人は「成功体験」に依存して行動する | tokaiama20のブログ

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 人が何か特別の行動をするとき、一歩を踏み出す勇気が必要なのだが、その行動に自信を持って向き合うために、過去の「成功体験」が必要になる。

 例えば、私は若い頃から山登りが大好きで、高校の焼岳集団登山をきっかけに、今に至るまで登山にのめりこんでしまった。
 1990年頃には、日本百名山をほぼ完登することができた。登山歴は、数千回に達しているが、間質性肺炎発症後は、易しいハイキングコースくらいしか歩けなくなった。

 最初、奥多摩などの易しい日帰り登山を積み重ね、どんどん難易度を上げていって、最後には、困難だった幌尻岳やトムラウシも登ることができた。
 幌尻岳を登るためには沢登り経験が欠かせないのだが、私は沢登りだけで数百回はこなしていた。それも日本アルプスの三級以上の沢を一人で登りまくった。

 それよりも、ヒグマの巣窟のなかを歩くので、これは怖かった。
 十勝岳では巨大ヒグマに数メートルで遭遇したし、トムラウシでは用足しに入った藪の中で、フイゴのようなもの凄い呼吸音が聞こえ、びびって出るものも引っ込んでしまい、大慌てで逃げた。羅臼岳では鹿を食べているヒグマと遭遇した。
 こうした遭遇体験を重ねることで、熊との遭遇に対処する準備と、遭遇をやりすごす成功体験を得ることができた。

 犯罪者が、ヤバい橋を渡りながらも犯罪に成功するのも、小さな成功体験の積み重ねで得た自信だといわれる。
 犯罪者の多くは、驚くほど気の小さな、敏感な人間が多い。そもそも気の大きな、ゆったりと穏やかに生きている人は犯罪などしない。
 しかし、小さな成功体験の場数が、プロの泥棒、詐欺師などの熟練犯罪者を育てるのだ。

 私は、付き合う相手を観察して、刺激に敏感なタイプは遠慮している。気が小さくて、優しさが乏しく、犯罪に走る傾向が強いからだ。
 ほとんどの重大犯罪者は、気が小さくも、成功体験を重ねて、大きな自信を持っている。
 しかし、それでも検挙されるのは、成功体験のパターンを読まれるからだ。

 泥棒や万引きの成功体験は、どんどん進化してゆく。数回も成功してしまうと、必ず大胆に、より高価な獲物を狙うようになる。
 そして、度重なる被害で、被害側の対策も進化してゆくので、いつかは成功体験に終わりがやってくる。
 https://ameblo.jp/yuka-sumomo/entry-12635875093.html

 https://mbp-japan.com/kyoto/nakatakashilo/column/2616098/

 成功体験はパターン化するものだ。必ず、その被害には一定の共通点が浮かび上がるので、「同一犯」という推理が成立する。
 犯行時間、侵入手口、被害相手の地理的条件、家の特徴、盗むものの傾向に共通点が現れる。
 人間というものは、必ず「節約=単純化」するものなので、事態を複雑化させることはしない。複雑化させると、犯罪者本人が、自分が何をすべきなのか分からなくなってしまうのだ。だから、手口=成功体験はどんどん洗練され、単純化されてゆく。

 私は近所に住むAというプロの泥棒老人?から、窃盗やパンクなどたくさんの被害を受けたのだが、彼がもの凄く気の小さな人間であることが分かっている。
 ところが、いったん、こちらの虚を突いて私に対する嫌がらせに成功すると、とてつもない自信家に変貌して、あらゆる嫌がらせを繰り返すのだ。
 つまり、私を「なめる」ようになる。

 監視カメラを10台も設置したのに、侵入しても痕跡を残さない。写ったと思ったカメラは持って行ってしまう。そして、必ず、盗んだものは私が、どこかしまい忘れたように工作してゆく。監視カメラも、私が片付け忘れたかのように工作し、SDカードを抜き取って近い藪に捨ててあった。
 Aは深夜、侵入してくるので、おそらく赤外線検知システムを持参して監視カメラを確認しているのだろう。例えば、スマホカメラでも夜間、赤外線が可視的に見える。

 Aは、泥棒などを含めて、もの凄い場数を踏んでいるのだ。その成功体験が、どれほどのものか見当もつかない。その鮮やかさは、本当のプロの泥棒だと感嘆させられた。
 そして、とてつもなく狡猾な人間で、善良を装って周囲の人たちを欺すのだ。
 近所の農家の人たちにAからの被害を話したところ、ほとんどの人が「Aは、そんなことをやる人間ではない」と決めつけた。
 普段から、挨拶を欠かさないので、完全に信用を得ていたのだ。

 だから、中津川警察署は、間質性肺炎で、家がゴミ屋敷のようになっていた私の告発を、虚偽、被害妄想と決めつけ、私を精神病院に送り込んだ。私への窃盗被害の事情聴取は一切行わなかったが、Aの主張はすべて信じた。
 いったいどれほどの役者なんだと、これも驚愕させられた。

 Aをデータベースで調べると、30年近く前、天白区でバイクを後ろからはねて運転者を轢き殺していた。私はAが凄まじい報復性格だと何回も思い知らされているので、間違いなく、追い抜かれたことなどに激昂してひき殺したのだろうと思った。
 Aの絶対他人を許さないマウント取りの性格を考えると、それ以外の説明はできない。

 そして、Aは泥棒でも嫌がらせでも、もの凄い数の成功体験を重ねた。そのなかには、たぶんバレれば絞首刑に処せられるものも含まれていたはずだ。
 私には、一人や二人ではない、ちょっと信じられないような凶悪犯罪の実績があるとしか思えなかった。もちろん今のところ証拠はないが、DNA検査をやれば分かるはずだ。

 だから、Aは蛭川の誰も定住しないような不便な田舎に隠れて老後を過ごすことにしたようだ。過去の犯罪がばれないように密かに暮らしていたのだ。
 そこに移住してきたのが私だった。Aは私の木工の音がよほど我慢できなかったとみえて、夜中に車にネジを挿して8回もパンクさせた。
 Aは、他人に被害を与えたことはあっても、自分が被害を受けたことはない人物に見える。そして、自分が被害を受けたなら必ず100倍返しの報復をする性格なのだ。

 Aは私から高価な無線機や工具類を盗み出した。井戸にシロアリ用ヒ素を投入した疑いもある。私の皮膚にヒ素中毒の症状である白斑が出たからだ。
 また間質性肺炎を発症して咳き込んでいるとき、嫌がらせ目的で、化学物質を燃してみせた。嫌がらせのデパートのような人物だった。

 Aは、いまだに検挙されていない。証拠を残さない達人なのだ。しかし、成功体験を残した。
 実は、犯罪者にとって成功体験は諸刃の剣だ。それは犯罪行為を行うときの自信を与えてくれるのと同時に、「手口」というデータを残してゆく。
 成功体験は、できる限り忠実に再現されるものなので、一種のパターンになってしまうわけだ。

 Aが私の車をパンクさせるとき、必ず右の前輪に木ネジを挿してパンクさせていた。前輪のパンクなど極度に少ないので、すぐに意図的に行われた嫌がらせ犯罪であることが分かった。
 また盗み出す工具も、パイプレンチやパイププライヤー、バールなどパイプ工作工具が多く、60センチや1mの長尺スケールも盗まれた。これは、どこかで(例えばAの娘の家?)で使うように思えた。だいたい泥棒に実用的な工具ばかりで、無線機は、集団での窃盗連絡用に使うのではないかと思った。
 深夜、忍者のような上下服を着て歩いていることから、たぶん、泥棒は現役なのだろう。近所で車上荒らしがあったと聞いたので、Aの仕業かもしれない。

 移住してから20年間の間に、Aの手口が浮き上がって見えるようになったとともに、Aのこれまでの成功体験も見えてきた。
 もう80近い年齢なので、これまで築き上げた成功体験のパターンから外れることもできないだろう。

 私としては、まさかA宅に殴り込んで刺殺もできないので、Aの成功体験、これまでの侵入パターンを逆手に取って対策するしかない。
 また、Aは、昨年末から、新たな嫌がらせを行っていないが、過去数十年にわたる成功体験がある以上、再び私への嫌がらせや窃盗を再開するのは確実とみている。
 どんなに我慢しても半年が限度だと思う。すでに何回か、再び私の家への侵入を試みているはずだ。実際に、設置してあった鳴子が鳴ったことがあった。

 Aほどのプロの泥棒になると、研ぎ澄まされた勘を持っていることが多い。
 深夜、鳴子が鳴った瞬間に、私が目覚めたことに気づいたはずだ。それ以来、しばらく気配が見えない。
 だが、必ず再びやってくる。そのときが最後の勝負なのだ。

 さて、私は肺線維症を発症して9年、最大延命記録が10年なので、来年までには死を覚悟し、それを前提にしてきた。
 死ぬまでに、なんとか、このゴミ屋敷を整理して「立つ鳥跡を濁さず」にしたいが、今のところ無理かもしれない。

 もうすべての費用が暴騰していて、我が家を更地にするだけでも400万円以上かかるようだ。とても、そんな金はない。何せ、この土地の売価が200万円なのだから。
 だから、やがて心霊スポット廃墟になるのは間違いない。
もう12年くらい前から、自民党青年部、統一教会部隊の嫌がらせで、グーグルアースに我が家が廃墟として登録されていた。排除要請にグーグルは応じなかった。まるで嫌がらせを容認しているようにしか思えなかった。

 私も、毎日、「遺書」のつもりで、このブログを書いているのだが、「ずいぶん長い間続く遺書だなあ」と嫌みを言われそうだ。
 私は、まだ毎日7000歩を歩き続けている。少しずつ機能が落ちてきて、先週容易に登れた坂が、もう息切れで登れないという風に劣化してゆく。
 歩けなくなったときが一巻の終わりだ。

 山を歩けるのに、家の草取りができないのかといわれると、草刈り機を持って10分もすれば、まともに呼吸ができなくなって気を失いそうになる。まったく、歩けることが不思議なのだ。
 家の中で布団を上げているだけで息苦しさが強くなって、行動の意欲を失ってしまう。
 それでも、日常生活の最低限のことしかできないのに、ハイキングコースは歩ける。

 だから、間質性肺炎になったら毎日歩かなくてはいけない。歩いているうちに、血液が全身を循環し、呼吸力は小さくても、酸素保持能力が大きくなるし、酸素供給システムが合理化されてゆく。
 「呼吸トレーニング」は歩いているだけでもいいのだが、可能なら、限界に近い坂道で、全力で吸気し、全力で排気することで、残り少ない肺胞細胞を最大限に活性化させるのだ。

 これで間違いなく延命できる。私が当初、見た説明では、呼吸にブツブツバリバリ(ベルクロラ音)が出たなら、頑張っても余命は5年といわれていたのだ。
 その後、呼吸トレーニングを頑張れば10年でも生きられることになった。それ以上は、たぶん事例が確認されていないと思う。

 まあ、人は必ず死ぬ。以前、私が付き合っていた講談師の田辺鶴瑛は、「ピンピンコロリ」という創作講談で一世を風靡した。
 死ぬ前日まで元気でいて、苦しまずあっけなく死ねるのが最高の人生という発想だ。
 私が目指しているのも、それだ。死ぬ前の日まで、ブログを書いて、山を歩いていたい。たとえゴミ屋敷でも仕方ない。

 今、私を支えてくれているのは、上に書いたAへの「落とし前」である。Aが死なないうちは自分も死ねないというのが心の支えになっている。
 人生はきれい事ではない。次の転生、生まれ変わった人生を、どのように設計するのか、それが問題だ。