これまで、病院は小さいところであろうと大きいところであろうと、
自分のところで検査して、処方して、研究していく印象を、私は持っていました。
実際に医師になり、勤務してみると、検査は外注、結果が出るまでに数日かかるし、
クリニックでは採血できないし、そこで研究というものはなく、
いわばプロトコールに乗って、さばいていく感じに近い状況でした。
処方するには、処方する根拠があるはず、でも精神科の病名はアバウトで、
だったら状態に対してなぜその処方になったかを求めました。
そして、実際に効果と言えるものを評価するにつれて、
おおむねこのような処方であれば問題なく、状態の終息につながるというものが出て来ました。
ここで落とし穴もありました。
受診者が言う良かったということと状態が落ち着き、生活が円滑に遅れるということには違いがありました。
楽になったには結構らりっているに近い状態が含まれていました。
特定の薬剤に固執するのではなく、とりあえず服用していて生活に支障がなくなったを目標にすべきと感じました。
そして、一番肝心の治療とは何かを突き詰めました。
今の治療と言われるものの流れは、薬剤を飲ませて、気持ちが良かったを終着点にしていないでしょうか。
これまでの考え方が今の辛さ、苦しさをもたらしている、だからこの考え方をちょっとでいいから変えてみようよというものです。
偏った、あるいは間違った考え方でも、これまでそれでよしとしていたのですから、そう簡単には変えれません。
その人の生き方そのものに直結します。
だからこそ、ちょっと、ちょっとでいいから。
往々にして、自分を縛ています。
こうあらねばならない、なぜこうしなかった、きつく言われた、邪険にされた、あーダメなど。
今この時点で、反省、後悔しないならしないでいい状況なのに、今ここで攻撃されているわけではないのに、攻撃しているのは自分。
登山しようとしているのに、道に迷って下山しているようなもの。
まずは立ち止まりましょう。でも焦って余計に足を速めたいものですよね。
この状態にストップをかける、これが内服する意味ではないかと考えました。
止まって、周りを見回し、正しく上に登る道を選択する、つまりちょっとでいいから考え方を変えようよというものです。
自分を許します、まずはこれを10回言ってみてください。
すべての善きことが雪崩のごとく起きますように。