最近の記事で書いてきたように、今や「日本は概ね一つ」なんてのはとんでもない幻想だ。この国は少なくとも東と西とにざっくり分けられていて、そしてその分かれ目は前回記事で述べたような「カールの壁」だ … もちろんこのカールとは「それにつけてもおやつはカール」でお馴染みのあの国民的人気を誇るお菓子の事で、そしてこうした「分断」説を咎めるどんな理屈も「そんなん言うたって東京でも名古屋でもカール売ってへんやんけ!」「大阪でも奈良でもカール売ってんのに!」でオシマイなのだ。そしてカールの有無なんてのは、駅のコンビニにでも入ればすぐに分かる事だ。

ところでこの「カールの壁」には、意外な程に深いというか妙な歴史的経緯がある。カールの販売元によると、2017年夏以降はカールが販売されているのは「『福井・岐阜・三重』より西」の地域で、これら三県を含む東側では販売されていない。そしてこの「福井・岐阜・三重」というのは、実は古代の三関(さんげん・さんかん)と呼ばれる3つの関所があったとされる県で、もちろんこれら関所は、古代日本の首都だった奈良や京都を守るために存在していた。
言うまでも無いが、この「福井・岐阜・三重」はそれぞれ内部に旧国名で言うところの越前・美濃・伊勢を含んでいて、これらは三関国(さんげんこく・さんかんこく)と呼ばれていた。となると、現代の「カール三県」は言わば「令和の三関国」と呼べるだろう … 何やらカールの話は、妙な歴史の重みを帯び始めてきた。

僕は奈良県出身で、なおかつルーツが京都にあるのだけど、つくづくこの奈良と京都の歴史というのは偉大だと折に触れて痛感する。日本にまつわる大体の事は、既にこの奈良・京都に首都があった時期に先人がそれなりの対応をしているのだ。しかもそれは、例えば近隣の超大国たる中国に全ての規範を求めて国民を抑圧するような「出羽守的」なやり方では全く無く、現実の民衆の暮らしをとことん見極めて対応したという意味において極めて「日本的」なものだったのだ。
例えば、日本における所謂〈減税派〉的な在り方の嚆矢は仁徳天皇の施策とされる「民のかまど」だし、少し前に世界中をパニックに陥れた〈コロナ騒動〉のようなパンデミックに関しては、奈良時代の聖武天皇期の天然痘(←もちろん天然痘は今でも恐るべき「一類感染症」だ)の蔓延という大惨事への対応に豊富な実例がある。
聖武天皇の妻たる光明皇后は、さすがは日本における政治の天才・藤原不比等の娘だけあって、この疫病蔓延という難局への具体策はもちろんの事、それに加えて当時においては間違いなく絶大な威力を持っていた「宗教」の力を借りて民心安定につとめた。もちろんその施策の一つはあの大仏建立だが、これは言わばパンデミックによる民間経済の毀損に対して財政出動でテコ入れするというニューディールのようなものでもあったのだ … 何しろ大仏建立には膨大な人々が動員されたはずで、そしてその人達の賃金は当然ながら国家が出していたのだから。さらにはその財源は、現在の東北地方での砂金の採取でまかなわれたらしい … これは現代における〈アベノミクス一本目の矢〉に相当する施策だった。

先ほど僕は奈良と京都の歴史の偉大さについて、日本にまつわる大体の事は奈良・京都の時代に先人がそれなりの対応をしていると書いた。もちろんこれらの「対応」の多くは天皇が居た都たる奈良や京都の周辺でなされていて、そしてそれは地理的には「三関国」よりも西なのだ … つまり現代において「おやつのカール」が今なお売られている地域になる。
現代特有の妙な日本語に「発達障害」というものがある。僕も含めて聞き慣れてしまった感があるが、はっきり言ってこんな奇妙な言葉は「非カール地域」すなわち古代の関所よりも東側の産物に決まっている … というのも古代日本の先人たちは、天皇の居る奈良や京都周辺においては、かなり古い時期から「変わり者」文化を育んでいたからだ。この「変わり者」とは現代で言えばズバリ発達障害で、そして古代から中世において今で言う「カール地域」は、この発達障害者たちにまつわる文化的で豊かな事例の宝庫なのだ。

何度か書いている事だが、こういった話は鎌倉末期から南北朝時代の作品とされる「徒然草」を見れば明らかだろう。「徒然草」の偉大さは多岐に及ぶが、実はこの現代で言う発達障害者の扱いこそが究極ではないかとすら思えるのだ。
「徒然草」については、かつて小林秀雄も引用した第40段の「栗娘」であったり、あるいは第60段の「芋頭の僧都」については、その当人たちの偏食と尋常ならざる資質を見れば、今の日本的な言い方だと確実に「発達障害」の話題だろう。そしてこれら事例は、今から見ればかなり昔になる小林秀雄の頃の言い回しで言うと、明らかに単なる「変わり者」の話なのだ。
第40段に関しては、作者の兼好が「多くを言わなかった」事について小林秀雄が激賞したのが有名だが、何やかや兼好の時代にも小林秀雄の時代にもやっぱり「炎上」があって、変わり者の事を大っぴらに褒めたりすると「燃やされた」のかもしれない … いずれにせよ兼好も小林秀雄も「多くを言わなかった」事で、その作品は名作として後世に残ったのだろう。
そして変わり者文化と言うのは、実は結局はこういう事なんじゃないかと思う。つまりは「多くを言わない」事、そして多くを言わずとも「伝わる」事、さらに言えばそこに何かしらの「強制力が働く」事。

変わり者は、いつの時代にも一定の割合で居ただろう。そして、その事に関して多くを語らずに、なおかつ肯定的な評価を広めていくと言うのは、明らかに言語表現における相当洗練された「文化」のはずだ。変わり者文化の肝はまさにここであって、そして現代日本語というのは再三僕が述べているように会社によって根っ子を破壊されているので、その結果として会社を中心にして「発達障害」なる誤謬が蔓延る事になるのだろう。
その一方で、古代からの言語文化資産の痕跡が未だに豊かに生き残っている三関国の西の「カール地域」では、変わり者は変わり者として難無く生きていけるのだと思う … 発達障害?何言うてんの?それ何か意味あんの?程度の話であって、これこそが「カールのある地域」における〈仲間連中〉の良識なのだ。

今回はここまでとする。次回は、この「カール地域」の変わり者文化の肝となる「言語文化」について書いていくつもりだ。文化というと少しフワッとした感じがするのかもしれないが、そうではなくて「文体の精度・強度」という言わば「硬派な」話となるはずだ。