メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

患者さまの体調や症状を丁寧に確認した上で、必要な治療や内服をご提案しております。
診断書は経過観察や医学的判断に基づき発行しております。
初診時に症状確認だけで即日発行することは原則として行っておりません。

幸せと思う人だけが幸せな人です


悩むときは無い答えを探していて、考えが止まっている


自分を大事にしてください


過去の事実は変えられないけど、記憶の中での過去は変わるよ


他人は人を変えれない


無理しないください、でもあきらめないでください


早起きしましょう

予約受付サイトをご活用ください。

診察時間外でも、時間が合えば診察します。

予約サイトから申し込みいただき、時間が取れない場合はキャンセルで返しています。

(注意:処方箋は発行しますが、調剤は後日になると思います)

受付サイトを使うと、メッセージも送れます。

電話は呼び出しがかかりますが、通じます。

場合により折り返しになります。

また、電話だと齟齬をきたしやすいのでご注意ください。

受付サイトはメッセージで、記録ができ、齟齬がきたしにくいので、

予約受付サイトご利用の優先をお願いします。

宜しくお願いします。

 

 

 

当方が電話をとれないことが多く、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

予約変更や予約をとるために掛けて頂いているのに、すいません。

この状態を鑑みて、予約をネットでとれるようにしました。

再来の方は、以下のサイトより予約をお取りください。

休診日でも、予約サイトで申し込んでいただいて、時間が合えば診察します。

(注意:処方箋の発行はできますが、調剤は次の日以降になることが多いと思います。)

よろしくお願い申し上げます。


 

 

アカウントを作って入力していただくほうが楽にできます。

どうかよろしくお願い申し上げます。

友人が学生の頃に、地下鉄に乗っていた際のことだそうです。

地下鉄の扉が閉まって、しばらくした後、急に臭いにおいが立ち込めたそうです。

それまでがやがやと知り合いとしゃべっていた人たちが急に黙り込んで、しーんとした客室内。

皆が下を向いて静まり返る中、だれが屁をこきやがったと大音量で叫びだしたおじさん。

くたびれた背広を着て、あから顔で太っていて、だらしない様子。

お前が屁をこきやがったかと近くの気の弱そうな男に怒鳴りつけました。

いえー、僕じゃないですと、下を向いたまま目をそらして返事をしますが、すかさず追撃の一手が。

昨日の晩に何を食った、どんなものを食ったらこんな臭い屁をこけるんだと。

今度は背の低い小柄な女性に、お前か、お前がこきやがったのか、下向いてんじゃない、お前だろ、化粧してても俺にはわかるんだ、正直に言ってみろと。

さらに、なんだ、なんで下向いてばかりなんだ、どいつがこんな臭い屁をこきやがった、怒りが収まらない様子で、怒鳴り散らしていたそうです。

次の駅で客車のドアが開くと、その男は降りたそうです。

扉が開いて風が入ったせいか、室内のにおいが薄くなった。

ドアが閉まると、何もなかったように客室内は各々が会話を始めました。

下を向かずに。

 

 

急にブロックされて連絡が切られたのは、縁がなくなったということだと得心しています。

人との別れは急に来るもの、縁があればつながり、なくなればなければ切れる。

一周回って同じところにいるような感じです。

人を変えることはできないし、変わらない。

自分で変わろうと思ったときにだけ変われる。

思いはそう簡単には変わらないので、少しずつ。

少ししか変われないけど、でも思えば変われる。

思わなければ変われない。

荒々しい人は前世は恐竜や野獣だったのかも。

段々と角が取れて人間味が出てくるのかもしれません。

今世でわからないときは、来世でわかるように、神様はわかるまでしつこくしつこく教えてくれるでしょう。

天網恢恢、疎にして漏らさず。

以前に同じ職場にいた人で、事業主より袖にされました。

他の従業員はみな、事業主に右に倣えで、挨拶しても返さず、誰も声すらかけることなく、仕事は白紙。

そんな彼を食事にさせったり、差し入れしました。

その人が資格を取り独立しました。

世の中は不思議なもので、資格を取ると我が物顔になる人もいます。

例えば、看護師の資格を取って、その後産休を取り、数年が経って、当然の権利だから何の落ち度もないとして、その数年の間に入られた若手に上から目線で指示したりもされます。見かねて、周りが注意すると、自分に落ち度はない、当然の指図と居直られたそうです。

彼と同業種で、自分ができることを超えて事を運ぼうとする方がいたので、それに対して抗議しました。

そのいきさつを彼に伝えたところ、返事の代わりにSNSをブロックされました。

仕事、自分の職に対しての矜持は必要でしょう。彼の矜持はこういうことでした。

だます側よりも、だまされる側のほうがよいと人は言います。

心はころころ変わるし、人との縁はその都度切れたり、つながったり。

縁がなかっただけでしょう。

 

ずっと、外来で、その人の精神的な問題を変えようと私なりに頑張ってみたものの、やはり人は人を変えることはできません。

習慣を変えようとしても、やはり無理です。

薬は、やはり麻酔薬です。

麻酔をかけて、ぼんやりさせて症状を抑えるのが治療ならば、それも治療だと思います。

ただ、そのことで社会復帰できるのかと言えば、それはすり替えだと思います。

つまり、治療という言葉に私が踊らされていたと言うことです。

世間で、実際に言われたこともありますが、ちょっと職場で嫌なことがあれば、きつい、つらいと言ってクリニックに行って、適応障害の診断書を貰って休めばいい、どいつもこいつもそんなことばかりと。

クリニックは治療の場であり、鑑定する場でもないし、証明する場でもない。

休職を認定する場でもないはずですが、世間で他に変わる場もないので職務の延長線上として任されていると言うことでしょうか。

働く気がないのと、働けないでは違いますが、それを混同している世の中では、安易に診断書が出ても仕方ないのでしょう。

活力を取り戻し、社会に再適応する、そういうことが成り立つには、世の中の常識という共通概念が整わないことには、外来での治療と入院治療は、二つが同じ線上にはなく、まったく別世界のことです。

どちらかでうまくいっていても、そのやり方が通じません。

人に対して、変えようとすることは無理、気づきを与えようとすることすら無理なのかもしれません。

ただ、何とかちょっとでも、ちょっとでもの気づきを提示し続けようと思います。

 

どうしても覚せい剤を辞めようと思うけど、またやってしまったとか、

どうしてもパチンコを辞めようと思うけどまたやってしまったとか。

昔は、意志が弱いだとか、精神力の問題と巷で言われたものでした。

精神科では、これは依存症という病気のせいだからと病気にすり替えました。

生まれついての病気というわけです。

病気、病気といっても、薬物なり、賭博なりに遭遇せずに過ぎた人の中にも依存症という病気があるのでしょうか。

依存症の治療のためにアメリカに行きましたが、そこではヘロイン中毒、ヘロイン依存症の治療として、ヘロインよりも半減期が長い麻薬を毎日窓口で飲ませる療法というものがありました。

医師に電話をかけて、またやってしまったと懺悔されるので、医師が、またのみにおいでという電話精神療法ともいうのでしょうか、あるいは悪い言い方をすれば法の下での正規の売人とでもいうのでしょうか、そういう状況でした。

突き詰めたものがあるはずと思っていたので、その時は、急場しのぎ、まだまだ改良改善していく療法の途中と漠然とやり過ごしていました。

それが1999年、それから4分の1世紀が過ぎましたが、聞くと変わっていません。

つまり、コントロールしやすい麻薬に変えることが終点。

アルコールも同じです。禁酒法の時代から、何が変わったか、2人の男の考えた12ステップが受け継がれています。

九州医療センターで同じ処方がどんな入院者にも適応され(緑内障など身体的に服用禁忌、あるいはそれと類似状況を除く)、皆退院していくのでした。

その処方が非常に有効なわけです。

驚くことに、クリニックに勤務して、同じことは、残念ながら起きませんでした。

20年以上そのことがなぜ起きるのか、自分なりにじっくり考えました。

入院中は、家庭での生活から全く別の生活に変わり、そこでは他者から完全にコントロールされます。

このように違う世界に入っています。そして、そこでは、その環境で治療という、ある意味共通の意思統一された流れに乗らざるを得ません。

外来で、いくら口酸っぱく言っても、そこに強制力は生じません。

否応なく治療に乗せられるのではなく、自分で変わらないと、自分で乗せないといけません。

アルコール依存で、変わらないといけないと自覚しましたという内容を言っても、底つき体験をしても、スリップが生じるのは、心が弱いのでもなければ、覚悟が足りないわけでもなく、私たちの心は、その時、その時で考えているということではないでしょうか。

人が、人に攻撃する際に、その影響を考えてする人もいれば、感情に走ってやってしまう人もいます。

やってしまって、しまったと思うのは一時の感情に任せてやってしまったとよく言われますが、同じ状況になればやはり同じことをやるでしょう。

その時その時で考えた自分にとっての最良のものをやっています。

考えるとき、そこに心がある、心はころころ変わる、だからどんなに覚悟していてもやってしまう時もあれば、やらずにいるときもある。

もっと気楽に、もっと気楽に、心はその時その時で変わります。

心が暗いほうにあれば、いやなことをします。

明るく考えましょう。明るく、明るく。

まあいいか、なんとかなる、自分を許していきましょう。

 

 

 

試験など、急場をしのがなければいけないときに、つい安直に対パ、コスパを考えてしまいます。

私もそうでした。

過去形なのは、この歳になって、基本の重要性を再認識したからです。

基本に忠実たれ。この一言です。

芸を身に着けたければ、いいところばかりを見せようとせずに、基本が大事。

所詮、基本の組み合わせにすぎない。

発明は、しょせん今あることを2,3組み合わせただけ。

複雑に見えるようであっても、あっと驚くことであっても、所詮人がすること、人が試すこと、試されることは、基本、初歩の組み合わせにすぎない。

そして、天才技とその時に称されたものでも、日が経つと基本になります。

人がしたこと、ピカソの柄でも、写せばできます。

描画法と言って、他人の柄をマス目で何分割かにして、その一つ一つを点描画すると似た絵になります。

写真の原理ですね。

スマホなどカメラもありますし。

人が成し遂げたものは、後世のものは、楽に写せます。

間の取り方にしても、発明でも。

病院ならば、処方の仕方でも。

所詮先人がしたものは、後のものからしたら基本の一つに変わります。

サッカーのペレやマラドーナ、クライフなどの有名どころの技も、今では基本技の一つにすぎません。

時間とともに、天才技も基本の組み合わせに分解され、そして再度組み合わされて基本技の一つに変わる。

だからこそ、華々しく見えるものをいきなり真似しようとせずに、基本を忠実に身に着けることが大事。

基本に忠実たれ。

だからこそ、急がば回れ。

 

 

 

ガリレオが、聴聞会で、天動説を主張しているのかと問い詰められた時に、しれっと、動いてるのは天だと答えたそうです。

驚いた弟子たちが、聴聞会後に尋ねると、動いてるのは地球だ、当たり前だと何ら悪びれずに答えたといいます。

人と人の間の基本は、相手を喜ばせること、ガリレオはこの点を忠実に守っていました。

ガリレオは経済的に苦労したと書かれた本を読んだことがあります。

ぎりぎりまで主張するが、相手を喜ばすこともできたようです。

 

歩道を自転車で通っていて気づきます。

思いっきり全力でベビーカーを押して駆けているお母さん、サッカーでボールと相手との間に体を入れて封じるディフェンス(シールド)のように、横一列に二人で並んで前に行かせない戦術をとられる方をよく目にします。

ベビーカーをすごい勢いで押されているのですから、乗っている赤ちゃんはさぞ恐ろしいことでしょう。

ジェットコースターならば安全が保障されていて大丈夫ですが、ベビーカーは衝突したらどうなるのでしょう。

横一列のディフェンスは、左右に揺れながら、水も漏らさぬ鉄壁さです。

スピードを落とし、小さくベルを鳴らしますが、ちらりと後ろを見て、さらに鉄壁さを増す方もいらっしゃいます。

どうにもならず、車道に出ると、今度は車の幅寄せ。

4月から道交法で、自転車の交通ルールが劇的に厳しくなります。

共存できるのは難しいかもしれません。

 

心というのは、ころころ変わるから心というんだよという人もいます。

今まで泣いてたカラスが笑ったと言う言葉もあるように、ころっと変わるものなのでしょう。

ハミルトンスコアといううつ症状の程度を測るとされる有名な検査があります。

ころころ変わるものの一断面をとらえて評価していることですが、ないよりもましということでしょうか。

自己診断というテストもあります。

自分の気持ちを評価すると言うのは、気持ち次第で強く評価したり、低くしたりできないのでしょうか。

これはDSMやICDの診断分類にも言えるのですが、ないよりはあったほうが共通認識になると言うことでしょうか。

考えてみると、セロトニン値が低いとうつだと言うセロトニン仮説にまでたどってしまいますが、

低いとうつ、高いとそうでないと言うのに(当人の正常値を基準と思います)、気に入らないと、気分を害した、落ち込んだと言うときセロトニン値が急激に上昇下降など変動しているのでしょうか。