前回「小作人」の話をしたが、本当に今の日本のありとあらゆる悪しき事例がこの小作人という概念で説明できるように思う。例えば少し前に問題視した「すれっからし」も、たかが上級奴隷な人間がガチの小作人マインドな者を苛めてマウント取って喜んでるだけの現象だ。

日本のフェミニズム系の「女性の権利云々」の何か変な感じも、奴婢の「婢」だと思う。良し悪しは別にして、例えば欧州や米国における女権拡張系の運動には「男性社会からの抑圧に対する女性からの権利闘争」的な感じがするが、日本のそれらには少なくとも現段階ではこういった「権利をめぐる闘争」の要素は皆無に近い。

結局これは前回書いたように、奈良時代に「奴婢」と呼ばれた貧しい農作業員が、豊臣政権と江戸初期を経て江戸中期に「小作人」となって、敗戦後の GHQ による農地改革に至ったという「日本の農業奴隷制度」の話だ。そして当たり前ながら、GHQ の「農地改革」からまだ80年ほどしか経ってない。


こういった話の最終結論はいつだって決まっている。

「生活費を稼ぐ」ことによって自らの健全な自尊心が傷つかない(むしろ上がる)経験を一度でもしている人を、この国に一人でも二人でも増やすことがゴールだということだ。逆に言えば今の現状は、生活費を稼ぐという有り触れた事のせいで、数千万人に及ぶ人々の健全な自尊心が傷つきまくっているのだ。


日本には嫌儲なんて無い。誰もお金を汚らわしいなんて思っていないだろう。そうではなくて、金儲けのために小作人(奴婢)になるという、その奴隷根性が汚らわしいのだ。そのあたりを多くの人がごっちゃにしていて、見かけ上「嫌儲」に見えるだけだと思う。

こんなことを言うと、別に今の日本は近代社会なので、金のために奴隷になんかならずに、もっと違う働き方・生き方をしたらいいんじゃない?とか、それが出来ないのは単にあなたの能力不足じゃないの?… みたいなコメントが飛んで来そうだが、もちろんそんなのは空論だ。

日本人が勤め人と呼ばれる「現代の小作人」を選ぶケースの殆どにおいては、個々人の能力なんか不足していない。そうではなくて、日本には「職業選択の自由」がそもそも無いのだ。しかもこの取り決めは非常に厳格だ。

1972年生まれの僕の経験からしても、職業選択の自由なんて実質として存在し無いのが当たり前だった。同性の親の人生をなぞった上で少しずらすのが関の山。いろいろと伝え聞くインドのカースト制の事を他人事とは思えなくなる。もちろん現代日本においてそんな在り方は酷いものだし、つまらないし、何より生きている甲斐がない。

そしてこの職業選択の自由がないという変なシステムは、小中高校&大学とリクルート社と「雇用の受け皿」たる大手メーカーとの組み合わせで成り立っていて、そして再三述べてるように、これらの妙なシステムの元締め役にあたるのが、バブル崩壊で実質的には破綻したテレビ局 … もう少し正確に言うと東京地上波キー局だ。


以前にも書いたが、殆どの日本人にとっての「金儲け」とは「社会人になる」ことで、そんな程度の事を空気を読んだりみんながやってるからとかのどうでもいい理由で追いかけてしまっている。未だに〈マスクっていつまで着けてたらいいのでしょうか〉みたいな事を言う腑抜けが日本には居るが、そのレベルの話が「社会人になる」とか「就活」とかの実態だ。誰もマスクなんかしてない欧州や米国から来た観光客には、こんな実態は想像すら困難だろう。「そんなことも自分で考えられないのか?」と言われておしまいの話だろう。

日本の勤労者は酷いストレスに苛まれていることは今や世界的に知られているが、それはこんな空気読めだのマスクだのといった愚かな日々が、終わりなく数十年にもわたって続くからだ。仕事の内容や難易度とかのまともな話では全く無い。今や世界中からこの「奇習」を不思議がられている「サラリーマン」とはこういう存在だ。

聞くところによると、中米コスタリカの映画監督がこの日本のサラリーマンのドキュメンタリー映画を撮っているそうだが、その作品では、自らを「奴隷」と呼ぶサラリーマンの存在が描かれ、作中では「会社による殺人」というニュアンスが終始漂っているらしい。この捉え方に元サラリーマンの日本人たる僕は、殆ど違和感を感じない。つまりは日本の会社とは、主に男性の勤め人の生活を維持しながらも魂を殺す場所なのだ … ちなみに女性はこの「サラリーマン」にはなかなか入れてもらえないのでこういう殺され方はされにくいが、生活の維持が大変となる。こんなのがGDP世界三位の「経済大国」の実相なのだ。ちなみに今や日本の会社の部長クラスの給料はタイに抜かれてるそうだが、これも特に不思議はない。

こうして見ていくと、こんな酷い会社などと言う場所からは「とにかく逃げろ!」というだけの話なのだが、この手のストレスのあまり無いような勤労環境を見つけるなんてのは、極めてハードルが高い。以前に転職の話題のときに指摘したように、この手の話においては日本は「悪路だらけ」で、殆どの一般人はあっさり弾き飛ばされてしまう。なので、こういう地獄のような所にでもしがみついてしまう。本当に救いようのない話だ。


さて僕はこのようなどうしようもない小作人マインドをキャンセルするために、色々と考えて行動し続けてきたのだが、実は去年の10月くらいからの諸々で、ごく最近についに一つの答えが出た。それについて説明する。

まず小作人マインドには「物理的根拠がない」ことをしっかり認識することが大切だ。この「物理的根拠がない」というのは平たく言えば「幻想・妄想」のことだが、例えば「お金というのはその時必要なだけ入ってくるものだ」という見解があるとして、これを物凄い剣幕で否定する人は多いだろう。その説の根拠は何なんだと?それこそエビデンスを見せろと。そしてこの手の説を唱える人はそれこそスピリチュアルが入ったようなちょっと変な人が多くて「根拠なんて無いんです」などと言ったりするわけだから、普通は笑い捨てられるだけだろう。

だが、よく考えてほしい。小作人マインドにだって物理的根拠はないのだ。ということは小作人マインドを選択する事と「お金はその時必要なだけ入ってくる」を選択する事とは、物理的根拠が無いという意味では実は何の違いもないのだ。もちろん小作人マインドにだって何のエビデンスも無い。「それが現実だ」とかいう〈聞き慣れた言葉〉があるだけだ。

「そんな世迷い言を信じて路頭に迷ったらどうする?」とか言われそうだが、じゃあ小作人マインドを信じて人生が台無しになったら、誰か責任でも取ってくれるのだろうか?「あのときは仕方がなかった」とか言うのだろうか?コロナのロックダウンみたいに??

… ここまでの文意をちゃんと読んでくれてる人には、僕の本意が「小作人マインドを生み出すような『カルト教団の如き洗脳』こそが最も危険だ」であることに気づいてもらえていると思う。つまりは、そんじゃそこらのスピリチュアルなんかよりも「労働教」「会社教」の方がよほどタチの悪いカルト教団なのだと言いたいわけだ。実際、幸福実現党や公明党よりも、旧民主党の方がはるかに強大だったじゃないか。何しろ一度は政権まで獲ったのだから。


殆どの日本人が植え付けられている洗脳は「労働教」「会社教」だ。断じて「資本主義洗脳」ではない。「会社洗脳」であり「日本型雇用洗脳」だ。日本型雇用なんかに資本主義の要素は米粒ほどもない。あれは労働を建前にした〈雇用原理主義〉のカルト教団でしかない。創価学会よりも強大な教団だ。もちろん今の日本化したMMTも同じ流れの思想だ。ちなみにこの「会社の教団化」については何回か詳細を書いているが、今回は特に触れない。いずれこの話についても決定版を書くかもしれない。

さて、ではこの恐ろしい洗脳を解くためのワークは何だろうか?… 実は答えは簡単だ。

「一箇所だけに雇われる状態を絶対に避ける」だ。これだけを忠実に実行することが、会社洗脳から脱するための最も確実なワークなのだ。

一箇所だけに雇われる状態を避ければいいだけなので、「複数箇所に雇われる」でも「どこにも雇われずに仕事をしてない」でも OK だ。もちろん起業したり個人事業主なら完璧だ。そして海外に住めばそもそもこの手の話の前提の「日本的文脈」自体が消えてなくなる。

以前僕は「会社も駄目、バイトも駄目」という話をして、その駄目条件として「労働組合」の存在を挙げた。労組はもちろん戦後日本的な会社の前提だった「小作人の収容」に特化した組織なので、この議論は間違ってはいない。だが、歴史を俯瞰して見ても、小作人マインドを固定する最悪のタガは「一人の主人に仕える」だろう。であるならば、現実的には労組も含めた小作人マインドをキャンセルするためには「一箇所だけに雇われる状態を絶対に避ける」で問題無いはずだ。


結局、問題は「忠誠心」だったのだと思う。日本人であれば、勤め人と聞いて一番にイメージするものは「忠誠心」だと思うはずだ。そしてこの忠誠心と言う言葉は実は要注意で、例えば戦乱期の戦国時代を描いたドラマにおいて忠誠心が賛美されるのは、あれは歴史考証がしっかりしていて、要は単に戦国時代において忠誠心は「希少価値」だったからだ。将棋のルールを見てもそれは明らかで、そして再三述べてきたように、物事の価値は「希少価値」が結構大きい。「安いサンマは旨い」「オタサーの姫」の議論を思いだそう。物の価値はかなりの程度でマーケットが決める。

そして小作人が口にする忠誠心は全く意味が違う。それは単に自らの惨めな状況の追認であり、自由な他人を自分のような不自由さに押し込めることで相対的に自分に有利にしようというさもしい魂胆でしかない。まさに奴婢のマインドであり「すれっからし」だ。そしてこのマインドは、大手メディアと物凄く相性が良い。ベストマッチだ。

「コロナの3年」にはロックダウンや感染対策好きの者が多数居たが、どれもこれも「奴婢・小作人根性」だった。ロックダウン支持などまさしく「自由な他人を自分のような不自由さに押し込めることで相対的に自分に有利にしようというさもしい魂胆」そのものだ。もちろん2021年の年始には明らかになっていたように、ロックダウン支持層の主力は勤め人だ。特に公務員にその傾向が強かった。


ロックダウン一つとっても、日本最大の問題は「小作人」で間違いない。そして古参日系大企業(JTC)や官公庁が、この「小作人」のアジトとして今でも大威張りしている。日本の問題は、この気持ち悪い集団にこそ集中しているのだ。