五人組共同体 | tokaiama20のブログ

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 以下、ウィキより一部引用
  制度の起源は、古代律令制下の五保制(五保の制)といわれる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D#%E6%A6%82%E8%A6%81

 時代が流れ、1597年(慶長2年)豊臣秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組・農民に五人組を組織させた。江戸幕府もキリシタン禁制や浪人取締りのために秀吉の制度を継承し、さらに一般的な統治の末端組織として運用した。

 五人組制度は村では惣百姓、町では地主・家持を近隣ごとに五戸前後を一組として編成し、各組に組頭などと呼ばれる代表者を定めて名主・庄屋の統率下に組織化したものである。これは連帯責任・相互監察・相互扶助の単位であり、領主はこの組織を利用して治安維持・村(町)の中の争議の解決・年貢の確保・法令の伝達周知の徹底をはかった。また町村ごとに遵守する法令と組ごとの人別および各戸当主・村役人の連判を記した五人組帳という帳簿が作成された。

 実態は、逃散したりして潰れた家や実際の住民構成とはかけ離れた内容が五人組帳に記載されていた場合があったり、また年貢滞納をはじめとする村の中の争議は、村請制の下では五人組ではなく村落規模で合議・責任処理されるのが普通であったため効果としては疑問がある。

 また、村によっては一つの村内で領主が家ごとに別々(相給)になっているケースがあり、その場合には領主が編成する五人組と村が居住区域をもって定めた五人組(「郷五人組」)が並存するという現象も生じた。しかし五人組制度が存在することによって、間接的に名主・庄屋の権威を裏付け、住民の生活を制約すると同時に町村の自治とりまとめを強化することには役立った。

 他方で米沢藩の上杉鷹山のように、初期の五人組などの組合を再編して、相互扶助を重視した「伍什組合」を編成した藩もあった。
 近代的自治法の整備とともに五人組は法制的には消滅したが、第二次世界大戦中の隣組、戦後は町内会にその性格は受け継がれていた。
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 引用以上

 日本社会に確実に五人組制度を政策として実現したのは、豊臣秀吉だったといわれる。
 これは、おそらく織田信長による家臣統制の「人衆」と呼ばれたグループ化をヒントにしたものだっただろう。
 秀吉は、信長麾下で前田利家のグループに含まれ、利家妻のマツと、ネネの深い交際は、テレビドラマでも知られている。

 五人組は、慶長2年年三月の豊臣秀吉の掟に始まり、侍は五人組、下人は十人組を組織させた。慶長13年10月に藤堂高虎は、新封地内(伊予国)に発した政令で、農民を十人組に組織させた。
https://komonjyo.net/goningumi02.html

この民衆レベルでの運命共同体=連帯責任制を家康は社会統制の基本単位として採用し、宗教・人別・徴兵動員・年貢・治安などの共同と連帯責任を課すことで、強力な共同体として機能させた。
https://komonjyo.net/goningumi02.html#:~:text=%E4%BA%94%E4%BA%BA%E7%B5%84%E3%81%AE%E5%BD%B9%E5%89%B2%E3%81%AF,%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E5%8B%99%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 上のなかに「キリシタン、監視密告」が含まれているのは、当時の事情を知らない人には奇異に映るだろうが、ザビエルが日本に寄港してから、ポルトガル・カトリック教徒は、キリスト教を布教しながら日本人婦女子の奴隷狩りを行い、総数で50万人を超える(当時の人口は1500万人だったので、現在換算で400万人を超える)若い女性を奴隷として海外に売り飛ばしたので、秀吉が「バテン連追放令」を出し、厳重に監視し始めたことによる。

 五人組は、日本の婦女子をカトリック奴隷商人から守る意味合いが大きかった。
 家康も、この民衆統治の基礎政策を維持し、そのまま年貢連帯責任制度として、百姓を厳しく管理した。
 五人組は、五軒連帯責任を伴う共同体として、幕府崩壊まで民衆を縛り付けた。五人組には、菩提寺のような寺社も付随し、教育と年貢、治安維持の役割も担った。

 江戸時代90%を超える世界最高の識字率を誇った日本社会の教育を支えたのは、まさに五人組に付随して作られた檀寺による寺子屋だったが、これはキリシタン監視のため「宗旨人別制度」を設け、遠方に出かけるときも通行手形を発行した「寺請制度」によるもので、一方で人々の自由な生活を強力な檻に閉じ込める呵責のない統制制度であり、幕末までに、寺請制度に対する人々の怒りが頂点に達したことで、維新や廃仏毀釈にもつながった。

 しかし、他方で、あらゆる生活要素が五軒の連帯責任とされたことで、五軒全体が一家族としてのライフスタイルを強要され、生活共同体としての鮮明な役割が成立していた。
 すなわち、教育にせよ、食生活にせよ、宗教にせよ、介護、病気療養にせよ、五軒は運命共同体であり、支え合って生きてゆかねばならなかった。
 江戸時代には「ポツンと一軒家」は許されなかった。

 五人組の一組は、夫婦と子が数名で、老夫婦、若夫婦、子供、合わせて10名程度だから、五軒全体で最大50名にもなるが、実際には、それほど多くはない。
 亭主が死ぬと、後家は若衆のセックスの相手を強いられた。しかし、若い娘は、おそらく他の組からの通い婚であったことは、遺伝学上の問題から想像がつく。

 徳川幕府崩壊とともに、五人組制度は廃れるが、地域社会を300年も縛り付けていた制度には、良い点も悪い点もあり、簡単に崩壊されては困るものもあった。
 実際に、明治政府は、廃止したはずの五人組を徴兵制度の連帯責任として利用した。
 介護や病気療養、片親世帯では、五人組共同体は、有効に作用していた。

 太平洋戦争前まで、五人組制度の残渣は「隣組=町内会」として強力に機能し、大政翼賛会の単位としても機能し、戦争を支えるものとなった。
 今生きている80歳以上の老人たちは、「隣組」について鮮明な記憶を持っているはずで、これは、祭りや地域自治、治安の単位にもなり、徴兵推進の組織にもなり、大政翼賛会の手先として、民衆の財産を強奪する手先ともなった。

 今は、例えば高知県では結婚の46%が破綻し、人々は配偶者を二回取り替え、他府県もこれに準ずる離婚率に迫っているが、1960年代までは、離婚率は10%にも満たなかった。
 また結婚率も、1960年で適齢期未婚率は2%程度だったのに対し、現在では男性で25%を超えている。この理由は、適齢期男女を無理矢理でも結びつける「おせっかいババア」の有無なのだ。

 五人組制度では、ほとんど必ずといっていいほど「お節介ババア」がいて、手当たり次第に男女を娶せた。そうしないと、五人組の機能が悪化して、全体の生活が苦しくなるからだ。五人組で楽をしようとすれば、人口を増やすしかないのだ。
 戦前の「隣組制度」でも、お節介ババアは生きていて、未婚の男女を発見すると、憲兵のように摘発して、無理矢理でも結婚させられた。
 だが、人生に消極的な者にとっては、必要なシステムだったといえるかもしれない。

 現在、隣組制度の消滅と、個人のプライバシー尊重の風潮のなかで、「お節介ババア」が失われ、未婚の男女を探し出して無理矢理結びつける「天使のババア」がいなくなったことで、人々は孤立し、生涯独身の男女が激増しているのだ。もちろん私もその1人だが。

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 さて、延々と五人組について述べてきた理由は、現在の日本社会が、自民党政や官僚たちの劣化によって、とてつもなく衰退し、コロナ禍に見えるように、強欲だけは数人前だが、実力はひどく無能な人物ばかりで占められていて、もう社会全体の崩壊が避けられないことが、鮮明に見え始めたからだ。

 このままゆけば、日本という国は、あと数年でこの世から消えてしまうかもしれない。まともな人材がいないからだ。
 これも愚かな学歴競争社会がもたらした結末なのだ。学歴や権威を得ることだけが至上の価値であるかのように思い込まされた若者たちは、人生に本当に必要なものを見失ってしまい、目先の利権や蓄財だけがすべてだと勘違いさせられている。

 人々は、利己主義だけが人生の価値であるかのように思い込まされ、利他主義の思想は、嘲笑されるがままになっている。
 もう国家による権力統制も自滅するのが時間の問題だろう。しかし民衆の生活だけが残される。このとき、人々は力を合わせて明日の生活を築いてゆかねばならない。

 そこに登場するのが、ヤマギシズム方式の農業共同体なのだ。
 別にヤマギシ会に入れと言うわけではない。今のヤマギシ会には問題がありすぎて薦めない。エッセンスだけを利用すればいい。
 みんなが利己的な蓄財や権力への憧れを捨てて、利他主義に生きる共同生活体は、このめちゃくちゃな社会で生きようという意欲があれば、必ず必要になる。

 私は、江戸時代の五人組共同体が参考になると指摘してきた。
 総人数が20~50名程度の緩い共同体で、助け合って生き抜いてゆくビジョンを共有することが、この滅亡寸前の末期ご臨終社会のなかで唯一の救いの道だ。
なぜ、少人数かといえば、大人数の共同体では、必ず階層差別が発生し、権力と序列が発生することになり、新たな権力構造が生まれてしまうからだ。

 竹中平蔵のように、「グレートリセット=スーパーシティ構想」が人類の未来の理想だと勘違いしている馬鹿は無数にいるので、組織が成立して、権力が確立すれば、トップに立つ者は、必ずといえるほど、自分の権力と利権を守るために、「未来社会の幻想」に向かってゆく。

 だから、大きな組織を作らない。権力を作らない。利他主義を共有するという農業共同体の哲学のなかで、「助け合って生きる」という根源的価値観を共有することが一番大切なのだ。
 こうした利他主義共同体とでもいうべきシステムに向かうには、たくさんの入口がある。私は、過疎の田舎で、数名の親しい家族が寄り添って生き抜くことが、この共同体の原点になると考えている。

 教育も介護も、病気療養も、孤立した家族でなく共同するようにすれば、個人への負担は劇的に軽減される。
 仕事は、自然農法におけるオーガニック農産品は、人々がもっとも必要とするニーズであり、この生産を核心にした、せいぜい数十名の共同体を目指すことが、今の日本社会で、もっとも合理的で、唯一、救いのある方向性なのだ。

 ただし、原発事故で汚染されないことが前提だが……。