僕は、人生のある時期からフィクションをパタッと読まなくなった。ドラマや小説の類の事だ。おそらく大学4回生の早い時期あたりが最後だと思う。20年近く前の話だ。

何故そんなことになったのかというと、きっとその頃から自分の周囲がフィクションというか嘘っぱちまみれになってきたからだと思う。言わば今のウクライナ戦争による「情報戦・認知戦」みたいな話だが、あの手のフィクションというか広い意味での文学を権力者などの力のある者たちが浸透させるというのは昔からあることで、そんなに珍しいことでもない。

私企業が何らかの商品を売りたいという目的の広告であったり、それこそドイツでのヒトラーによる政権簒奪であったり、要は社会全体に及ぶ大きな動きにおいては、常に今でいう「認知戦」はその巧拙は別にして行われてきた。そして正統とされた国家や支配体制(欧州中世の教会支配はその典型だ)は、どれもこれも「統治を上手くいかせる」ために数多のフィクションを撒き散らしてきた。「国史の編纂」というのもよくある手法だ。僕は奈良県人なので日本における「古事記」「日本書紀」を即座に思い浮かべるのだが、特に日本書紀の方はまさに国民を支配するために、国家権力が壮大な嘘っぱちを作って流通させたわけだ。そしてこういう事は特に悪事というわけではなく、政治におけるフィクションとは元々そういうものなのだということを、各々がきっちりと理解していれば良いのだと思う。

話を戻すと、僕がフィクションを読まなくなった大学4回生と言えば1994年で、この頃の「急変」のトリガーが何なのかについてはパッと思いつくような(それこそ「コロナ蔓延」みたいな)分かりやすい要因は無かったと思う。強いて言えばバブル崩壊がその時期に起こっているのだが、そんなことは大学生の僕たちには直接の関係は無かった。そしてそれにも関わらず、嘘やフィクションは僕ら若者にも雨あられと降りかかってきた。

ともあれ、日々生活している人間は、特に若い僕たちの世代は、この急増する嘘っぱちにとにかく対応しなければならない事だけは確かだった。そんな状況で、わざわざお金と時間を使ってフィクションを嗜もうなどという気になれる訳が無い。


2020年からのコロナ騒動には、1994年前後に感じたあれやこれやと似たものを感じている。ウイルスの蔓延そのものではなくてコロナ関連の嘘と出鱈目が人心を惑わし、「マスクはコロナ対策に有効です」のような何かのディストピア小説の設定か?というような話が何故かズルズルと蔓延り続けた … 何となくあの頃と雰囲気が似ているのだ。

そもそもを言えばコロナ騒動というのは「新興ウイルスの蔓延に社会がパニックを起こした」現象だが、その割には「ウイルスとは何か?」というそもそも論が殆ど語られて来なかった。考えてみれば妙な話だ。

別に研究者レベルの話を求めているのではなくて、それこそ高校の生物レベルの知識で言えることで言うと、まずは「ウイルスとは生物ではない」。ここまではまあ良いとして、そこから進んで「ウイルスとは何なのか?」という問いに関しては、殆ど誰からもコメントらしきものが出てきていないように思う。残念なことだ。

では、ウイルスとは何なのか?定義は複数あり得るだろうが、20世紀の離散数学の進展を踏まえた現代の情報科学および情報的な世界観を踏まえれば、ウイルスとは「自己複製する情報体」だと言える。そしてその意味では、生き物に感染するリアルなウイルスもコンピュータウイルスも、本質的には何も変わらない。そしてさらに言えば、コンピューターウイルスだけでなく人間が言葉でもって頭の中で考える思想や創作物(フィクション)だって、一種のウイルスだろうと思う。今回の世界中のコロナ騒動は早い時期から「インフォデミック」が懸念されていたのだが、そもそも病気を起こすウイルスと人間が放つ言葉というものはそんなに差がないのだと、もっと早い時期から捉えるべきだったのだと思う。何しろ「流言飛語」という言葉もあるくらいだ。

そう考えると、コロナの2年間と何となく似た感じのある1994年にも、きっと何か変な「ウイルス」が蔓延したのだと思う。病気のウイルスではなく、ただの情報でしかないフィクションとか嘘っぱちの類が。


今の日本は、今年の早い時点で誰にでも予測出来たように、非常に深刻な〈スタグフレーション〉に陥っている。ガソリンからラーメン屋に至るまで何でもかんでも値上がりしているが、給料は決して上がらない。まさしくスタグフレーションで何とも困った話なのだが、こうなってしまう要因としては、米国の利上げやウクライナ戦争の影響は多少はあるが、基本的には「一発の銃弾も撃ってないのに、円という通貨の価値が急速に落ちていった」ことが原因だ。
円が弱くなるので輸入品は全て高くなる。なので外国の貨幣=外貨(特に米ドル)をコンスタントに獲得できていない人や組織や地域は、生活における全てが縮小していく。何しろ「可処分所得」が減っていくのだから。
自国通貨の衰えに起因する今回のスタグフレーションに関しては、人や組織や地域の特性によってその進行度合いがまだら模様になる。要は、米ドルとの縁が薄く日本円との縁が濃いところから順番にダメージが進行していくのだ。
これは言い換えると、顧客が国内の公共系組織に集中している古参日系大企業(JTC)の勤め人がスタグフレーションがキツいということになり、地域的には大企業本社の集中する東京がキツくなる。そして、ダメージが国全体で均一ではないことで、得も言われぬ被害者意識のようなものが国民感情としてまだらに漂い、しかもこのタイミングで7月に参議院選挙があるので、その不穏な空気がこれまで以上に深刻になっている。何ならコロナの2年間よりも雰囲気は悪いかもしれない。もちろんその雰囲気の悪さの原因と意味合いは、コロナ期とは全く違うのだが。
このスタグフレーションのまだら模様さは、僕が再三「大人の学びの第一段階」と言い続けている〈儀礼のぶっ壊しやすさ〉の難易度にも影響を与える。当然、貧すれば鈍するで、何らかの貧困があるほど、儀礼をぶっ壊して本音を言ったりあるいは遊んだりする事は困難になる。そうなると大人の再教育度合いに格差が生じ、貧困の悪循環が発生する。
今回のスタグフレーション(というよりは「岸田インフレ」)が始まってからもう半年が経過していて、しかもその間にGWを挟んでいる。僕は大阪を中心とした関西圏で生活しているので、GWはまさにコロナを終わらせるための集団脳内デトックスと呼ぶべき「遊びという名の大人の学びの第一段階の日々」だったわけだが、スタグフレーションのキツい東京などは、このGWはどんな感じだったのだろうか??少なくとも大阪よりは「コロナの2年間を引きずった」ものだったのではないか。
GWを超えた今、東京と大阪の状況は地味だが決定的に違う。例えばマスクに関することが典型的で、伝え聞くところによると「ノーマスクを貫く人」への圧力が東京と大阪では全く違うようだ。要は大阪でノーマスクやっててもあっさりとスルーされるのだが、東京ならばはっきりと白い目で見られるだろうと。
これらの状況証拠が指し示すのは、このGWの間に東京と大阪とで「学びの第一段階突破者」の数にかなりの差がついたという事ではなかろうか。まだら模様のスタグフレーション(岸田インフレ)によるダメージは既に二周目に入っていて、一周目でついた差が二周目で更に拡大するフェーズに入っているわけだ。
これこそスタグフレーション地域の「悪循環」で、まだら模様の色違いのコントラストが段々キツくなっていく。そしてこれは「悪循環」なので事の悪化は進むばかりで、バランスの取れた状況に戻ることは無い。グレートリセットよろしく現状をぶっ壊してしまうまでは止まらない。
こうなってくると日本での「格差解消」が云々という選挙演説の常套句は無意味になってくる。「格差なんて放置していいんだ」ではなくて「その問い自体が既に無意味」なのだ。
もはやそんなことを言ってる場合ではなくて、必要なのは東京や東京と縁深い地域での〈ガラガラポン〉だけだ。景気の悪化や後退と違って悪循環の場合は、一旦止めてしまってリセットしかないのだ。これは、碁で言う「シチョウ知らずに碁を打つな」の状況だし、もっと平たく言えばスマホが固まった時の「電源ボタン長押し」みたいなものだ。

今の日本で展開されている異様なフィクションの蔓延は、実はこのまだら模様のスタグフレーション(岸田インフレ)による「不均一な貧困」が起因しているのではないかと思う。そして日本でのコロナ期間の鬱屈した空気にしても、実は偶然にコロナのタイミングと重なって始まった「東京の一人負け」(要は東京は沈むが他地域は元気)がもたらしたもので、こういう東京一人負け状態が起こったときに巻き起こるのが「フィクションの蔓延」なのではないか。何故なら、日本のエスタブリッシュメントや既得権者は「東京一人勝ち」なら延命できるけど、「東京一人負け」だと頓死するから。
1994年に僕が経験した「フィクションの蔓延」は、バブル崩壊による経済不況で起こったのではなく(というかバブル崩壊で日本経済はおそらく不況になんかなっていない)、バブル崩壊という「東京の異常に上がった地価が少し適正値に近づいただけの現象」によって東京だけが一人で沈んだことで起こったのだと思う。
バブル崩壊なんて、普通の経済圏の中にいる人間には全く関係ない。関係するのは東京に土地を持っている既得権者だけで、そいつらが路頭に迷えばよいだけの話だったのだ。それを避けるために、誤魔化すために、市場経済の原則を捻じ曲げるために、巷にとんでもない嘘がばら撒かれた。それが1994年の「フィクションまみれ」の正体で、そして今回のコロナ期の嘘っぱちも同様の話でウイルスのことなんて何の関係もない「東京一人負け」を誤魔化すために嘘がばら撒かれまくっただけ … ただ単にそれだけの実にしょうもない話だったのだと思っている。

日本が定期的に東京一人負けになるのは、東京という街が80年代以降は「地上げ依存症」であることで起こる。どういうことかというと、日本の銀行は間抜けなので、土地を担保にしてしか大きな金を貸せない。なので、いわゆる金融緩和政策として日本円を市場に大量に供給するためには、どうしても地価が高い必要がある。日銀が「輪転機を回す」とは、銀行が保有している日本国債を日銀が買ってその代金を銀行の日銀当座預金に振り込むことなので、銀行が日銀当座預金の残高を市場に対して貸し出してくれないと、せっかく「刷った」日本円は一般市場に出ていかないのだ。
マクロ経済の理論はともかく、現実の日本円はこんなにも脆弱で一瞬で目詰まりを起こしそうな仕組みでしか供給できない。もっと言うと、日本はニクソン・ショック以来の管理通貨制度に未だに適応できていないとも言える。随分間抜けな話だが実際はこんなもんだ … ついでながら、50年も前に始まった管理通貨制度に適応出来ていない有力国として、もう一つ「ロシア」という間抜けかつ大迷惑な国があるのだが、今回の本題からは逸れるのでそれについては書き進めない。
日本の話に戻すと、銀行の間抜けさのせいで地価の高さが必要となり、地価を維持するために地方(特に大阪)を下げ、大手メディアでのhype(誇大広告)で東京という街の虚像を作る … こんな馬鹿げた話は、本来ならば誰かがどこかでリスクを取れば解消される話のはずだが、ババ抜きゲームのように誰もリスクを取ろうとしない。仮に誰かがリスクを取ろうとしても、絶対リスクを取らない連中の身の安全のために徹底して潰す。そしてそのリスクは未来へと先送りされ、今の時代の高齢者層であったり医者のような埃をかぶった既得権者達はひたすら自らの逃げ切りだけを狙う … まさしく「老害」の名にふさわしい振る舞いだ。もちろん医者のような既得権者の中には20代30代の「老害」もゴマンといる。
このような嘘の上にさらに嘘を塗りたくったフェイクな仕組みがいつまでも堅調に続くはずがなく、定期的に地価が〈正常化〉して大混乱が起こる。そうすると、またぞろ東京発の大嘘が出回る … 日本は40年余りこんな堂々巡りばかりやっている。

前回の記事で、典型的なニッポンの会社的な「キシリーマン仕草」が、今まさに起こっているナチュラルなゼノフォビアだけでは済まない問題を抱えているようだと書いたが、その一つがこの「東京一人負けを誤魔化すための嘘っぱちの蔓延」だ。それも、凄く精緻な陰謀を取り繕おうとして嘘をつくのではない。単に東京に「一極集中」しているアホどもが、土地が上がり続ける(少なくとも下がらない)ことを前提にした「事業計画」なる絵空事を唱えてました的な大間抜けでしかない。そしてこういう不始末は、それこそ岸田総理のような「元長銀サラリーマンであることをもって英国の金融街でドヤ顔する」ような爬虫類集団がやらかして、その挙げ句にやらかしを隠して誤魔化して、その事で社会の屋台骨を揺るがしてしまう。
このようにしてキシリーマン仕草はナチュラルゼノフォビアだけでなく東京の出鱈目を嘘で隠蔽することにも手を貸すわけだが、もちろん東京の出鱈目や大嘘は地価だけに限った話ではない。東京に蔓延る嘘つきは不動産屋だけではなくて、もっと酷いどうしようもない大嘘つきがいくらでもいる。
今一番分かりやすいその事例はといえば、もちろんコロナの2年間の騒動の中心となった医療界であり、特に酷いのは「厚労省(正確には旧厚生省)」だ。先日、厚労省がワクチン関連のデータ改ざんに手を染めていたことが判明したのだが、もう絵に描いたような出鱈目で、話題が医薬品(ワクチン)なので本当に人の命が関係していることもあり陰謀論めいた説が多数巻き起こるのは仕方がないが、ある意味さらに絶望的なことに厚労省というのは、そんなドラマの悪役のような精緻な陰謀や凶悪な目的など無くてもこの手の著しく人倫に反する事を平気でやる組織なのだ。俺達はただ上から言われたことをやるだけ、責任はない。仕事はいつだってやりっ放しで、後でどうなろうと知ったことか … 。

今回はここで終わる。次回は、この2年間のコロナ騒動の主犯でもあり、1994年のフィクション蔓延時にも日本の長い歴史上最悪レベルの罪を犯した、医療界の中でも最も悪質な組織である「旧厚生省」の話から始めて、その周辺の胸糞悪くも大間抜けな連中についても書き進めていくつもりだ。