「ネガティブ」という言葉の意味は、一般的に否定的・消極的・悲観的・マイナス思考・ものごとを悪い方にしか考えられない……などだ。
対立語である「ポジティブ」の意味が、 肯定的・積極的・楽観的・物事を良い方向に考えるプラス思考とされ、対比させてみれば分かりやすい。
我々は、日常生活のなかで、ネガティブを代表する思考法に向き合わされている。
例えば警察だ。警察官は、志望する段階では、世のため人のため、社会の秩序を作ろうとポジティブな志向を持っている人が多いのかも知れないが、警察社会の階級差別による屈辱感の累積や、人間性を無視した権力の濫用を強いられる現実のなかで、徐々にネガティブな権力独裁意識の色合いを濃くしてゆく。
すなわち「人を見たら犯罪者と思え!」と、究極のネガティブ思考に取り込まれてゆくのだ。
今では、大都市の都心部を歩く若者たちは、私服警官たちの陰湿で常軌を逸した犯罪者疑惑の思い込み視線に絶えず晒され、大きなストレスを強いられることになっている。
彼らは、若者たちを見れば、必ず暴走族か万引き犯か、恐喝犯、あるいはテロリストのように思い込み、職質でゲロさせて、犯罪未然防止・摘発の表彰を受けたいと、ギラギラした目つきで歩き回っている。
以下は、10年ほど前に、私が書いたブログだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-36.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-37.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-38.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-39.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-40.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-41.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-42.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-43.html
当時、山へ行くのに、新宿の登山用品店に寄って、十徳ナイフを買い求め、外に出たら、職質を受けて勝手にザックを調べられ、出てきた十徳ナイフを見て、「軽犯罪法・銃砲刀剣類取締違反」と決めつけ、逮捕した事件が、数回以上も起きている。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-16/2007121614_01_0.html
http://butcher.asablo.jp/blog/2006/08/20/492636
上のリンクにも書いてあるが、刃渡り6センチ以上のナイフ、8センチ以上の果物ナイフを所持していれば、一発逮捕。「正当な理由なく」との但し書きがついているのだが、登山でも、花見でも、なぜか正当な理由として認められず、罰金30万円以下、懲役2年以下の刑罰を与えられる。(所持だけで)
それだけでは、すまない。実は、ドライバーを携帯していると、それだけでピッキング防止法で逮捕され、車の常備工具として車内にあっても、窃盗予備罪で逮捕される。
宅配便ドライバーは業務用にカッターナイフが必要になるが、取締実績が欲しい警官の手にかかると、業務用であることを承知で狙い撃ちされ刃物携帯として検挙され罰金を科されるのだ。
また、我々は、サミットなどの警備で動員された警官が、茂みの影で立ち小便している光景を目にするのだが、彼らは、一般市民に対して、そうした火急の用足しを発見すると、大喜びで逮捕し、軽犯罪法で送検することがある。
https://matome.naver.jp/odai/2148669344522178501
個人の玄関でやれば、当然犯罪になるのだが、そうではない。警察が狙い撃ちするのは、安倍晋三政権に対する抗議デモの参加者である。
ちなみに、私は47年前の立川基地デモで、一般市民が立ち小便で逮捕される光景を目撃した。自分は、デモに参加しただけで逮捕され一週間拘留された。
今の警察官は、逮捕実績を積んで表彰されたい一心で、完全な脱法検挙を平然と行う習性がついてしまっているので、我々は、複数の記録装置(スマホ撮影は妨害されるので)を常時、携帯し、録音録画による証拠保全を行い、後に、担当警察官個人を特定した賠償請求を行う必要がある。
以下の動画は、現職弁護士による職質違法行為の解釈で参考になるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=QBi2I9aVkvk
最近の傾向としては、通学途上の児童を見ていただけで、不審者として手配される。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-485.html
我々の若い時代には、16歳女子の結婚や同棲など、合法で、全然珍しくもなかったが、今では、これが「児童性犯罪」という重罪で処罰されるようになった。
女子児童が道端でトラブルに遭っても、下手に近寄っただけで性犯罪者にされることもある。
パソコン上には、脱法ポルノが溢れているが、これを喜んで見ていると、キャッシュに記録されたデータだけで性犯罪として検挙される可能性がある。
とりわけ、欧米では、福音派というキリスト教でありながら、ユダヤ教の戒律派(パリサイ派)のような価値観で、ポルノを監視検挙する集団がいる。
彼らは、日本で普通に販売されている児童漫画をダウンロードしてパソコンに保管しただけで児童性犯罪者として検挙され、危うく数年の長期刑に服さねばならないところだった。
https://news.livedoor.com/article/detail/5674893/
https://www.excite.co.jp/news/article/Slashdot_09_11_11_0645229/
https://ironna.jp/article/3358
これまでは、この種の児童ポルノ問題は、主にユダヤ教(福音派を含む)の影響下にある欧米の問題だったが、今では、日本国内でも、似たようなユダヤ教性倫理の戒律が持ち込まれ、児童の定義が12歳だったのが18歳になってしまっている。
これは世界ユダヤ教グループのグローバルスタンダード工作によるものだろう。
上に紹介してきた、ネガティブな戒律で人々を拘束する思想は、ほぼユダヤ教徒、それも戒律派=パリサイ派と呼ばれるカルト集団が世界に拡大してきた論理といってもいい。
ちなみに、イエスの天敵として君臨したパリサイ人の子孫こそロスチャイルドである。世界屈指の金融詐欺集団であるゴールドマンサックス・ソロモンブラザーズも、この傘下にある。
アメリカでは、これがクリスチャンシオニスト=福音派が代替している。
人類社会をネガティブな戒律の鎖で雁字搦めに拘束するというのが、ユダヤ教徒の根源=旧約聖書の思想である。
これが究極のエッセンスとして述べられているのが、旧約聖書のレビ記である。この戒律の凄まじさをご覧いただきたい。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)
人々から自由を奪い、処刑の恐怖と戒律で拘束し、「自分は犯罪者だ」とネガティブな自己否定に陥らせ、その代償として、宗教的理念への依存精神を与えるというのが、このカルトの常套手段である。
ちなみに、旧約聖書を絶対聖典としているのが、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の福音派・モルモン教・エホバ派、それにカトリック、そして韓国統一教会で、これらに共通するのが苛酷な戒律主義である。まあ、日本会議も同じ延長上にあると考えた方がいい。
人の自由な心を戒律で拘束し、代わりに神の恩恵という、ありもしない果実を見せびらかす。これこそ、グローバルスタンダードの本質であることを知るべきだ。
そして、こうしたネガティブな思想的拘束の上に、自民党安倍晋三政権が君臨している。安倍晋三は、すべて卑劣な裏工作に頼る人物で、ネガティブを絵に描いたような権力者だと思うべきだ。
こうしたネガティブ権力も、あと数十年で地球上から消え去るとバシャールが予告しているわけだが、我々はネガティブの対極にある、ポジティブな思想とは、どのようなものか、はっきりと自覚する必要がある。
それは、「人間解放」である。
人の心に束縛されない自由を与える。これは、資本主義の論理に敵対するもので、人々を奴隷として命まで利用しようとする金儲け思想の資本主義にとって、人々の心の自由ほど許せないものはない。
だから、皇室の神格化とか、徹底した権威主義、先例主義とか、現実に合理性の存在しない屁理屈を持ち出して、正当化しようとする。
我々は、自分の心の何を解放しなければならないのか?
それは、大変なテーマだが、これから少しずつ提起してゆきたい。