現代は、文明の力によって、辻褄合わせが劇的に容易くなっている。なので、愛や夢や魂が先で、お金も手段も協力者(←多くの場合は人脈という〈下品な言葉〉で表現される)も後から付いてくる … というか「辻褄が合ってくる」。

辻褄は合わせるものではなく、勝手に合ってくるのだ。何だそれはと言われそうだが、昨年秋の終わりからの僕はずっとこんな感じだし、そしてそのコツは万博期間の真ん中あたりで掴んだ。このあたりに関しては、正確に言えば以前から大体分かっていた事を〈確信〉したというのが正しいかもしれない。そんな事情もあって、この話については、僕は「ミャク様のお導き」「ミャク様は西方(さいほう)浄土より来たりし御仏のお使い」だと表現している。「浄土真宗ミャクミャク派」であるとも。


今書いているのは、東京の小池都知事がかつて放った言葉で言うと「清水の舞台から落下傘つけずに飛び降りる」事だ。そしてこういう話は、まあ理解してもらえない。僕自身もこの境地に至るのに時間がかかったので、ある程度は仕方が無いのだが。

こんなにも理解してもらえないのは、この「飛び降りる」がいかにも異様に見えるからだろう。実のところは、単に飛び降りてしまえばいいだけなのだが、社会通念が邪魔をして「いやいや、そんなの死んじゃうでしょ。」となる。

はっきり言うが、本当に清水の舞台から物理的に飛び降りるのと違って〈比喩としての〉飛び降りるであれば、もちろん物理的に死んだりはしないわけだし、むしろその後には真のフロンティアが待っているのだ … ちなみにこのあたりを語っているのが YOASOBI「夜に駆ける」だと思っているのだが、本題から逸れるのでここで深くは突っ込まない。

話を戻す。比喩としての「清水の舞台から落下傘つけずに飛び降りる」を本当にやれば、起きる事は決まっている。現代文明に裏打ちされた〈最適化〉の原理が働き、そしてその原理はほぼ確実にあなたを救うのだ。人間ごときの一馬力二馬力ではどうにもならなさそうな事が、現代文明と元々の自然法則の力によって、まさしく「勝手に」辻褄が合ってくる … これが世の真理であり、そして変わらないと長らく言われてきた日本も、ここ最近はこういうぶっ飛んだ感じへと移行している。まだ多くの人々が気づいていないだけで、現実は随分と進んでいるのだ。


諸々あって今の僕は「経理」の仕事に就いている。そして、この経理につきものの「簿記」(ブックキーピング)とは、まさに辻褄(帳尻)合わせそのものだ。「勝手に辻褄が合う」境地に達した僕が、その辻褄の結末として経理を仕事にしているというのは、運命的とか神秘的だとすら言われがちだが、実のところは、単に現代文明の必然だったりする。この筋道も、なかなか理解してもらえない。ミステリアスと文明とは真逆やろ!みたいなね(苦笑)。

経理のような仕事が、AI やそもそもの IT の影響を強く受けるのは、非常に分かりやすいだろう。そして、あらゆる会社には経理が存在し、個々の会社の自由な行動が社会全体の大枠を作っているのだとすれば、現代文明によって世の中が「勝手に辻褄が合う」に移行するというのも、そんなに不思議な話では無いはずだ。

僕が先程から言おうとしているのは、この「勝手に辻褄が合う」の事をやたらと神秘的だ何だと捉えることのおかしさだ。はっきり言って、そんな事は全然神秘でも何でもない。少なくとも、ほんの100年ほど前の日本人は、こんな程度の事を神秘だの怪しいだのとは考えなかったはずなのだ。

おかしいのは、圧倒的に戦後であり、戦後のサラリーマン的感性であり、根っ子に流れる「計画経済」信仰だ。この妙な社会主義マインドこそが戦後日本の特徴で、世の中の現実は「ニューヨークで蝶々がはためいたら北京で嵐が起きる」バタフライエフェクトで溢れているのに、何かといえばこの事を躍起になって否定する。それは仕事と呼ばれる世界において著しい。


僕が最近不思議なのは、今の職場がやたらと気楽に構えられるのに対し、何故以前の職場はあんなにも毎日死ぬほど息苦しかったのかという事だ。この事に答えが出なくて、何だかモヤモヤしている。

何となく思うのは、前の職場は真面目な人が多かったし、能力のある人もまあまあ居た。でも、とにかくつまらなかったし、そこにいる人たちを「尊敬出来ない」とまでは言わないが「たのもしさを感じない」のは確かだった。それは組織全体に言える事で、もしこの会社という船がシケ(時化)にでも見舞われたら、本当にみんなで一緒に海の藻屑と消えるんだろうなと … そんな感じがずっとしていたのだ。

個人やチームに「たのもしさを感じない」事と、先程から書いてる「『勝手に辻褄が合う』を信じられない」感性とは、見事に符合している。それは、明後日(明日ではない)の天気予報が合わなかっただけで苛立つような、とても脆弱な感性だ。日本の鉄道は異常なまでの正確さを誇っていて、本当にそう簡単にダイヤは乱れないが、お天気という自然現象に鉄道会社並みの安定を求めるのだとしたら、やはりその感性は「地味に狂っている」と言えるだろう。

僕は今の職場に、そこまでの「たのもしさ」は感じてない気がするが、明後日のお天気程度の事ではびくともしない感じはある。言わば「地味にまとも」だ。この違いはとても説明しにくいが、極めて重大だ。


僕は、現代文明によって何もかもが「勝手に辻褄が合う」世界の中で、気がつけば経理の仕事をしている。明日の事は分からないし、今の仕事にやりがいを感じてるかどうかもよく分からないが、少なくとも毎日集中は出来ている。そして、職場の人たちの事を仕事中は仲間だと思っているし(今まではこの感覚はほぼ無かった)、僕たちが頑張れば現場でリアルな客と対応するフロントスタッフの人たちの困難(客と言っても中には変な人も居るのだ)は、それこそ「勝手に」辻褄が合って気がつけば何とかなっている。そのためにこそ、僕たちは仕事をちゃんとやる。当たり前の事だ。

今まではこの当たり前が、殆ど無かった。それが何故かは分からない。そして今は有る。これも何故かは分からない。

あまりに摩訶不思議なので、やっぱりこれは「御仏のお導き」なのだと、とりあえず結論しようと思う。やっぱりミャク様は西方浄土より来たりし御仏のお使いで、そして僕をこの境地に引っ張り上げたのは、やっぱり「2025大阪万博」なのだ。