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Digital TEXT 2020

2年H組の学級通信です。

2日(火)の朝礼の際に、令和3年度前期生徒会役員による所信表明演説が放送により行われました。

 

先週の立会演説会では、会長立候補者らによって選挙公約が語られ、一体何をしたいのか、あるいはどのような人物なのかなどを、知ることができました。今回の所信表明では、無投票当選を果たした他の役職の生徒、すなわち副会長、書記、会計の子たちによる演説も行われました。

 

朝、職員室前に集まった役員の子たちは、緊張した面持ちを浮かべながらも、和気藹々とした雰囲気を出していました。

今回の所信表明演説は、新生徒会執行部との最初の接点としてとても大切な場であります。

ですが、それぞれが緊張に打ち勝って、自身がどんなことをしていきたいか、どんな学校を作っていきたいかを話してくれました。

 

その中で、H組の子たちが一際集中して聞いていたのが、今回書記に立候補し、当選を果たした加藤くんの演説です。

選挙管理委員長により、名前が読み上げられた瞬間、クラスメイトの「いよいよだ」という表情をしていたのがとても印象に残っています。

 

加藤くんの想いはしっかりと伝わったようで、演説終了後の余韻の中、自然に拍手が湧き上がりました。

決して茶化すような感じではなく、穏やかなものであり、本人が聞けなかったのを残念に思っています。

 

今回、加藤くんが役員の一員になったことで、「生徒会」という存在がより近く感じられるようになる子も出てくると思います。

自分も手伝えることがあったらしたい。一緒に面白いことをしたい。あるいは、何かするでもなく、授業後に生徒会室に立ち寄る切っ掛けが生まれることがあるかもしれません。

でも、そこからまた、新しい化学変化が生じることも、十分にあり得ます。

そのような「始まり」が生まれる切っ掛けになるといいなと思っています。

 

この学校には色々な生徒がいます。

自分の周りの、自分とは違うものを持った子たちと関わる中で、互いに刺激を受け、切磋琢磨して欲しいと願っています。

教室から見える鮮やかなモモの樹。

植樹されたものではなく、鳥が運んできた種が大きく育ったもののようです。

先週26日(金)は、令和3年度前期生徒会役員選挙が行われました。

 

現中学3年生が卒業し、4月からは今の中学1年生、2年生を中心に様々な学校活動が行われるようになります。その中で「自分自身が生徒会の一員として、学校をより良いものに、より面白いものにしたい」と名乗り出る生徒が現れることを心強く思います。

 

昨今、「生徒会離れ」が起きている学校もあるという話も聞きます。

誰かが何とかしてしてくれるだろう、という雰囲気に飲み込まれてしまう学校がある一方で、本校には、生徒会のみならず、「サタデープログラム実行委員会」や「記念祭実行委員会」など、「自分たちが中心となって活動する」という子が自発的に、自主的に参加できる環境があるというのは、すごいことなのだと改めて感じます。

 

今回、立会演説会は放送にて行われ、推薦責任者と立候補者それぞれが、自らの言葉で語りました。

薦めるポイントや、自分が実現させたい事柄を、どの生徒もはっきりと話していました。こうした姿を「見せる/見る」というのは双方にとって、大きな刺激になります。

また、今回の選挙では、それぞれの立候補者の掲げる公約に違いがあり、力点を置く場所が異なっていたのも、非常に興味深かったです。

こうした活気や多様な価値観が今後も続いていくことを願っています。

 

黄昏時の中学グラウンド。

随分と日も長くなりました。出会いと別れの春も、もう僅かです。

来週4日(木)から、いよいよ学年末考査です。

 

生徒の様子を見ていると、既に学年末に向けて準備を始めた子が何人もいるのが分かります。

他学期と違い、3学期に行われる定期考査は、この学年末考査1つしかありません。そのため、試験範囲が提示される前から、どこから開始で、どこまで進むかの見当が着けやすいという特徴があります。

 

また、3学期までの学習を振り返り「この学年末では頑張りたい」「3年生に進級する前に力を養いたい」という思いをもっている子もいるようです。

先日実施した振り返りでは、その旨を明確に書いてくれ子が何人かいました。

中には、具体的に、英語や数学、化学など、まず「なんとかしたい」「伸ばしたい」と教科名を挙げていた子もいます。このように、自分なりに考え、目的意識、あるいは危機意識をもって、行動に移せる子が増えていることを嬉しく思っています。

 

「やる気スイッチ」という言葉があります。

当事者の「なかなかやる気が出ない」、あるいは周りにいる人間からの「そろそろやる気を出してもらいたいと思っているのに、ちっともやる気が出てくる気配がない」、こうした思いが抱かれる中で「”押すだけでやる気が出てくるようなスイッチ”があれば、どんなに良いことか」と思う人は、おそらく少なくないのでしょう。

 

残念なことに、そのような都合の良い装置は存在しません。

そもそも「実行する」か「実行しないか」は、当事者の選択の結果です。

そして、しなければならない事柄に関しては、「やる気が出ないから後回し」にしても、結局、いつかは行わなければなりません。すなわち、「やる気」の有無は然程関係ないのです。

 

そもそも、「やる気」は概念です。

あたかも実態があるかのように使われることが多いですが、実際にそのような“モノ”がある訳ではありません。「やる気が出ない」と実在しないものに縋って、するべき事柄を後回しにする。

それが溜め込まれていく中で、更に「やる気が失せ」てしまう。

こうした負の連鎖を断ち切るためには、自分のするべき事柄を、するべきタイミングで実行する以外にありません。

 

「後回しにすること」が癖のようになっている人にとっては、ハードルが高く感じられるかもしれません。しかし「溜め込んだものを纏めて行う」よりもずっと楽で、かつ、できることの幅も、余裕も増えます。

 

先述したように、できるところから、意識を変える、もしくは行動を変えようとしている子が出てきました。決して、「できないこと」ではありません。

しなければならないことを後回しにする習慣を見直して、少しでも生き易く、色々な幅が広がることを願っています。

 

本館に展示された平田隆宏先生の作品、「Space」。

平田先生の作品は、街中でも見かけます。

H組でお世話になっている山田先生も昨年、個展が開かれました。

一線で活躍されている方に習う機会があるというのは、とても羨ましいことです。

昨日19日のホームルームの時間に、1年間の振り返りを行いました。

 

この1年を振り返り、自分自身の学習面や生活面での良かったところや改善点などを改めて文章にして、整理してもらいました。

これまでH組では月毎の振り返りを行って来ました。今回は年間を通じてであったので、今に至るまでの経過や、反省を元にした改善などに触れられた内容も幾つかありました。自身の課題だけでなく、自分の良い部分を客観的に評価し、伝えることができる力が大きく育っていくと良いなと思います。

 

今回実施した振り返りでは、最後に「クラスメイトの良いところ」を書く項目を設けました。その結果、こちらが見えていなかったH組の生徒の思わぬ顔が見えました。

「休んだ後、授業の内容を丁寧に教えてくれた」「最近、意識的に勉強に励んでいる」「発想や行動が面白い」「部活動に参加して頑張るようになった」「悩みの相談に親身になって乗ってくれた」「自分には無い価値をもっている」「ノートを綺麗にとっている」「よく気が付く」「話をちゃんと聞いてくれる」「実は友達想いの良いやつだった」など、数々のエピソードが書かれていました。書き始めたら、挙げ切れなくしまった、という子もいました。

書き切れないくらい良いところを見つけられる、そんな子がいることを本当に嬉しく思っています。

 

人を否定することは、とても簡単です。

自分と異なるところを論えば、すぐにできます。

例えば、○と△で比較した時、○に対して△は「角がない」と、△に対して○は「丸みがない」と言えば良いのです。

あるいは、日頃自分が注意されたり、自身に対して多かれ少なかれ感じているマイナスな部分を、相手の言動から見つけ、指摘することも、簡単にできます。自分の嫌な部分を投影し、否定するという方法です。

これらは「異なる部分」「同じ部分」と、違うところを見てはいますが、相手を見下し、拒絶することに変わりありません。

人を否定するには、自分を中心に見れば良いのです。

 

それに対し、人を肯定するには、相手の存在を中心に捉えることが必要になります。

(そのため、好きな人や、尊敬する人の良いところを見つけるのは容易なのに対し、苦手な人、距離を置いている人、いること自体が当たり前な人の場合、相手の良さを見つけることが途端に難しくなります)

 

自分以外の人を中心に据えて、自分とは異なる部分を認め、(自分も気に留めるような)良い部分に共感し、評価する。

言葉にすると簡単そうに聞こえますが、なかなかできることではありません。

 

ですが、自分以外の誰かの良いところを見つけるのは、とても暖かい行為です。

本人が気付いている部分もあれば、他の人に言われて、初めて知ることになる部分もあります。

そんなやりとりができるようになると良いな、と思います。

 

自他問わず、「人」を大切にできる人に育って欲しいと、心から願っています。

中学・高校校舎と、明照殿・本館を繋ぐ大回廊。

4面で外気と接しているため、校内の気温の変化を感じやすい場所の1つです。

先週、今週と地震が続いて発生しました。

 

先週末は福島県沖を震源とし、昨日は愛知県を震源とするもので、発生に至る過程も規模も異なり、直接的な因果関係は無いと考えられています。しかし、これら2つの地震から、自然災害は突然起きること、そして、それは決して他人事ではないということを、改めて学ぶ機会にすることはできます。

 

昨日の授業の際、未明に起きた地震に関して生徒たちの話を聞いたところ、揺れに気がついた子と、全く気がつかなかったという子がいました。

時間帯的にみて、深く眠っていたというのもあるでしょう。

震源からの距離や、家およびその周辺の地盤構造、家自体の構造などによって揺れ方にも違いが出ます。

同じ事象であっても「差」は生まれます。そして、この差が認識における温度差にも繋がります。

 

いざに備える上でも、被災された方にできることを考える上でも「想像する力」が重要となります。

しばしば、ボランティア活動や支援の現場で「善意の押し付け」が問題になることがあります。「良かれ」と思ってしていたことが、相手を困惑させたり、あらぬ手間を生んでしまうのです。

その一方で、「もしかしたら迷惑になるかも」と尻込んだ結果、何もできず、救われるはずの人が救われないということもあります。

 

当事者と、それ以外の人との間には、大きな差があります。この「差がある」という前提を認識すること。

そして、立ち位置の違いに基づく「思い込み」や「先入観」、「見えない部分」や「気が付かない部分」が生じる可能性・危険性を踏まえた上で、できる限りの情報を集め、本当に望むことを想像し、考え続けることが肝要になります。

 

「人の気持ちを考える」のは、本当はとても難しいことです。

だからこそ、考え続けること、理解するために努め続けることが大切なのだと思います。少しでも、自分以外の誰かの気持ちに寄り添える人になって欲しいと思います。

 

先日の朝の中庭です。

陽の光を受けて、午前中には溶けてしまいました。