「東海道新幹線開業前の東海道線」,第2回目は豊橋駅発の東海道線下り普通列車にスポットを当ててみたいと思います。

 現在ではJR東海の東海道線における名古屋地区と静岡地区の境目になる駅で,岐阜・大垣方面からの列車は大多数が豊橋で折り返しています。

 しかしながら,早朝・夜間,日中の一部列車においては岐阜・大垣方面と浜松・静岡方面を直通する普通列車,新快速,特別快速などが運行されています。

 それでは,昭和39(1964)年9月の東海道線豊橋駅発・下り普通列車の時刻を一気に書き出して,当時を振り返ってみたいと思います。

 

〔5時〕 大阪02

〔6時〕 大阪00 大垣16

〔7時〕 米原00 大垣28

〔8時〕 名古屋13 米原30 米原45

〔9時〕 大垣33

〔10時〕 米原00 米原50

〔11時〕 名古屋54

〔12時〕 大垣46

〔13時〕 米原16

〔14時〕 大垣06 京都30

〔15時〕 大垣33

〔16時〕 関ヶ原29

〔17時〕 米原00 米原25

〔18時〕 米原07 米原31

〔19時〕 名古屋21

〔20時〕 岡崎26

〔21時〕 大垣03

〔22時〕 姫路01 岡崎32

 豊橋駅でも現在のようなパターンダイヤは影も形も無く,特急や急行,貨物列車の合間を縫って普通列車が運行されていました。当時の東海道線では特急列車や急行列車が長距離旅客輸送の主役でしたが,普通列車も長距離旅行客における安価な移動手段として利用されていました。

 現在のように高速道路網が広く整備される前の時代ですから,人々の移動に鉄道は必須の乗り物だったのです。

 また,荷物を送り届けることも鉄道が担っていたため,長距離を走る普通列車に荷物車を併結して運行するほか,貨物列車とは別に「荷物列車」も運行されていた時代です。

 普通列車の時刻に目を向けてみると,大垣行きや米原行きが平然と運行されていて,名古屋行きも少数ながら運行されていました。少なくとも,上記のようなダイヤでは行先や発車時刻が時間帯によってバラバラですから,現代の感覚で見ると「使いにくい」ダイヤであろうと思います。

 大多数の人々が自動車を持っていない時代,鉄道を利用することが旅行や出張などの前提条件となっていましたが,誰もが特急や急行を利用できるわけでもありませんでした。この時代,特急は文字通りの「特別急行」でした。今ほど「座って快適に行きたいから特急に課金する」というような気軽に乗れるような列車ではなかったことは想像に難くありません。 

【出典】

『時刻表完全復刻版 1964年10月号』(JTBパブリッシング・2020年)