明治5年10月に開業した新橋~横浜間の鉄道は,翌年(明治6〔1873〕年)に以下の通り,4回のダイヤ改正が実施されました。
①明治6年3月1日
・列車増便
新橋,横浜の両駅から13:00発の列車を新設。
→11:00発と14:00発の列車に集中した混雑があり,混雑緩和を目的とした増便。
②明治6年5月1日
・列車増便
新橋,横浜の両駅から07:00発,19:00発の列車を新設。
→始発列車の繰り上げと最終列車の繰り下げが行われた。
→12時台を除き,毎時1本の運行が行われるようになった。
③明治6年7月25日
・列車減便
新橋,横浜の両駅から13:00発の列車を運行中止。
→炎暑のため,運行中止。
④明治6年10月5日
・列車減便
新橋,横浜の両駅から07:00発,19:00発の列車を廃止。
・運行中止列車の復活
新橋,横浜の両駅から13:00発の列車を運行再開。
同じ年に2~3ヶ月の間隔をおいて4回もダイヤ改正を行うのは,現代から見て尋常ではない頻度であると見えます。
鉄道開業初期の頃は,ダイヤ策定も試行錯誤の連続であったことが読み取れます。
混雑緩和のための増便,始発列車の繰り上げと最終列車の繰り下げ,夏場の暑さに対して日中時間帯の一部の列車を運行中止とするなど,色々な理由があることが読み取れます。
当時は蒸気機関車牽引の客車列車であったことを考えると,夏場の乗務員の労働環境は過酷であったことは想像に難くないと思います。
7月25日ダイヤ改正における13:00発列車の運行中止は乗務員の労働安全衛生を考慮して措置であったと考えられます。