最近の僕のブログでは、「ノンリニア(非線形)」「バタフライエフェクト(蝶の羽ばたき効果)」の事を書き倒してるのだが、さすがに最近はこのノンリニア特有のエゲツない〈乱流〉に辟易しつつある … もちろんそれは僕が有言実行で本当にバタフライエフェクトの世界に飛び込んでるからこそなのだが。

以前に「清水の舞台に落下傘つけずに飛び降りる」という比喩を紹介したが、今の僕の感じは「鳴門の渦潮に準備無しで飛び込む」ような感じだ。もちろん普通の人間は、こんなクレイジーな事は絶対にやらない。

と言っても、僕は別にイカれる事を薦めているのではない。ノンリニア(非線形)の世界とは本当にこういうものだという事実を、単に説明しているだけだ。そして実は現代のセオリーとは、一般にはイカれてると思われがちなこういう世界に身を投じる事なのだ。そんなのはまるでギャンブラーだと思う人も多いのかもしれないが、これは断じてギャンブルではない。単なる非線形(ノンリニア)だ。振る舞いがカオスなだけであって、その内実は「決定論の物理学」による厳格な世界なのだ。


さて、辟易する程のノンリニアな乱流に相対する時に、大切になるのは僕は「ピボット」だと思っている。このピボットという言葉は「方向転換」「路線変更」の事で、新規事業において当初の計画などに行き詰まりを感じた時に行われる。

この時に大事なのは、かなり柔軟な軌道修正をする一方で「ビジョンはむしろ維持する」という事だ。いわゆる「ブレる」云々というのは、この軸となるビジョンが揺らいでしまう事を言うのだろう。ピボットは、そういう有り様とは明確に違う。というか、そもそもピボットの原義は「回転軸」であり、軸を保ちながらやり方を柔軟に変えていくからこそ、この名で呼ばれるのだと思う。

その意味では、ピボットの本質はむしろ不動のビジョンの方にこそある。そして企業ならばビジョンだろうが、個人であれば「姿勢(アティテュード)」という言葉の方が相応しいかもしれない。

「パンク(ロック)は姿勢だ」という有名な言葉がある。軸となるのは姿勢であって、目に見えるスタイル(意匠)や場合によってはターゲットとする客層がコロコロと変わっても、そんなのは関係無いのだ。軸となる姿勢を変えずに元来の挑戦心や攻撃性を保つ … ノンリニアに向き合う人は、みなこうした意味での「パンクロッカー」ではなかろうか。


パンクに示されるような硬質性は、一般には反体制や反骨心と形容される。その表現で間違っているとは言わないが、より本質的には「自分の頭でとことん考えて、信念を貫き通す」事だろう。そして、このような精神態度で居ると、そこから導き出されるのはやはり「右へ倣えに反発する」という行動なのだ。

パンクの特徴として、もう一つ「強烈な表現欲」を挙げておきたい。これもパンクらしさとして言われがちな「DIY 精神」にしても、要は最初に表現欲ありきで、高価な楽器や装備が無く、演奏技術も無いとなれば、あり合わせのもので何とかして作ってしまえ!というのが本質だろう。その結果として、まさに DIY の実践となるのだ。

ノンリニアに向き合うとは、個人や組織がパンク的である事を強いる … いや、これも順番が逆で、人が強烈な表現欲を抱えた時、あらゆる権威に反抗しながら手持ちを駆使して表現活動を強行したなら、それはパンク的にならざるを得ないし、そうして切り開いた新世界は必ずと言っていい程に乱流だらけのノンリニアなのだ。何故なら、ノンリニアこそが剥き出しのマザーネイチャーの性質なのだから。


そしてこうしたムーブメントは、実のところはニューヨークやロンドンのような「極めて恵まれた海洋国家」の「ナンバーワン海洋都市」という環境を必要とする。

そもそも、都会とは須らく(すべからく)表現者のためにあるべきものだ。少なくとも、僕の信念としてそう思っている。そしていつの頃からか、日本の首都・東京はそうした意味での「都会」では無くなってしまったようだ。

その理由は今さら言うまでもないだろう。ある時期からの東京がノンリニアを忌避してリニアのみを徹底して追求し始めたからだ。要は、波乱を避けて安定(というか「安定した成長」)を求め始めたのだ … まさしく、パンクロックとは真逆の〈へなちょこ〉っぷりだ。

そしてそんな情けない事をする街は、いくら規模が大きくとも「大都会」の要件を満たさない。だって「表現者」にとっては最も生きにくい〈リニアな〉場所になってしまってるのだから … 結局のところ僕がいつも言うように、大阪は「大都会」だが、東京は「大本営」なのだ。

そして今の大阪は、かつてのニューヨークやロンドンと同様に、日々刻々そこかしこでパンクが生まれているのだと思う。自分の頭で徹底的に考え抜き、信念を貫き通す。あらゆる権威に抗い、自らの表現欲に根ざし率直に振る舞う … この荒々しさは、実はナンバーワン海洋都市という豊かな土壌に咲いた大輪の花で、そして今の大阪はその要件を満たしているのだ。


実際のところ、外国マネーも流入する不動産市場の面において、今や大阪の都心部は「日本の地方都市」ではなく「アジア屈指のグローバル・ラグジュアリー都市」として捉えられているようだ。この事は、多くの人が様々な観点から大体そうだろうと読んでいた通りで、今や「憶測」は「確固たる事実」に昇格したのだ。要は、日本経済の地殻変動は既に完了していて、今の大阪に関してよく世間で言われるような「万博特需による一時的バブル」みたいな観測は、もう本当に果てしない程の周回遅れでしかない。

今の大阪は、とにかく恵まれている。世界ナンバーワンクラスなラグジュアリーへと疾走している。だからこそ、そこかしこにノンリニアのバタフライがはためき、個人や組織はビジョンや姿勢を不変に硬質に保ちながら、表向きの行動ではピボットを繰り返すこととなる。

こんな事はいくら口で説明されても、その場で体感しないと分からない。実際、5月中旬からの僕はほぼ一週間単位で相当大胆なピボットを繰り返す羽目になっているのだが、まさかここまでの乱流とは想像もつかなかった。それが5月中旬以降の大阪における肌感なのだ。

この〈週一ピボット〉のテンポ感でいくと、狙うマーケットがどうだとかの呑気は、もう全然言ってられない。実に大変なのだが、これがノンリニアだし、今の大阪だ。そして、生きる醍醐味とは、実はこの辟易する程の大変さの中にこそあるのだろう。