動物の一部の実験しかしていないのに、精神の専門家としてふるまう。
動物と人間て、同じ?
ライオンを調教している調教師は、背中を見せたが最後獲物とみなされ、首を食いちぎられ、ライオンの寝床の藁の中に食べかけとして隠されていた話は有名。
これまでずっと長い間一緒に過ごし、気持ちが通じ合っていると思えていたらしいが、人間と動物では本能の作りが違うことがわかる。
獲物とみなせば、即座にとびかかって首を嚙んで窒息させ、食べ物にしてしまう。
彼らは味覚が鈍感で、腐ったものでも平気で食べられる。
視床核、側坐核など人間の中で司る部分と動物の脳の部分で共通するものが多いが、それらの機能は一緒ではないのではないか。
これまでの常識と思われたものは、一度疑って、確証を得るべきではないか。
物を見る資格で見るという行為は同じでも、そこから伝導されるものが、物体とみるのか、食欲をそそるものなのかということ。
似て非なるものではないのか。
福岡県議会の海外視察でも、県議の知見というが、彼らの専門として取り組んでいたものはなにか、それとこの視察がどう結びつくのか。
あたかも都市全般の専門家として改善をもたらす知識の向上のように見せて、それがどう生かせているのか、県議が替わっても継続的に知識の伝達がなされるのか。
全て噓。
視察はいらない。
必要ならオンラインで賄えばよいし、どうしてもであれば、オンラインで補えないものを、代表一人ですね。
いずれにしても不必要と思います。
それよりも喫緊のすることがあるのではないでしょうか。
県民のためにと言いながら、これぐらい頑張ったんだからご褒美にという意味でしょうが、それは議員として選ばれたのが、県民に奉仕する公僕としての役割に合致するのでしょうか。
ご褒美とか休憩という意味なのでしょうが、選挙で選ばれてどうしても奉仕したいというのに、楽しみも必要と多額の税金を使うとは、理解ができません。
自分たちは何でもできる専門家だから知見を広げるのに旅行団が必要というのでしょうけど。
本当に知るべきは、専門にすべきは県民の苦境ではないでしょうか。
自分で勝手に拡大解釈をして、これも認められる、自分はできるとなっていないでしょうか。
測定技師に近いことをしてあった方が、担当部署が請け負う判断に口を出されたケースがありました。
部外者から見ると、その担当部署の持つ専門性を使って判断することでしたが、その修練、知識がないのに、世間一般で言うところの常識及び本人の正義感に基づく感情で代表として意見されていました。
部外者から見るとさも専門家が答えているように見えたことでしょう。
資格はないけど、拡大解釈して、意見を述べる、タコツボ型エセ万能学者よりもさらにエセ万能学者もいます。