前回予告したように、今回はすれっからし対策について書いていくのだが、実はこれはかなり面倒な話だ。戦(いくさ)の基本は古今東西「敵の補給を断つ」なのだが、このすれっからしは厄介なことに会社が次から次へと無数に生産し続ける弱者男性を食い物というか「養分」にしているので、補給を断つことがかなり難しいのだ。もう少し言えば、すれっからし自体が弱者男性同様の〈器具〉なのだが、まさにすれっからしらしく、弱者男性からなけなしの富を収奪し続ける〈女子〉貴族の真似事をして、同類たる弱者男性の捕食者になってしまったのだ。これは実に狡猾な適応で、結局、会社というカルト教団の如き閉鎖空間の内部において、内ゲバというか一種の出来レースとして「勝ち組たるすれっからし」が「弱者男性をマウントする」という型が成立してしまったのだ。

ところで、以前に貧困ビジネスを典型とする「恥を知れビジネス」について論じた時に書いたのだが、大体においてこのすれっからしの正体とは、僕が言う所の文系部族(文系という符号・符牒によって群れる部族的存在)とかいわゆる労働貴族のような存在で、そしていずれにせよ日本的会社という閉鎖空間内で正社員という既得権によってふんぞり返っているだけの存在だと指摘した。そしてまさにそれゆえに、この手合いの弱点は「外国との文脈」や「外貨」であったり、外貨の国内への浸透によって進行する「リアルインフレ」であるとも述べた。なおこの「リアルインフレ」とは、通貨の供給過剰によって1円の価値が下落するという「本来の意味でのインフレーション」の事を指している。
こうして見ていくと、実はマクロで見ればすれっからし対策は既に完成しているし、もっと言えば、僕が「恥を知れビジネス」について論じた昨年2月頃から後はまさに僕の論の通りに状況が進展していて、今や実質賃金の激しい下落は報じられない日が無い程だ。もちろんこの実質賃金崩落(物価は上がるのに給与の額面が上がらない)は勤め人に顕著な現象で、もちろんどこよりも悲惨な事になっているのは東京だ。こんなことはもはや誰もが知っている。そしてこの大きな流れとしての外貨流入によるリアルインフレは、今後もほぼ確実に止まらない。実際、先日の日銀による「利上げ」においても、単にマイナス金利を解除しただけでゼロ金利は維持されたので、むしろ円安が進んだりした。ここまで見ていけば分かる通りに、実は遅かれ早かれすれっからしが滅亡するのは確定事項なのだ。
なのだが、ただ鬱陶しいだけの弱者男性と違ってこのすれっからしは、各々の今この場というか局地戦できっちりと各個撃破し続けなければならないという、そういう切実さがある。何故ならすれっからしは弱者男性よりも行動がアクティブなので、我々普通人が各々に「どうしても守らなければならない」と考えているものを、まさにその理由でもって破壊したり奪ったりという、どうにもならないほどに心がねじ曲がった「テロ行為」をやってくるからだ。確かに長い目で見て必ず滅ぶ相手ではあるが、今この場のテロリズムからは断固として我が身と大切な何かとを守らなければならない。どうしても守らなければならないものは、どうしても守り抜く … それが生身の人間が生きていくという事だろう。我々人間は、死なないだけでは生きている甲斐が無いのだ。

コロナ2年目の2021年の夏、端的に言えば僕は苦悩していた。その頃の僕は、どうすれば「馬鹿な JTC や勤め人の道連れに日本の宝を殺される」事態を防げるのか、いくら考えても行動しても一向に目処が立たなかった。苦悩の源はそこだった。
今のまま推移すると、会社主義の道連れで日本の宝が滅んでしまう … そんな危機感で毎日の焦燥感が凄かったのだ。ここで言う「宝」というのは例えば「普通の野球」がそうだろうし、もっと抽象的に一言で表現すれば良識や恒心などと呼ばれるような何かだろう。岡潔であれば「日本的情緒」と言うのかもしれない。
若者にありがちな「人生の目的は何ですか?」という問いに対しては「生きる事に目的なんか無い」と答えるのが正解だと思うが、「生き甲斐を感じないのですが、どうすればいいでしょうか?」であれば、これは老いも若きも関係なく切実な悩みだ。そしてこの問いであれば答えは「〈情緒〉を守り抜きなさい。そのために命を懸けて戦いなさい。」となる。宝と言おうが情緒と言おうが、とにかく〈それ〉無しには人間は生き甲斐を感じられないものなのだ。そしてすれっからし連中がそのねじ曲がった精神で執拗に破壊しようとしてくるのは、まさにこの〈それ〉なのだ。

では、この心がねじけたすれっからしに対する対策とは何だろう?それは一つは「徹底抗戦」だ。理屈が通らない事は絶対に受け入れてはならない。どんな事があっても降伏はしないと、そう決心する事だ。
もう一つ、極めて大事な事がある。それは「すれっからしとは決して同じ土俵で戦わない」事だ。
同じ土俵で戦わないとはどういう事か?これはウクライナを見れば分かりやすい。実のところウクライナ戦争は開戦後の割と早い時期から「武蔵と小次郎のような決闘」にはなっていない。ウクライナのゴールはEU加盟であり、ロシアはと言えば自己正当化と嫌がらせ以外にはやる事がない。バフムートやアウディフカといった小さな町での象徴的勝利のために、常識では考えられないほどの損害を出しながら攻め続けるなんてのは、本当に巌流島のような決闘ならば絶対にあり得ない事だ。
ロシアが70年前の兵器や弾薬をそこかしこから調達してウクライナの前線で使用し続けるので、NATO国サイド(といっても旧ワルシャワ条約機構のチェコ等が中心なのだが)も世界中から旧ソ連の兵器や弾薬をかき集めたりはしている。ただ本質はそこではなく、もう1年半くらいずっとウクライナ支配地であり続けている地域では、今や大量のユーロが流入しているのだ。ウクライナの通貨フリヴニャはもちろんロシアのルーブルと比べても比較にならないほど強力な通貨たるユーロが、日々刻々ウクライナの支配地を潤しているのだ。そこでなされているのは、ロシアの侵攻からの復興どころではなく、社会主義という闇から普通の自由主義という光へと向かう【高度成長】に他ならない。もちろんロシアはこんな事を一度たりとも経験していない。戦う土俵が違うというのは、このレベルの根本的な違いがあることを言うのだ。

我々が採るべきすれっからし対策も、このウクライナのようでなければならない。絶対に降伏しない事を決めた後は、絶対に同じ土俵で戦わない事を貫く必要があるのだ。
すれっからしは、その場その場に適応して臨機応変かつすれっからし的な悪事をやってくる。だが、共通している事がある。それはロシア同様に「嫌がらせしか出来ない」事だ。なので、その嫌がらせに対して徹底抗戦しつつも、全く違う土俵の上でのゴールを設定する事、これこそが最も強力なすれっからし対策となる。我々〈本気で生きている人間〉は、明らかにすれっからしとは違う次元のゴールを設定すべきなのだ。それこそが最強かつ最適の「すれっからし対策」となる。