●山田修村長は、原子力全般と東海第二原発をごちゃまぜにして

東海村は原子力発祥の地だ、といううたい文句で

村民のプライドをくすぐった。

 

しかし東海第二原発の再稼働を危ぶむことと

原子力全般を毛嫌いすることとは同じではない。

反対派は原子力研究による人類への貢献を全面否定、敵視している、

と決めつけたほうが、再稼働したい人には都合がいいのだろう。

 

再稼働に反対する人がそろって原子力全体を

否定しているわけではない。

 

●また、原発に依存したい村民は、

原発が稼働すると村に今以上のどのくらいの金が入るのかを

知らないままに、なんとなく村が潤うと思い込む。

 

原発マネーが予算の大半を占めて

がんじがらめになっている他の原発立地自治体とは異なり、

東海村は、原発からの税収入は少ない。10%もないか。

しかし、原子力全般からの収入、火力発電所からの収入を

原発からの収入と誤解する村民が多くいるようだ。

 

原発が動かなくても村に税収減のダメージは少ない。

また、廃炉作業が終わるまで何十年も雇用不安の心配はない。

 

●再稼働したい村民は

エビデンスを確認しないまま、耳あたりのいい言葉を受け入れる。

わかりやすいことは正しいこと、難しいことは面倒だ。

原発が抱える課題なんて見なければいいのだ。

国かどこかが何とかするだろう。

思考停止して、「村の発展」に夢を求めれば、

原発の負の問題など二の次になる。

原発に依存するとその金は電気代に上乗せされる、電気代が上がる

なんて言われても信用するものか。

(ほんとにこんなふうに思っているのでしょうか)

 

●こうして山田村長を支持した東海村民は、豊かさの維持を目指す。

 

でも「豊かさ」ってなんだろう。

ある村民は 「原発が動かないと楽して稼げない」 と言った。

 

事故がいつ起こるかわからない日常の不安をかかえた 「豊かさ」

 

「ダモクレスの剣」の話を共有したい。

     

●ダモクレスの剣(つるぎ)  AI回答

ダモクレスの剣とは、華やかな生活や権力の中に常に危険が潜んでいることを示す比喩表現です。

この言葉は、古代ギリシャのシチリア島シラクサの僭主ディオニュシオス2世と家臣ダモクレスの故事に由来します。

ダモクレスがディオニュシオスの権力と富を羨んだ際、ディオニュシオスは彼を自身の玉座に座らせました。

しかし、ダモクレスが頭上を見上げると、一本の細い糸(または馬の毛)

で剣が吊るされており、いつ落ちてきてもおかしくない状態でした。

この経験を通して、ダモクレスは王の地位には常に危険が伴うことを

悟ったとされています。

現代では、核戦争の脅威や、CEOなどの地位に伴う責任と不安など、

不安定な状況や潜在的な危険が常に存在する環境を説明する際に

用いられます。

この故事は、古代ギリシャの哲学者キケロが『トゥスクルム荘対談集』で

語ったことで知られ、アメリカのケネディ大統領が演説で引用した

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