Digital TEXT 2020

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2年H組の学級通信です。

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終業式を迎えました。

 

2年生になって、この1年、色々なことがありました。

一斉休校から始まり、分散登校を経て、通常登校になりました。

学校の中では「新しい学校生活習慣」として、マスクを着用し、密を避けるように呼びかけ、全クラスに消毒薬と空気清浄機が設置されるようになりました。授業の仕方も変わりました。また、多くの行事が、中止となったり、変更となったりもしました。

 

そのような大小様々な変化がありながらも、皆がしなやかに対応し、今日の日を迎えられたことを嬉しく思います。

分散登校時、Zoomを使ってホームルーム実験や保護者会実験を行い、会話をしたことを懐かしく思い出します。

 

いよいよ4月からは、中学最高学年に進級します。

この先も、引き続き心と身体の健康を最優先にして行動を選択してください。

これまでにも伝えてきた事柄と重複しますが、是非とも自分だけでなく、自分以外の人の「生命」と「心身の健康」の両方を重んじられるようになって欲しいと思います。

 

生きていると、誰かに傷を追わせてしまうことがあります。

意識をしていなくても、相手の心に消えない傷を残してしまうことはしばしばあります。

自らの意を通すため、意識的に相手の弱い部分、触れられたくない部分(、更に言えば、言ったとしても、どうしようもできない部分)を責めるということも往々にして行われます。

 

自他限らず、誰かを傷付けないように生きることは、とても難しいです。

人はそれぞれ、考え方も優先順位も異なります。同じ血を分けた家族であっても、違います。

モノの見方も違えば、捉え方も違います。

表現するために用いる「ことば」も違います。

 

だからこそ、それぞれの違いを認める寛容さをもち、自他の両方を大切にすることが求められます。

どちらか一方に偏るのではなく、両方のバランスを大事にし続けられるような力を伸ばせるようになって下さい。

 

この先、何が起きるか分かりません。

個人、家庭、社会…様々なレヴェルで、当たり前に過ごしていた日常が、当たり前でなくなる状況に直面することも出てくると思います。例え何があっても、柔軟に対応できるよう、日頃から、いざを想定して行動ができるようになって欲しいと思います。

また、どんな窮地に追い込まれても、生きる希望を失わず、レジリエンスを高められるような人でいて欲しいと思います。

 

この先も、健やかに生きていくことを、心から願っています。

 

机を拭きながら、色々なことを思い出しました。

先日12日(金)は遠足が行われました。

ただ、あいにくの空模様となり、現地でも何度か雨に降られました。

(特に、ちょうど園を出る時間帯に雨足が強くなりました)

 

生徒たちも、転んだり水溜りに足を取られないよう注意しながら、あわててバスに駆け込んでいきました。

点呼により全員揃ったことが確認されると、バスは一路学校へと向かいました。

 

走行が落ち着いた頃、バスガイドさんが「こちらの生徒さん、本当に優秀ですね」と話してくれました。

詳しく聞いてみると、バスに乗車する前に、濡れた上着を脱いで水滴を払ったり、上着の外側を内向きに折り、バスのシートなどが濡れないように気をつけていた生徒がいたとのことでした。

 

「大人のお客様でも、そのような方はほとんどいらっしゃいません。」とガイドさんは非常に嬉しそうに語って下さいました。

彼女たちや運転手にとって、車内は大切な「仕事場」です。また、この疫禍のなか、乗車するお客さんに快適に過ごしてもらうため、消毒をしたり、換気を徹底したり、これまで以上に細心の注意を払っています。

特別な場所だからこそ、バスを「ただの移動手段」ではなく、大切な場所として扱ってくれるお客さんに出会えると、「頑張ろう」という気持ちになるそうです。

 

また、今回の遠足ではH組の多くの子が「お願いします」「ありがとうございます」と元気よく声を掛けてくれた、とも話してくれました。

 

「他の従業員にも自慢します」と笑いながら話してくれ、こちらまで暖かい気持ちになりました。

 

「皆で使う空間だから、大切にする」「無事に、心地よく目的地まで送り届けてくれたことに対して感謝の意を伝える」

一見すると当たり前のことのように思うかもしれません。

ですが、当たり前なものほど、蔑ろにされてしまうことはしばしばあります。そうした中で、当たり前を大切にし、心遣いのできる子が育っていることを、嬉しく思っています。

 

学校の周りのハクモクレンが、綺麗な大輪の花を咲かせています。

モクレンは、学校が所在する名古屋市東区の木で、徳川園周辺や建中寺の周りなど様々なところで見ることができます。

今日で、学年末考査が終わりました。

「やっと終わった」とホッとする気持ちも出てくるかもしれません。

部活動や、楽しみにしていたことがある人は、しっかり楽しんで欲しいと思います。

それと同時に、試験後の振り返りも行ってもらえたらと思います。

 

今年は行事予定の変更に伴い、例年に比べ、答案返却まで少し時間があります。

試験を「やりっぱなし」にするのではなく、「何ができて、何ができなかったか」を、頭と体が覚えているうちに是非行なって下さい。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があります。

例えどんなに、試験前に苦労し、試験中も考え、悩んだ部分があったとしても、事後、何事もなかったかのように流してしまうと、再び同じような過ちを繰り返すことになり兼ねません。

 

もちろん、自分ができなかったところを振り返るのは、痛みが伴います。避けて通れるならば、触れないでいたいというのも人情だと思います。ですが、言い換えればそれだけ「人に対する力を持つ」ものでもあります。正しく振り返ることができれば、自身を高める効果は大きいです。

 

自分では「勉強した」と思っていたけれど、「結果が思うように振るわなかった」ということは、案外見られます。その感覚が残っているタイミングで、立ち止まって考えることが大切です。

 

例えば、試験の答案を分析すると、取り組みの様子が垣間見えるものもあります。

それぞれ(自身では)「勉強した」つもりになっていても、努力の方向がずれてしまうと、結果としてはなかなか現れません。

だからこそ、「どこを、どのように改善すれば良いか」を具体的に、意識的に考えられる習慣を身につけられるようになって欲しいと思います。

この1週間を、是非とも有意義に使って下さい。

部活動が再開された中学グラウンド。

雲ひとつない青空の下、生徒の声が響き渡ります。

学年末考査も、折り返し地点を迎えました。

今回は、土日を間に挟んでいることもあり、比較的余裕をもって試験に臨めるという声を聞きます。試験勉強を通じて学ぶことは、学習能力の向上だけに限ったものではありません。適度な緊張感と精神的余裕、肉体的余裕、時間的余裕のバランスを取り、本番に備え、臨むことを、是非とも学んで欲しいと思います。

 

バランス感覚のマネジメントは、学習のみならず、遍く全てのパフォーマンスを披露、発揮する場面---これは、人に話をしたり、演技や演奏することのみならず、スポーツや、制作活動、あるいは研究や、運転・操縦など、人の活動・営みにおけるあらゆる場面を想定しています---において、通じるものでもあります。

 

先にあげた「余裕」は、実際のところ、それぞれが独立しているのではなく、互いに連動し合って存在しています。

 

例えば、心と体に余裕をもつには、適度な休息、気分転換や運動などが必要です。

一方、時間的余裕をもつには、「時間を管理する能力」が必要となります。

 

今話している文脈は、「学年末考査を迎え、学習を行う」ことを想定したものです。

いくら「休息が必要、気分転換が必要」と言っても、優先順位が逆転して「ずっと休息」してしまっては本末転倒となります。

ここで関わるのが、「時間を管理する能力」です。

「優先順位」を間違えないようにオンとオフを切り替えることで、これらのバランスを維持することが可能になります。

 

しかし、「時間を管理する」というのが、なかなかの曲者です。

平たく言えば、「決めた時間に、決めたことをする」力です。しかし、これを達成するためには、「いつ、どこで、何をするかを決める力」と、「一度決めたことを遂行する力」という異なる力が必要になる訳です。

 

この2つの力は、個人差がとても大きいです。さらに言えば、「好きなことなら、遂行できるけれど、興味がないこと、関心が向き難いことになると途端にダメになる」という、ムラがある場合が少なくありません。

 

人それぞれ違っているからこそ、自身の特性に向き合うことが、解決の緒を見出すポイントとなります。

自身のバランス感覚を鍛える上では、自分自身を知ることが大事です。

教科を学ぶだけでなく、自分がどのような特性をもっているか、どうしたらバランス感覚を持つことができるか、学ぶきっかけになると良いなと思います。

先日、卒業生を送り出したばかりの高校校舎。

ここからそれぞれの未来へと羽ばたいていきます。

この学校には、色々な子がいます。

先日も、駅の階段で重い荷物を抱えたお年寄りの荷物をもって、運んであげた、という話を聞きました。

友達同士で帰っているときに、駅で体調を崩された方に出会い、何人かで介抱し、別の子が駅長室まで駅員さんを呼びに行ったという話を聞いたこともあります。

校内で落ちていた物を職員室に届け、落とし主が心から感謝をしていた場面に遭遇したこともありました。

こうした選択ができる子がいることを、本当に誇らしく思います。

 

いずれも、気が付かないまま通り過ぎてしまう人も少なくありません。

例え気が付いたとしても、他人事として無視してしまう人もいます。

そうした中で、自らの手を差し伸べることができるのは、とても尊いことだと思います。

 

しばしば教室では、よくない事例をもとに「そうしたことがないように」と注意する場面があります。

ですが「マイナス」を伝えるよりも、このような「プラス」を伝えられる方がずっと良いなと思います。

 

自分自身も、自分以外の人も両方大事にでき、困っている人に、手を差し伸べることのできる人に育って欲しいと願っています。

講堂・舞台横の通路。

天井や壁面など修繕されていますが、歴史を感じさせる佇まいです。

何人もの生徒を迎え、送り出してきた場所です。