前回記事で示唆したように、いわゆる福祉と呼ばれる分野には胡散臭い話が無数にある。その一方で福祉と言うものは、本来は社会の安定と円滑な発展のために必要不可欠なものだ。例えば生活保護という制度は文字通りのセーフティーネット(安全網)で、この制度がある限りは仮に怪我や病気で働けなくなったとしても野垂れ死なないようにちゃんと設計されている。やっぱり日本国は真っ当な国で、そしてこの明治初期の太政官政府以来の長い歴史を持つ制度は、もっともっとその価値が評価されるべきなのだ。


なのだが、ある時期からの日本では、謎の「生活保護叩き」… 所謂「ナマポ批判」なるものが横行している。まああの手のネット系の流行に本気で関わり合うのも馬鹿馬鹿しいのだが、ともあれ本件についてあからさまな事を言うと、この手の一時期流行したナマポ批判なんてのは、結局は「自分が」今直ぐ会社を辞めたいからこそ出てくるものなのだ。

そんな馬鹿なと思う人も居るだろうが、実際にコロナ期に「勤め人に限って」緊急事態宣言を擁護したような話があったのだ。事の構造はそれと同じで、要はてめえが会社に行きたくないだけなのに、それを社会的施策に投影させてるだけなのだ。そしてその強くかつ切実な「会社に行きたくない」という欲求は、今やコロナ後なのに東京圏のみにおいてテレワークが15%ほど定着したという現象として定着していて、結果として JR 東日本が京葉線の朝夕のダイヤ絡みの騒動で大わらわなのだ。

この事実だけを見ても、東京圏のテレワーク定着は一種のサイレントテロとして機能している。そしてこのサイレントテロリストの内面は典型的なテロリスト同様に凄惨なもので、もちろんそこには強烈な欲求不満がうごめいている。


このような嫌な内面を持つ者たちだからこそ、あの陰湿な「ナマポ批判」を執拗に続けたのだろう。単に自分が会社を辞めればいいだけなのを、既存の福祉制度に筋違いの思い込みによる憎悪をぶつけたのが「ナマポ批判」の正体なのだ。

一方で、こんな逆恨みを正当化する事は出来ないが、テレワークやナマポ批判といった基本的にサイレントなテロリズムが生まれたプロセスを分析しておく事は有益だろう。

まず基本的なことを言うと、テロリスト発生の原因なんてのは何らかの意味合いでの貧困以外には有り得ない。このあたりに関しては話は割と単純で、そして大事なのはここからだ。この貧しさは【どこで】育まれたのか。それを見極めておく必要があるのだ。

テレワーク定着や緊急事態宣言の擁護ということは、今問題にしているテロリズムの憎悪の対象は、ズバリ会社だろう。具体的には、自らが勤めに行ってる会社のオフィスだ。勤め人なら誰でも、寝る前に「明日の朝までに自分の行くオフィスが爆破されてたら会社に行かなくてよくなって嬉しいな」みたいな夢想をした事が、一度や二度ではなく何度もあるはずだ。勤め人の世界には、根底にこういう強い憎悪がある。

そして、この憎悪が「ナマポ批判」に向かう理由も、考えてみれば当たり前のことだ。つまり、福祉(ウェルフェア)をうたいながら、日々会社に行かなきゃならない「難民」である自分たちは、この制度では絶対に救われないのだ。だって会社員という事は「収入がある」のだから。

こうして明らかになるのは、生活保護も含む現行の福祉システムには、ある種の欺瞞があるという事だ。だからこそ、自らを被害者と信じて疑わない者たちは、その被害感情を生活保護や現行福祉システムそのものにぶつけるのだ … ここまで書き連ねてきて何とも程度の低い話だと思うのだが、このあたりの事情を整理しておくことは、やはり有益だと思う。


一定レベルで現実を無視している欺瞞的なシステムには、必ず何らかの胡散臭い話が出てくる。前回記事や冒頭に書いた「現行の日本における福祉の胡散臭さ」は、この現実無視による欺瞞が原因で間違いないだろう。ここで言う欺瞞とか現実無視のせいで日本の福祉は要所を外した歯抜けとなり、そうすると日本の実態は「福祉予算こそ多くとも実際は大した福祉はなされてない」という事になってくる。こうなると、福祉とは単なる公金チューチュースキームの一種に過ぎないと言ってもそんなに外れた話では無くなるだろう。つまり、額面とか上っ面を抜きにすれば、日本はむしろ福祉の弱い国なのだ。これだって「アイドルだってウンコをする」世界の話で、日本で福祉と言ってる事のあらかたは、実質的には元来のウェルフェア(welfare)とは無関係な公金収奪システムによる詐欺行為に近い。そして、実質としての福祉が弱ければ、それはテロリズムは出てくるだろう。それがサイレントな形になるのは日本が高度な文明国だからであって、サイレントであってもテロリズムはテロリズムなのだ。


表向きはともかく、実質的には福祉が弱いのが今の日本だろう。そしてその矛盾は、会社のオフィスという所に集中している。そう言えば、医療の胡散臭さが炸裂してる大本拠地もやはり会社だ。会社とは実におかしなところで、30代半ばにもなると本人は健康でピンシャンしてるのにやれ検査だ何だと強制されてしまい、曰く生活習慣病の予防だとか言われ果ては消化器系の癌がどうだとかの物騒な話まで出てくる。そのくせ、本当に中年以降の人間にとって切実な事であるはずの健康増進については、殆ど有益な指導は無い。会社員でなく個人事業主ならば、中年に近づけばみんな普通に「適度な運動」を取り入れたりするし、筋トレやストレッチのような自分の体への具体的な向上施策を打っていくものだ。もちろんこういう個人事業主は、今や「第二の喫煙」とも呼ばれる「座りすぎ」の害悪には当たり前のように神経質になっている。これが普通の意味合いでの「健康を考える」なのだが、会社の中では医療も福祉も何だか出鱈目ばかりが横行している。


結局、何回かにわたって書き続けている「医療と福祉の胡散臭さ」は、会社に集中しているのだ。そしてこの問題の解決法は、今の日本においては残念ながら各々が会社を辞めることしかない。そして、実は会社というところは「辞めても辞めても辞められない」場所なのだが、それはつまり「会社員にとっての最適解」と「会社を辞めた後の最適解」があまりにも違う事に、そう簡単に適応することが出来ないからだろう。

今回はここで終わる。次回は、会社員とそれ以外とでは、根本的に生きる上での適応戦略が違うという事について書いていく。そしてそれは、今の日本の医療や福祉の欺瞞を根本的に解決する提案になるだろう。