一週間に一冊! - Negative(b) log -
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上昇気流

ある企業の株を買って利益を出そうとすることと

ある企業で経験から生まれるスキルを積むことは同じ構造だ


あるいは


株価の上がりそうな企業の株を買うことと

自分のビジョンにプラスになる経験ができそうな仕事をすることは

同じ構造の動機から生まれる


どちらも自分が所有できるものの将来の値上がりを見込んで選択される


株を買う時はIRを

経験を選択する時は必ずしも明示されない雰囲気を参考にする


この二つの違いは

2つの異なる銘柄で得た同額の利益の質は変わらず

二つの異なる仕事で得た経験からなるスキルの質は違う可能性が高いということだ








仕事中に後輩とこんなことを話せる状況は、ぬるいのだろうと思う。

でも、こんな対話が彼と私の距離を縮めたとも思う。

話し合い

「人の錆は対話で落とす」


最近の自分なりのテーマ ”対話” について


非常に明確に言い得た言葉をテレビで拾いました。

デジタルディバイド

 

 

  アメブロ1位取ったらしいですね。


 youtube やらデジタル地上波やらPS3やらなんやら、


 インフラっぽいものが出揃ってきた感があります。


  今は多くの経営者がブログをオフィシャルなもの


 としてやってるわけですが(大半はベンチャーか・・・)、


 どんな業界にも、やっぱりエンタメ感が必要ですね。

 

  


  それにしても、経営責任者のセリフにしては痛いブログも


 けっこうあります。私の中では、かなりの確率で、業態の格によって


 痛い痛くないが分かれると言うのが目下定説です。職業に貴賎はある!


 


  1 知識も教養も無いのに無理やり社会問題を語ろうとする経営責任者


                    ↓

  

  2 当たり障りの無いつまらないことを書く経営責任者


                    ↓


  3 ネタやネタを展開する術を持っているが、勢いあまって喋り過ぎる経営責任者


  

  なんかこんないくつかの層がありますよね。

 

  個人的に 1 にはもう面白みを感じなくなりました。どうでもいいです。

 

  3 はとりあえず読み物として(すでに使い古されたトピック)、


  そして実は 2 に一番注目していたりします。


  実はそういう人が、とっておきを持ってたりするんです。


  その人からドンドン出典やらリンクやらをトリップしてみると、


  使い古されていないエレメントが発見できます。


  

  そんな大海原を掻き分ける情報リテラシーが必要なのだ!うん。


  


  

  あー、でも、そしたらエンタメ感とかコンテンツとかいらねえじゃん。


  リテラシー発揮して自分で面白いこと見つけたり組み立てたりすんだもん。


  俺破綻してるわ。


  もう一回考え直してきます。


                 

越えない一線

 絶対に超えない一線。


 一生超えない人もいる一線。


 それは話し合って決めるとか、よくよく考えて


 超えるか超えないかとか考えない一線。


 実現するのは簡単だけど、それは形而下での


 はなしで、形而上では最も困難なタスク(こなすべき、というニュアンスは間違っているが)。


 もしそれを、ふと、超えたのなら、気づいた時には線の向こう側が元いた場所であったなら、


 私はどうするだろうか。あなたはどうするだろうか。


 ここ4、5年で、もしかしたら一番の問題ではなかろうかと、胸を突き上げ、嘔吐を誘発する。


 もちろんこれは、実際の暗喩であって、恋の話に近い噺だ。

脱精神性

で、昨日の続き。


一つはっきりさせておくのは、


正に、リハビリテーションや介護と呼べる


文字通りの福祉、という領域を仕事とされている


方に、


     「それは価値のある仕事ですか?」


と問いてる(変な日本語)のではないということだ。


なぜなら、問いかけている私が文字通りの福祉


を仕事としているのではなく、いわゆる、売上げを立てて


利益を出し、その規模を拡大して社会の一員として


機能する、というような一般企業に勤めた会社員


だからである。だから文脈としても、


     「一般的社会の構成員だよね、君」


と言われるような人々と仕事をしている私の


問いかけ、となるわけです。


で、踏まえて昨日の問いに対する私の中の結論を言えば、


            <経験にならない>


だ。


そもそもヒトのコンテンツと呼べる


ものには、水準が2つあると思う。


  1(何か)を成す為のスキル

    →例えば営業職のスキル


  2それそのものが対価を得られるモノ

    →例えば巷でアイデアと呼ばれる物


だ。


 私が昨日書いた<経験>は 1 にあたる。


    「じゃあアピールポイントじゃん」


 と冷めてみる?


営業だって磨り減るのは分かっている。


ただ、磨り減ったあとに超回復するものが、


<更に大きなものを売る(アピールする)力>



<人を許容する、暖かい目で見守るキャパシティ>


では大きく違うなぁ。


私が宗教家であったなら、聖諦の念(どこの言葉だっけ?)


の獲得に近づくようための過程、と後者を認識して


進んでいく。


でもこの歳で精神世界没入も甚だ受け入れ難ければ、


世にそんな需要もないでしょ。


私がどうなろうと知ったこっちゃない人のほうが多いのは


分かってるけど、明日のシフトを埋める人間の方が


「僕、変わってるってよく言われるんです。」


とか言って社会不適応気取る人間より必要だもん。


誰かに必要とされることを必要以上にモチベーション


には転換しないタチだけども、自分がそこにいるか


いないかは誰かがそこにいるかいないかと一体で、


(一瞬の話ではなくある程度身体的に強度を感じる


 スパンの時間の話)少なくとも他者の上っ面だけ


でも認識できる場所にはいなければいけないと思う。


(広大な大自然、グランドキャニオンとかアマゾンとか、


 環境を他者として感じられるくらいインパクトのある


 場所だったら、あるいは。)


って精神世界丸出し人々っぽいこと言っといて、


     「お前いけんの!?」


       「任せとけ!」


 って言いたいわけですよ。イメージ的には、ね。


 

  ダメだね。


  長い文章(ブログ上で言えば十分だらだらだけど)書く


  エネルギーないし、話もまとまってない。


  自分頑張ってるよ、シンドイよ、って言って欲しいみたいに


  なってますね。さぶいわ。激さぶ。俺氏。



社会参画とキャリア

体の不自由な人や、何らかの形で心に


障害を抱える人の社会復帰、参画の為


のリハビリテーションを仕事とされている


方に聞いてみたいことがある。




昨日テレビで見たが、統合失調証の方々


が、社会参画するスキルを身につける為


に訓練をするホテルがあるという。


そこでは支配人が従業員それぞれに役割


を割り振って、それぞれが一人で業務をこ


なせるように指導している。


指導の中にはもちろん、叱責も含まれる。


「遅刻はいけないよ」


「お客様と同じエレベータは使ってはだめだよ」


などなど。


支配人は業界のキャリアも長く、従業員の指導


にも、非常に要領を得た人に見受けられた。


おそらく、彼も先輩に叱られ、教えられて経験を


積み、現在の仕事にたどり着いたのだろうと思う。


正確には覚えていないが、50代になるかならない


か、位であったと思う。


なるほど、彼は自分のキャリアの生かし方を見つけ


たわけである。




私の聞きたいこと。


「経験やメンターを十分に獲得していない社会人になりたての若造が、誰かが社会参画する為の訓練を担って、本人の社会的成

                                       

                                                                  長はあり得るのか?」


これである。


卑下して言えば、「そもそも人に教えてもらっていない人間が、誰かを教えること、それは独りよがりにならずに、


胸を張って<経験です!>と言えるのか?


ということだ。



ちょっと野暮用。。。  つづく





-TWENTY FOUR-

   2ヶ月経ってましたわ。


  メンタルノイズ響きまくりで右腕が共鳴しちゃってるもん、悶々。


  そんな中私も24になりましてこの間。


  自分のイケてるランキングとか強烈に意識するようになりますよね。


  目の前に選択肢がポンと出てきた時に、オダギリばりに


                「どうする?俺。」

 って何枚カード広げられるのかが重要ですよね。


  肢がどれだけあって、どれだけ効果が見込めそうで、どれだけ


  自分のポリシーに適ったものなのか。


   今の私にとっては、肢の数が一番の係争案件です。


  ポリシーとか効果って、実際に肢を運用してみないとわからないって


  いうことが社会に出て見て感じたことなんで。


  やれやれ。がんばれ。

ノイズ -2-

  最近私の生活にはメンタルノイズ(以下Mn)が蔓延しています。


 うだるようなノイズ。


  だがしかし、しかしですよ。Mnの場合、発生の原因に自分も加担している可能性が


 あるのですよ。 そしてあえてそう言わなければなりません。少なくとも、その前提を認


 めないと「王様」になってしまいますからね。



  これ、「いじめられるあなたにも原因があるのよ」という説教の内容と構造は一緒ですね。


 そしてつまり抱える問題も一緒ぢゃありませんか。


  どこまで自分に非があるのか、言い換えればノイズのうち、発生元として自分の悪意や


 過失がどのくらいあるのか。


  例えばノイズがいじめという形で表出している場合、「とりあえず、いじめかっこ悪いよ」ってゾノ


 ばりに言える訳ですが、「捉える主観の問題じゃん?」みたいに評価されるノイズの場合、性質が

 悪いことに、大半の善きヒトビト「とりあえず、飲みに行くか」って有体な上司ばりにしか言えない訳ですよ。


                         -2-


 

ノイズ -1-

  毎日の生活の中で、色々なノイズってありますよね。


 最近気になるのは定量的なものでなくて定性的なものです。


  定量的なものが 「0<」 であるのに対して、定性的なものに


 は水準が二つあります(「0≧」)。


  法律用語に「不作為の作為」って言うのがあります。


 直訳だと「やらないっていう行為をやる」という感じです。


 つまり、エサをやらないとか、しろと言われた電話をしないとか


 そういったことです。


  法学では、明らかな認識がある不法・違法行為の方が、ない場合


よりも悪いとされているみたいですが、なんか私は、認識がな


いヒトが飄々としてる様のほうがカチンときたりする場合があります。


                   -1-


  

 

こんにちはと自分に言ってみる

  今日は天気が良いのでブログを始めます。

 

  厭世の気がある時、ヒトは本を読んだりするのでしょうか。


 はたまたブログをやったりするのでしょうか。



  ネガティブログとポジティブログ、どっちが多いんですかね。

 

  よろしくお願いします。