もう50年以上も前のことですが、

私が通っていた高校(水戸第一高校)では

私が1年生のとき、上級生の努力によって制服自由化が実現しました。

3カ月の試行期間があり、とくに問題もなかったので、

学校には何を着ていってもいい、ということになりました。

その後50年以上、知る限り、問題は起こっていないと思います。

 

正直言って、

そのころの私は制服自由化について深く考えてはいませんでした。

自由化になることによって、その意味を考えるようになりました。

服装が自由ということは、いわゆる学生服を着てもいいということで、

学生服を着てはいけないということではありません。

でも制服が自由になると学生服が着られなくなる、という誤解をして、

自由化をいやがる意見もあります。

服装に金がかかるというなら、別に同じ服だっていいんです。

誤解をしているんですね。

何を着ていってもいいということは、何を着るかを考えることになります。

意識の差で、おしゃれな人もダサい人も出ます。

でも考えるきっかけが生まれます。(ちなみに私はダサい人でした。)

 

30~40年前に、「女子高制服図鑑」が注目されて、

女子中学生は、制服のデザインによって進む高校を選ぶ、なんてことがありました。(スケベな男にも人気だったとか)

制服自体の意味を考えず、デザインの話になってしまうことに、私はとても違和感を持ちました。

ひところ都立高校などでも制服自由化の動きが起こりましたが、結局、制服に戻ったそうです。

服装一つでも、自由を維持・継続・行使するには、各人の自覚と不断の努力が必要なのでしょう。

これ、自立するには大事なこと。

 

制服ってそもそもなんで中学生や高校生にはあって、

小学生や大学生、専門学校生などにはないのか。

ちゃんと考えると面白いんですけど。

(中には制服のある小学校や大学などもありますが、例外です)

高校教員だったころ、授業で、こうしたテーマを取り上げたこともありました。

制服論はまた別に。

 

それで、選択的夫婦別姓についてなんですけど。

夫婦に同姓を強制することを当然なこととして、選択できるということに考えが及ばないこと。

これがまず誤解です。

選択制ですから、同姓でもいいのです。

同姓を選んでも別姓を選んでもいいのです。

全員が別姓にしなさい、と言っていません。

日本以外では同姓を強制している国はありませんが、

強制しないために混乱が起こっている国があれば聞きたいですね。

 

別姓なんて許せない、全員が同姓でなければ許せない、

と他人にも同姓を強制する人、

つまり自分の考え方が正しいとしてかたくなな人がいますが、

誤解しています。それに傲慢です。思考が硬直しています。

なんで、オレ様に従えって思えるのでしょう。

別姓にすると子供がいじめられるなどと言いますが、

いじめる子って、同姓強制でなければ許せないとする大人の影響を受けた子ではないでしょうか。

 

制服強制でなければ許せない、強制的夫婦同姓でなければ許せない、というのは、

全員が同じでなければ許せない、という考えですから、恐ろしい。

全体主義の恐さを知らないのでしょう。

というか全体主義がいいと思っているのでしょう。

そろった姿が美しいから同じがいいんだ、なんていう同調圧力を賛美する考えは完全に時代遅れです。

そろった姿が美しくないなんて言っていません。

そんなことではないんです。

合理的理由もなく強制することがよくないんです。