再三書いていることだが、現在の日本は通貨の供給過剰という本来の意味でのインフレーション(僕の言う「リアルインフレ」)が猛威を振るっている。一方で、前回末尾に書いたように、この状況の影響を殆ど受けてない「治外法権」なところが二つある。一つは年金生活者の高齢者で、もう一つが JTC 勤め人の世界だ。
高齢者が年金生活をしていて、結果としてその言行が守旧的になるというのは、世界のどこの国でもありふれた話だ。だが、現役世代の集団である JTC 勤め人があたかも年金生活者のようにリアルインフレの影響を受けず、結果として高齢者同様の守旧的な態度を取るなんてのは、他所の国ではまあそう簡単には見られない珍現象(珍しい現象)だろう。前回末尾に書いた「リアルインフレの第三段階」を阻害するのは、このような日本独特の珍現象なのだ。
それにしても、JTC 勤め人を典型とするこの手の現役世代の態度を見るにつけ、日本はいつからこんなに年寄りくさいマインドになってしまったのだろう?という疑問がわいてくる。
その疑問への答えは、一般的には、バブル崩壊とその後に続く失われたウン十年という不景気に人々が順応してしまい、その間に80年代後半のバブルで儲けた連中が社会の要職に居座り続けたからだという、そんな感じの論調が多そうだ。つまり間違いが始まった時期はバブル崩壊のところで、そこをきっかけにしてバブル世代が既得権として居座り続け、今まさに逃げ切りを図っているのだと。それゆえにこれ程までに国中にお年寄りマインドが蔓延っているのだと。
だが、これには僕はちょっと懐疑的だ。そもそも日本が今回のリアルインフレの前に本来の意味での通貨供給過剰のインフレーションを経験したのは、実は1980年だと言われていて、バブルというのは80年代後半の出来事なのだ。そしてこのバブル期というのは日本国中が乱痴気騒ぎをしていたようなイメージで語られがちだが、実際はあんなのは東京のごく一部の現象に過ぎなかった。当時僕は関西で中高生だったが、上の世代がその手の乱痴気騒ぎの中にいるようには見えなかった。それっぽい雰囲気は、東京発のテレビや雑誌の中にしか無かった。
もしこのバブル期というのが本当に通貨供給過剰のインフレーションなら、こうはいかない。何たって東京も大阪もそれ以外も日本国内であれば「円という通貨」を使っているので、本来の意味でのインフレーションで「1円の価値が下がっている」のであれば同様の現象が起こるはずだからだ。
何が言いたいのかというと、要はバブル期からして既に、日本中が年寄りくさいマインドで支配されていたのではないかということだ。そしてその年寄りマインドの悪影響として、既に「偏在」「流動性の低下」が起こっていたのではないか。だから、あのバブル期そのものの乱痴気騒ぎは東京のごく一部だけの現象だったし、この頃から「東京一極集中」ということが言われ始めたのも、実際はバブル期には既に国全体が老いていたからではないかと思うのだ。
考えても見て欲しい。どこの業界でもいいのだが、才能ある若手といわゆる老大家みたいな人との最も著しい違いとは何だろうか?おそらくは「未知や新規の事への挑戦」ではなかろうか。そして、80年代後半のバブル的乱痴気騒ぎに、わずかでも「挑戦」の気風が見られるだろうか?あんなのは人生が既に詰んでしまった醜い中年サラリーマンが、未来に絶望しながら日々酔っ払ってくだを巻いていただけじゃないか。その有り様は、むしろ挑戦や革新の気風とは徹底してかけ離れたものだろう。バブル期の乱痴気騒ぎとは、精神において老いさらばえた末の現象なのだ。
こうして、元の問いである「日本はいつからこんなに年寄りくさいマインドになってしまったのだろう?」への答えが明らかになった。答えは「1980年のリアルインフレと80年代後半のバブル(実態は東京のごく一部での土地投機の流行)との間」だ。多少乱暴に言えば、それは80年代の前半で間違いない。
そう思って見てみると、この時期に起きた諸々はやけに「自己閉塞」を感じさせるものが多い。例えば「おたく」という言葉は、1983年にコメンテーターの中森明夫がコミックマーケット(コミケ)に集う人たちがお互いを「おたく」と呼び合うところからこの人たちを「おたく族」と名付けたのが始まりだ。そして後の1995年にとんでもないテロ事件を起こしたオウム真理教が「オウムの会」を名乗り、団体のトップが「麻原彰晃」を称したのもこの時期だ。そして世紀が変わってからという随分後に発覚する日産自動車の品質検査偽装も、大体この時期に現場発で始まり次第に横展開していったとされている。要は「閉塞」「身内意識」「腐敗・堕落」のように呼ぶべきものが、この時期に明確に日本の首都の東京中心に続発したのだ。
この頃の日本で何が起きたのだろうか??それについてはっきりしたことは不明だが、日本という国がこの時期に「鎖国」というよりは「閉じこもること」を決意したのは間違いなさそうだ。それも首都の東京を中心にして。
そう言えば、小松左京の「首都消失」もこの時期の作品で、おそらくだがこの偉大な作品の執筆動機のかなりの部分は、この時期の日本で進行する薄気味悪い自己閉塞現象への危機感であったはずだ。
日本国はどういう訳か80年代前半に東京中心に「閉じこもる」事を決意し(もちろんそれは、かつて書いたように「オウム的」なものだ)、そこから40年近くこの傾向がずっと維持拡大し続けた … この観点に立つと、いわゆる「東京一極集中」問題というのも、実は意外と本質を捉えていないのかなという気がする。
東京には非常に変わった特徴がある。それは「先進国の都市圏にしては、人口が異様に多い」ということだ。日本の事しか意識していない人には余り知られていないようだが。
先進国の都市圏というのは、最大でも2000万前後だ。実際、日本第二の都市圏たる大阪圏は1800万人程度で、しかもこの数字は、大阪圏の内部として実際には独立性の高い神戸圏と京都圏を含めた場合の数字だ。外国を見ても、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンはせいぜいこの2000万人程度の規模で、先進国の大都市の適正レベル人口の上限は、おそらくこのあたりなのだ。
一方で、東京を中心とする東京都市圏の人口は3700万人に達する。普通に考えて約1500万人くらいの過剰だ。外国でこの人口規模の都市圏というのは、インドのムンバイやインドネシアのジャカルタといった後進国の都市圏で、しかもインドネシアはジャカルタへの集中が問題だとして、既にカリマンタン島への首都移転を決定している。これによってジャカルタの人口は適正となり、インドネシアはさらなる発展へのきっかけを掴むことになるだろう。
インドネシアに出来ることが何故日本に出来ないか??一般的には、既得権者に都合の良い「東京一極集中」という施策のせいで合理的行動が阻まれているからだとなるのだが、先程も書いたようにこれはどうも違う気がしている。そうではなくて順番が逆なのではないかと。
逆というのはどういうことかというと、理由は不明だがまず最初に80年代前半の東京で「閉じこもることを決めた」一団があらわれた。それは「おたく族」が典型で、ごく一部が「オウムの会」のように凶悪なカルト教団へと変貌したりもしたが、殆どはそのような危険性のない温和な集団だった。一方で、この一団の問題はその「規模」だったのだと思う。要は「ごく一部の事」として誤差のように無視できるような小さな規模ではなかったのだ。
こうなると、日本は移動の自由が保証された先進国なので、各地にいる「閉じこもりたい」人たちが続々と同類を求めて、まるで流民のようにして東京に流れ込んできたのではないか。そしてこの人たちは、例えば新潟市のような地方都市では疎まれていて、その流出を誰も止めようとはしなかったのだろう。そんな風にして、気がつけば東京という街に「フリーライダーの巨大な塊」が出来るに至ったのではないか。まるで映画の「ゴーストバスターズ」のように。ちなみに、この「巨大な塊」が完成したのは、世紀が変わったあたりで「オタク消費」の強さが完全に認知され定着したタイミングだろう。「東京一極集中」の極端化も、そう言えばちょうどこの時期だ。
これはもちろん経済に限らず一票がモノを言う政治であっても同じで、「オタク議員」みたいなあり方はおそらく東京以外では殆ど存在し得ないはずだが、東京ならばちゃんと成立する。もちろんこういうのは世紀が変わってから後の現象だ。そしてこの「巨大な塊」が、さっき東京都市圏の人口の過剰について考えた時の「約1500万人くらい」であったとするならば … 全ての話が辻褄が合ってくる。
日本は、外国からの移民を殆ど受け入れていない国だ。欧州の例えばドイツのような国と比べると、それは歴然だ。欧州には中東やアフリカからの膨大な移民がいるし、米国だって元々移民国家なので、メキシコを典型とする中米からの移民はひっきりなしのはずだ。
だが、先程からの観点に立つと、日本だってある意味での移民国なんじゃないか … いや「日本」ではなくて「東京」がそうなんじゃないか。東京こそは「閉じこもりたい人」が全国から流民のようにして流れ込み、そして定着した街なのではないか。別に花の都で夢を叶えようなどという志など無く、ただただ故郷を逃れて、その上で「閉じこもりたい」だけの大量の人々を引き受け続けたのが東京で、その「移民・流民の受け入れ」は80年代前半に始まり、今に至るまで留まるところを知らない。「東京一極集中」とは実際はこういうことで、だから東京に「日本国の癌」と呼ぶべきフリーライダー集団が1000万人を超えて存在し、当然ながら政治も行政も地域経済も、この東京都市圏人口の4割に達しようかという人たちに振り回される。
その振り回された結果が JTC 本社という「巨大な雇用を生む装置」の東京一極集中なのだろう。昔だったら巨大雇用と言えば工場だったのだろうが、今回述べているような「閉じこもりたい人」においては、おそらく工場の作業員であっても「外に出ている」と感じるだろう。この人たちはあくまでオフィスのようなところで一日中座ってパソコンの前に居て、なおかつ「大したことをやらないでずっと過ごす」のが有難いのだ。こんな馬鹿げた欲求もそうそう無いが、数が多いので東京圏の中ではそんな欲求が通ってしまったのに違いない。高齢者の我がままで湿布薬に代表される「サブスク医療」が成り立ってしまっているのと同種の事で、しかもこれは現役世代のフリーライダーによる横暴なのだ。
この80年代前半の東京での「集団的な閉じこもり」は、個の自由が憲法で保証された日本国において、各々が個として自由に振る舞うことで引き起こされたものだ。そしてそれは現在も続いている。「おたく族」の由来となったコミックマーケット(コミケ)のあの凄まじい規模の大きさを見れば、それは明らかだろう。
この日本独特の珍現象と言うべき「いかにも東京一極集中っぽい」現象が、精神が老いさらばえた一部の日本人が東京へ流れ込んだ結果だとするならば、対策はいわゆる「改革」ではあり得ないだろう。逆に言えば、個の自由によって引き起こされた現象なので、真逆の志向性を持った個の自由の発揮によって「解毒(げどく)」出来るはずだ。
ここまでの記述を見ていけば、その「真逆の志向性」が何であるかは今や明らかだろう。すなわち「おたく族」的なモノと徹底して縁遠くなっていく事だ。そのように自らの行動をコントロールしていく事だ。そうすれば、日本の中央政府や東京都がコミケに代表されるような「オタク消費」への忖度を余儀なくされ続ける中、個人としてその手の傾向と縁遠くなることで、おそらくは現在進行中のリアルインフレとの距離が縮まることになるだろう。
やや乱暴に言ってしまえば、事の解決策は「コミケをガン無視」「おたく族をガン無視」だ。もちろんその結果として、外国と付き合うマインドに近づていくだろう。それはワンセットだ。外を見よう。そして体を動かそう。
結局は、日本がコロナ鎖国をしていた時に僕が関わっていた「#開国しなさいニッポン」と同じ事なのだ。だが、今回の内容で重要な点は「おたく族」のことを「オウム的」だとか「鎖国勢力」であるとほぼ決めつけていることだ。これはかなり強めの主張となるが、今回記事の肝となるところだ。
今回、僕が「おたく族」と表記していることに注目していただきたい。「オタク」には今やマニアのニュアンスもあるが、元来の「おたく族」は断じてマニアとは違う何者かだ。平たく言えば、もっとキモい(←当時はこの言葉は現在のように多用されなかった)存在で、そして本当に問題なのはそのキモさの度合いではなくて「凶暴さが無いだけに悪質なフリーライダー」であるところだ。
僕は長らく、東京という街に非常にネガティブな評価を下してきたが、その根幹は実は東京が「おたく族に最適化した街」だからなのだと思う。一極集中も地上波テレビや雑誌のような大手メディアにまつわる悪質な問題も、実は順番が逆なのだ。東京がいかに「おたく族に最適化」した街なのかは、かつては電器屋街だった秋葉原の変遷を見れば分かる。おたく族の街を経て、今やコンカフェ(コンセプト・カフェの略)の街にまで堕落している。
さらに言えば、今までからさんざん問題視してきた「日本的真面目」は、この「おたく族」と親近性が強い。老害と言われがちな「単なる偏屈」も、この部類だ。そして東京に本社を置く JTC のような組織は、まさにこれらの類似概念の維持拡大装置にして本拠地だ。
我々は、これらの嫌な感じの諸々と距離を取るべきだろう。それはかつて述べた「人間関係を固定化する傾向」と距離を取ることとも繋がる。そしてそういう態度で生きていれば、ほぼ確実に現在進行中のリアルインフレが追い風となるだろう。追い風がなくても挑戦はすべきなのだが、追い風まで吹いているのだから、この困難そうに見える挑戦をしない手は無いだろう。今すぐ立ち上がろう。やろう。懸念事の振り返りは、それからでいい。