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東海大学男子ラクロス部 -SCEPTERS-

日々の活動や、試合の告知、結果など更新していきます!!

平素より東海大学男子ラクロス部に温かいご支援・ご声援をいただきありがとうございます。
この1年、OBや保護者の方々からたくさんの応援をいただき、多くの方が支えてくださっているおかげで活動できていることを今まで以上に実感することができました。
この場を借りて、改めて感謝申し上げます。








“やっと”というにはどこか物寂しい。けれど、”あっという間”というにはあまりに色々なことがありすぎた4年間でした。


後悔に達成感、寂しさ、安心、どこまでもはっきりしない試合後からの感情に、それも自分らしいかと呑気に感じています。
そんな気持ちをふわふわと抱きながら、どうせ最後だからと正直な気持ちをたくさん書いてみます。











朝5時半。 
飲み会終わりほやほやの人たちがすき家で飲んでるお味噌汁がめちゃくちゃおいしそうで、震えた犬連れて歩いてる寒そうなおじいちゃんに挨拶してみたりして。

星が見えるまだ真っ暗な大学をスマホのライトで照らしながら歩いてようやく到着する、霜が降りた真っ白なグラウンド。
冷たいボールを拾うたび、濡れたウィンブレの裾が凍っていくたびに正気の沙汰じゃないなって思ってました。

今年はそんな冬がやってきません。



平日、寝る前にアラームを設定しなくていいとか、バイト終わりにスマホを見ても大量の通知がきていないとか。
ひとつの当たり前がなくなった生活は味気なくて、1日がとても長く感じます。






2部降格から始まった今シーズン。
目標は『1部昇格』、スローガンは『革命』。
はじまりは確かに勢いがありました。 

小さな目標を達成していった先で1部昇格するために、これからの強い東海をつくるために、たくさん考えました。
上手くいかなくて途中でなくしてしまったものも、取り入れることで前に進んだものも、全部必要なものだったと思っています。

それを「なぜやるのか」をきちんと伝え、みんなが納得した上でやっていれば結果は違っていたかもしれない。
やるべきことが溢れる状態での取捨選択ができなくて、みんなには無理させることばかりでした。


土台をつくると言って、その第1歩だと信じて、常に1部に焦点を当てた。きつい時があっても、多少無理をすることになっても、入れ替え戦で勝つことにどれだけの意味があるのかを知っていたから。
一昨年、1部昇格を経験したからです。

何度も擦るけど、あの経験はわたしにとって大きなものでした。
2年生ながら「頑張ってきてよかった」と思えた瞬間、わたしでそれなんだから、当時の4年生はどれほどの感情が溢れていたんだろう。
後輩たちに同じ経験をしてもらいたかった。今年ならいけるって本気で思ってました。


昨年勝った試合をほとんど見ていない2年生や、入部したばかりの1年生からしたらそりゃあうんざりするかって今なら思えます。
悩んで入部を決めてくれた1年生、新人戦を経て前向きに取り組もうとしていた2年生、来年を見据えて準備を進めていた3年生。
みんなに申し訳ないことをしました。



どうしようもない4年生という印象しかないかもしれません。
失敗ばかりで、取り返しのつかないことになった。



ただ、4年生がみんなチームのことを考えていたということは確かです。

1部への思いを語るときに出てくるのはいつも下級生の名前だった。「あの雰囲気を経験してもらいたい」「1部で闘ってるあいつらを見たい」そんな話を何度も聞きました。

グラウンド確保するのも、練習試合を組むのも、どれも自動的に決まっていくものじゃない。グラウンドの外でチームのために動いている人がいます。



みんなnotionって知ってますか?
何もかもを集約して管理できる優秀なアプリらしいです。Apple Storeで褒めちぎられてました。
約1年半、ほぼ毎日チームで動いているタスクの進捗を確認して更新し続けました。どこでも見てたから、「携帯ぽちぽちーー!!!」って飲まされたこともあります。どれだけ飲んでも終電でアプリを開いたら酔いなんてさっぱりです。

それまで知らなかったところで、誰かが誰かと連絡を取り合って動いてることを知りました。チーム内でも、チームの外でも、動き回っている人がたくさんいました。
夜中に電話して、グラウンドで追いかけ回して、notionを知らないみんなにイライラしながらリマインドして。
「更新しました」「完了」の繰り返し。おかしくなりそうでした。
その時にはもう崩れかけていたのであろう運営の真ん中あたりで、ぐらぐらと揺れていたんだと思います。


悔しかった。

誰かのせいにするのは100%違うと分かっていて、でも自分のせいだと全てを背負うのは傲慢すぎると思った。

みんなに頭を下げないといけない立場で、それだけのことをした自覚はあるはずなのに、というか何も出来ていなかったのに、「こんなにやったのに」と思ってしまう嫌な自分がいました。
めちゃくちゃ子どもで申し訳ないです。
 


キッズで暴れん坊で好き勝手やっていたたつやが、必死にチームのことを考えては頭を悩ませているところを、不器用なまつけんが年中頭をパンクさせては落ち込んでいるところを、みんなより少し近くで見ていました。

「4年生が嫌われてるって分かってて明日からも練習できるの?」と3人で話した日があります。
チームを離れた方がいいのかと本気で考えました。誰よりも先にこのチームで頑張ることを決めて、一緒にやってきた2人とそんな話をしていることが悔しくて仕方なかった。
でも、浮かんできたのはお世話になった先輩方や、応援してくれる家族のことでした。


3年半やってきて、あと少し。諦めきれなかった。

ここで投げ出してしまうわけにはいかない、みんなで踏ん張ろうと決めました。 
2人はわたしなんかよりも、ずっと悔しくて、腹が立って、苦しかったはず。
次の日、誰よりも声を出して、明るく振る舞って、練習を盛り上げようとしていた姿が忘れられません。

どこまでもぽんこつだったけど、全然力及ばなかったけど、迷惑ばかりかけたけど。でも。

適当にやっていたわけじゃないし、チームをめちゃくちゃにしようなんて思っていない。


言い訳にしかならないけれど、それだけは知っていてほしいと思っています。












MGとして過ごした4年間は、毎日が慌しかった。
そもそも、わたしが入部を決めたのは「やってみたいと思ったから」です。
何かスポーツには関わりたいけど、自分がプレーする気にはならかった。運動するのはあまり好きじゃないし。
薄らと憧れもあって、どこかの部活でスタッフをすることは入学前からなんとなく決めていました。


優柔不断で小心者。ど田舎出身内弁慶。
でも変なところでの思いきりはいい方。

2時間の練習見学のためだけに片道5時間かけて1人で小野路に行って(しかも雨)、その週に入部を決めました。まだ3月、入学式は1週間以上先、学前に引っ越した翌日のことでした。
自分でもよくやったなと思うけど、この時点で既に同期が3人いました。みんな普通にもっとちゃんと考えた方がいいと思います。



目標なんて何もなくて、やるからには「やめない」ことだけを決めて飛び込みました。たったひとつ、でも、いつも中途半端なわたしにとっては大きな決断でした。

「楽しそう」に魅せられて入った部活は実際「辛い」とか「怖い」が大半だった。
たくさん同期スタッフがいて、自分にできることは大抵みんなにもできた。
悩むことや落ち込むことは当たり前にあって、やめたいと思うことはなかったけれど、常に前向きに取り組めていたわけではないし、今やめてしまえたら楽だろうなとは何度も思いました。

「スタッフの存在意義」というもはやテンプレのような悩みを持ったこともあります。  


そもそも「MG」ってなんだ?
やってはいけないことなんてほとんどないから、なんでもやればいい。でも、たくさんある選択肢から何を選べばいいかも、選んだものが正解なのかどうかも分からない。

悩みに悩んだ結果、わたしはこの存在意義を「1番近くで選手を応援するため」としました。思ったより当たり前のもの。
これは正解ではなく、わたしが部活をやり切るためのひとつの材料にしただけ。落ち込んだ気持ちのままチームを嫌いになってしまうのが怖くて、そう信じてとにかく進むしかないと割り切った部分もあります。
 


わたしにとっての応援は、とにかく小さなことにこだわることでした。
誰も気づかないようなどうでもいい“かもしれない”こと。でも、もしかしたら誰かが「おっ」ってなる“かもしれない”こと。
どこまでも曖昧、わたしらしい中途半端な答えです。


このグラウンドでは見にくいかもしれないから黄緑のマーカーを使わないようにしようとか、FOの動画は全部向きを揃えてからノートに上げるとか。

特に意識したのは、どんなイレギュラーがあっても焦っても「平気なフリ」をすること。
これはなんでも1人でどうにかしようとするという意味ではなく、周りに安心感を与えられるように、焦りが選手に伝わってしまわないようにという意味です。




1年生の頃に何度も言われた「臨機応変」という言葉が嫌いでした。
突然メニューが変わったり、ポイント数が増減したり、咄嗟の出来事にはどうしても焦ってしまう。臨機にも程があるだろってくらい何でも起こり得るから、それに対する判断や行動が苦手でした。

「何事にも臨機応変に対応できるようにしようね」と優しく声をかけてくださった先輩にも、「MGが臨機応変に動かないと!」と少し厳しく指導してくださった先輩にも、内心「うるせえ!!」って思ってました。喋らないくせにとんでもない1年生です。


限られた時間の中での練習は、ほんの1分、1プレーで大きく状況が変わります。毎日全く違う雰囲気で進む練習と毎秒等しく止まることはない時間に挟まれて、頭の中ではいつも賑やかに色々な感情がありました。
みんなから冷静な人に見えていたなら、そう見せることができていたなら、わたしにとってそれはひとつの褒め言葉です。もっと感情を出さないと、というのは課題でもあったけど、出さない方がいい気持ちはちゃんとしまっていたかった。



応援したいと言いながら、自分の気持ちを口で伝えるのはどうしても苦手だったから、公式戦ではいつも同期にお手紙を書きました。
「頑張れ」よりも「楽しんで」ほしくて、短い言葉に精一杯の気持ちを込めました。
きっとみんな捨てずに「だいじなものBOX」みたいなやつに取っておいてくれてると思います。


意義なんて立派な言葉には似合わないちっぽけなものばかりだけど、自分自身が楽しむために、そしてそれが少しでもチームに還元されたらと思い、大切にしてきたことです。
きっとみんなが悩むこの問題に答えはありません。1人ひとりに自分にとっての正解があるのだと思います。真実は人の数だけある的なやつです。 







東洋戦の日、今までやってきたことの答えが少しだけ見えた気がしました。

朝起きたときからずっと緊張していてガチガチ。
毎日うるさいからと4.8/5くらい聞き流していた白石の声も、この日だけは本当に緊張していて入ってこなかった。
最後になるかもしれないという実感は全然持てなくて、絶対に勝つと意気込む反面、不安な気持ちがずっとありました。

でも、それを隠すのは得意です。
いつも通りでいることがわたしにできること。  

いつも通りにメインをして、タイマーをする。


何度もやってきた、今日も大丈夫。




そう思っていたけれど、この試合はやっぱり特別なものだった。



OFもDFも4年生が意地のように活躍していて、ベンチは今年で1番盛り上がってた。
1年生の応援の声が聞こえて、得点を飛び跳ねて喜んでいる様子が見えて、それが本当に嬉しかった。  

気を抜いたら泣いてしまいそうで、ずっと堪えていました。

あんなにしていたはずの緊張も気づけばどこかにいってしまったみたいで、楽しくて仕方がなかった。


4Qのラスト2分、何度もストップウォッチを見ては早く進めと願っていました。止めのルールいらないだろって恨めしく感じながら、笛が鳴るたびにしつこいくらいオフィシャルに時間を聞いた。
でも、そう思うと同時に、このままずっとこの時間が続けばいいと思いました。
もっとみんなのプレーを見ていたい。まだもう少しだけ、終わらないでほしかった。


試合が終わったとき、ぶわーって涙が出てきました。
ここで終わってしまうようなチームじゃなかったと、そう思うくらいに東海らしいガムシャラないい試合だった。

2Qから泣いてたゆうこ、ずっと隣にいてくれたまこ、ひよの場所を奪う惣名さん、それをかいくぐってくるひよ、めっちゃ嬉しそうなかい、これまた泣いてるかほと円になって喜び合ったとき、「あぁ、終わっちゃったんだなぁ」って、すごく寂しくなりました。



目標は達成できていない。
結果は出せず、中身を見てみると最悪な代。
最後に勝って終わったからといって満足しきれないし、してはいけない。


でも、最後があの試合でよかった。

悔しさも安心も全部抱えて、集大成といえる最後だったと思っています。



後輩たちへ

人数の少ない最高学年に、個性の強い下級生。去年わたしたちはその大変さを間近で見ていました。
どうかみんなでサポートし合って、ひとつのチームとして強く在ってほしいと思います。

責任感も気持ちの強さも誰にも負けない3年生。
頑張る方向を見失わないよう、同期で支え合って進んでいってください。
チームを引っ張るために、行き詰まった状況をどうにかしようと奔ることを愚かだとは思いません。ただ、1歩立ち止まって考える勇気を持って、周りを頼って、ラクロスを楽しむ気持ちを忘れてしまわないようにしてほしいです。


何かと突っかかってくる「あいつ」も、何言ってんのかよく分からない「あいつ」も、正論ぶちかましてくる「あいつ」も、敵じゃないです。
最終的に同じところを目指す仲間として、「めっっちゃ嫌なやつだけど、こういうところはすごいよな」っていいところを見つけてみてください。
考えて考えて、絞り出してぎりぎり1個でいいです。
認められるところが1つあるだけで、関係性はずいぶんと変わります。







スタッフのみんなへ

大好きな先輩たちの大きな背中を見て、憧れて。
そうやって繋いでもらってきたはずなのに、同じように安心を与えるどころか、ついていくにはあまりに小さなその背をみんなに押させてしまっていました。
この1年間はきっとすごく大変で、たくさん頑張って、なんとかついてきてくれていたんだと思います。

後輩との、というか人との関わり方がとにかく下手くそで、褒めるも怒るもできない。リーダーとしても先輩としてもダメダメでした。


ここでも相変わらず大したことは言えないけれど、「人と話せない」が入部した頃のわたしの課題でした。これ物理的になので、大問題です。
ボールアップの時間に先輩と話す練習とかしてもらってました。
0どころかマイナスからスタートしたわたしにとっては、入部前から大きな声で挨拶ができて、最初の練習でもう復唱をしてくれるみんなはとても優秀だった。
自尊は捨てて、自信を持って、みんならしく元気に走り回ってください。



「スタッフは点を取れないしゴールを守れない」

これも必ずと言っていいほど色々なところで見ます。テンプレ。
でも、だからなんだって話で。

わたしは運動が出来ないので、選手としてフィールドに立っていても多分点を取れないしゴールも守れません。スタッフでよかった。

スタッフはチームの勝因をつくることができます。
少し言い換えると、敗因となり得る要素を可能な限り失くしていくことができます。
わたしはこっちの方が好き。
タイマーからの時間の伝え方、試合前の雰囲気づくり、クロスチェック、その他諸々。準備することで必ず勝利に近づきます。
視点はひとつじゃないし、正解なんてない。


いる意味がない、価値がないと早々にひとりで決めてしまわないで、たくさん時間をかけて迷ってください。
その先で自分が今より少し幸せになれる選択をしてほしいです。



初めてできた後輩MG2人の印象は、とにかく泣き虫な子たちでした。メインしては泣き、審判しては泣き、タイマーしては泣いて。
つま恋で大泣きしている2人を傍に置いて、お弁当を取りに歩いた道が懐かしいです。
人目も気にせず泣きじゃくるのを横目に「からあげ入ってるかなあ」って考えてました。

そんな2人がどんどん成長して、頼れる存在になってくれた。2人がいつも支えてくれたから、わたしは最後までこのチームのMGでいることができました。
まっすぐな気持ちを全面に出して突っ走ることができるゆうこと、物事をじっくり考えて最適解を見つけられるみこ。正反対な2人だからこそできることがたくさんあるはずです。

これは他の子たちにも選手にも言えることだけど、同じポジションの同期がいるって本当に幸せなこと。頑張る理由にも、落ち込む理由にも、何にだってなる。それぞれの強みを活かして、弱さを補い合えるかけがえのない存在。

その大切さをわたしはよく知っているつもりです。


お互いの大切さを忘れずに、助け合って、高め合って、最後まで楽しんでください。





まま、まちこ(祖母)、じんくん(犬)へ

雨の中、でかい犬を連れて三重から試合を観に来てくれるのはうちくらいだと思います。
いつも実家に帰ると、満漢全席みたいにご飯とお酒が延々と出てくるところが大好きです。少しゴネれば車で神奈川まで送ってくれるところも好きです。

みんなのおかげで4年間しっかりやりきることができました。
やりたいことを応援してくれて、味方でいてくれて、しっぽ振ってくれてありがとう。

ぱぱにも感謝しています。
合宿費の集金がある時だけ連絡してごめんなさい。読んでいないと思うので、今度zoomで伝えます。




先輩方へ

引退しました!
わたしがついに引退です。感慨深いです。

黒くて大きい30期の先輩方のかっこいい姿と楽しそうにはしゃぐ姿に魅せられて、このチームの一員になりました。
わたしにとってはラクロスもラクロス部も、初めて見た30期のものがすべてでした。

何人か友だちがいる31期の先輩方と過ごした時間、大好きでした。
毎日が楽しかったし、だからこそ頑張りたい理由ができました。
応援きてくれて嬉しかったです。
さきさん、ご飯行きたいので日と場所決めてください。

たくさん迷惑をかけた32期の先輩方。
生意気で我が強いわたしたちと根気強く向き合ってくださいました。
ずっと可愛がってくれて、いつもわたしの話を聞いてくれてありがとうございます。
1部の舞台で一緒に闘えたことが本当に嬉しかったです。


辛いとき、行き詰まったとき、思い出すのはいつも先輩方の姿や言葉でした。
一生追いつけない皆さんに少しだけでも近づけるようにと勝手に追い続けた4年間。
色々なきっかけをくださったこと、厳しさと優しさをもって関わってくださったこと、すべてに感謝しています。





最後に同期へ

色々あったね、と話す”色々”が多すぎて、毎日飽きなかった。

自分たちが最強だ! って思ってた何も知らないあの頃も、下級生のことなんて言えないくらいに言いたい放題、やりたい放題だったあの頃も、いつも楽しかった。

何も持っていない自分でも、みんなといればちょっとだけすごいことができそうな気がしました。




かほ
あれから3年、選んだ先にあったのが「正解」だったみたいでよかったです。どんどん強くなっていくかほを見てわたしも頑張らないとって思えました。ありがとう。

大杉
部活やってなかったら関わらない人間No.1です。
授業行かないとか何かと適当なところとか本当にありえないと思いながら見てました。返信と口の回る早さはめちゃくちゃ尊敬してます。

たく
暇だからって毎日連絡してくるのやめてください。
そんなに頻繁に鍋は食べないし映画は観ません。彗星も見ません。

けんたろう
駅で会っても声かけないでください。

やまそう
大きくていいなっていつも思ってました。
グラウンドで遠くから聞こえてくるやまそうのツッコミが面白くて好きでした。Stampy Yamaso 好評です。

しまちゃん
ぽっこぽこのしまちゃんのお腹は、一昨年必死に頑張った結晶だと思ってます。優しくておバカなところにいつも助けられました。お酒飲みましょう。

がく
覚えてるか分からないけど、東洋戦の7点目あたりでしたハイタッチ(結構ローだった)がすごく嬉しかったです。見たことないぐらい声張り上げる姿を見て、やっぱりラクロスやるためだけに東海来ただけあるなって思ってました。
ずっと一緒にやってこられてよかった。

たつや
1人でたくさん悩んだと思います。
伸び伸びとたつやにしかできないプレーで魅せてくれるのがいつも楽しみでした。最後の試合、めちゃくちゃかっこよかったです。
力になれなくてごめん。最後までチームを引っ張ってくれてありがとう。

まつけん
引退後に載せてたサブ垢の投稿で意外と遊んでたことを知ってイラッとしました。最近の方が返信早いことも気になってます。
火曜3限ちょいちょい来てないの何?
単位取って、みんなで卒業しよう。パレットの前で4人で学位記持って写真撮りたいです。
主将お疲れ様。





最後の年になっていなくなるし、単位取れないし、問題ばかり。
厳しい言葉もたくさん受けてきた。納得いかないことだって山ほどあった。
それでもわたしは、理不尽な言葉も状況も笑い飛ばして乗り越えられるみんなを尊敬しています。 

気は強いのに実はビビりで、喧しくて金欠で品性下劣。
普通に手出すし、すぐパンツ脱ぐし、なんでも食べるし。
武者で来た他大の選手からも呆れ苦笑いされるようなとんでもない人たち。どうしようもない。
でも、本当はすごく優しくて、まっすぐな人たちです。

みんなが真っ白でヒョロヒョロだった1年生の時からずっと一緒にいました。
嫌なところなんて溢れるほどあるけど、それ以上に素敵なところをたくさん知っています。



みんなと過ごす時間が本当に大好きでした。
  








大志も持たず、ほんの少しの興味だけ。
あの日思い切って飛び込んだわたしの選択は間違ってなかった。
たくさんの人に出会って、色々な経験をさせていただきました。

大好きな先輩方、可愛い後輩たち、大切な同期と一緒に過ごした4年間を大事に抱きしめて、これからも頑張ります。

本当にありがとうございました。
お世話になりました!



川添紗朱