、最初定年制は50歳であり、一番多いのが55歳だった。
 つまり、社会は「人は50歳になれば使い物にならない」と認識していたのである。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827611.html

 いわゆる後期高齢者75歳になって、生産活動に関与できる能力のある者など、ほとんどいないだろう。
 企業内の重役や社長が80歳なんてゴロゴロいると思っている人が多いが、実は、あれは本人の強欲による装飾役職であり、実際に75歳過ぎで経営者として合理的な判断ができる人など非常に少ない。

 はっきりいって80歳労働者だってお笑いでしかない。数十年にわたる経験則を積み上げて、毎日重労働に耐えてきた人なら90歳くらいまで働けるかもしれにないが、そんな人は100人に1人もいないだろう。
 竹中平蔵は、自分が後期高齢者にさしかかってみて、自分が主張する90歳労働説の馬鹿さ加減を自分で思い知っていることだろう。

 人は55歳を過ぎれば、せいぜい管理職程度しか使いものにならない。65歳になれば、もう生産に関与できる能力を残している人は少ない。75歳になれば、ただの惚け老人であり、棺桶に入る準備だけが人生の課題なのだ。
 私は、竹中平蔵が入る棺桶をベニヤ板で作ってあげられる程度の能力は残っているが、今は、肺線維症もあって、家も庭も雑草に埋もれている。
 私は今や遺書を書き残す力しか残っていない。だから毎日それを書き続けている。