精神科の診察では、患者さんと私は、それぞれ別の生活をしています。
当然、同じ生活をしているわけではありません。
仕事も違う。
家庭環境も違う。
趣味も違う。
住んでいる場所も違う。
だから、いつも同じ話題があるとは限りません。
では、何を話せばいいのでしょうか。
私は、必ずしも特別な話題が必要だとは思っていません。
例えば、
「今朝、起きてどうでしたか?」
と聞く。
「今日はすっきり起きられました」
それだけでもいいのです。
そして、
「すっきり起きられて、よかったですね」
「ありがたいですね」
という話ができる。
一見すると、とても小さなことです。
でも、私はこういう小さなことが大切だと思っています。
人によって生活は違います。
でも、大きく見れば、それほど違わないところもあります。
朝起きる。
活動する。
仕事をする。
学校に行く。
家事をする。
食事をする。
夕方以降になれば、風呂に入る。
そして眠る。
もちろん、その中身は一人ひとり違います。
でも、一日の大きな流れは、案外似ています。
精神科の治療というのは、突き詰めていけば、この一日の生活をいかにスムーズに行えるようにしていくかということなのではないでしょうか。
精神科医として長く診察をしていると、一人ひとりの人生は本当に違うということが分かります。
だからこそ、私は逆に、その違いだけを見ることはしないようにしています。
その人がどんな仕事をしているのか。
どんな趣味があるのか。
どんな家庭なのか。
もちろん、それらは大切です。
でも、それ以上に、
「今、この人が生活していくうえで、何が邪魔をしているのか」
を見る。
そして、
「どうすれば、今日より明日、少し良くなるのか」
を考える。
私はそこに焦点を絞って診察しています。
その生活を支えるものの一つが、私は「感謝すること」だと思っています。
大げさなことでなくていい。
朝、起きられた。
眠れた。
食事ができた。
風呂に入れた。
外に出られた。
人と話せた。
そういうことでいいのです。
「今日はこれができた」
「ありがたいな」
と思ってみる。
すると、自分に対する見方も少し変わってきます。
人は、自分に対して厳しくなりすぎることがあります。
「あれができなかった」
「また失敗した」
「自分は何をやってもだめだ」
そんなふうに、自分を責め続けてしまう。
でも、今日できたことに目を向けて、
「まあ、これができたからいいじゃないか」
と思えるようになる。
それは、自分を許すことにつながるのではないでしょうか。
そして、自分を許せるようになると、少しずつ自分を認められるようになる。
私は、そこがとても大切だと思っています。
患者さんには、薬についてもよく説明します。
薬は、自分ではどうしようもできない症状や、自分の力では抑えられない部分を抑えるために飲んでもらうものです。
だから、
「薬を飲んでいるから、そのうち自然に自分が変わっていく」
というものではありません。
薬によって症状を抑える。
そのうえで、自分自身の生活を少しずつ整えていく。
今日できなかったことが、明日は少しできるようになる。
昨日より今日、今日より明日。
そうやって、自分自身を少しずつ変えていく。
薬だけに任せるのではなく、自分でも少しずつ前に進んでいく。
私はそういう説明をしています。
精神科医として30年以上診察をしてきました。
その中で、私が患者さんに望んでいることは、それほど大きなことではありません。
急に人生を変えてほしいわけではありません。
別人になってほしいわけでもありません。
今日より明日、少し良くなってほしい。
それだけです。
朝、昨日より少し楽に起きられた。
食事ができた。
外に出られた。
人と話せた。
昨日より少し自分を責めなくなった。
それでいい。
その積み重ねでいいのだと思っています。
精神科というと、何か特別なことをするように思われるかもしれません。
でも、私が診察で見ているのは、結局のところ、その人の毎日の生活です。
起きる。
活動する。
食べる。
風呂に入る。
眠る。
その一つ一つが、少しでも無理なくできるようになる。
そして、
「今日も一日過ごすことができた」
と、自分自身に少し感謝できるようになる。
それが積み重なって、
「自分もこれでいいんだ」
と思えるようになる。
私は、精神科の治療というのは、そういうところにあるのではないかと思っています。
薬で症状を抑えることは大切です。
でも、それだけではありません。
感謝して、自分を許して、自分を認める。
そして、今日より明日、少しだけ良くなる。
私はそんな気持ちで、毎日の診察に向き合っています。