メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

患者さまの体調や症状を丁寧に確認した上で、必要な治療や内服をご提案しております。
診断書は経過観察や医学的判断に基づき発行しております。
初診時に症状確認だけで即日発行することは原則として行っておりません。

幸せと思う人だけが幸せな人です


悩むときは無い答えを探していて、考えが止まっている


自分を大事にしてください


過去の事実は変えられないけど、記憶の中での過去は変わるよ


他人は人を変えれない


無理しないください、でもあきらめないでください


早起きしましょう

当方が電話をとれないことが多く、大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

予約変更や予約をとるために掛けて頂いているのに、すいません。

この状態を鑑みて、予約をネットでとれるようにしました。

再来の方は、以下のサイトより予約をお取りください。

新患の方は、電話でご相談ください。

よろしくお願い申し上げます。

 

 注意喚起 

※ 2月より、新しいURLになります。

https://appointment.stores.jp/reserve/mc-momochihama

 

 

 

アカウントを作って入力していただくほうが楽かもしれません。

どうかよろしくお願い申し上げます。

身を捨てる(命を投げ出す)ほどの覚悟で物事に取り組めば、必ず活路が見出され、成功できる」という意味のことわざ 

水に溺れかけた時、もがけば沈むが、身を任せると浮き上がるように、執着を捨てて「死中に活(生)あり」の精神で挑むことの重要性を説いています。 

「捨ててこそ浮かぶ身」 

 

大事な時、あれもこれもと考えていると、結局何も残らない。

思い切って、コアなものだけに絞り、できることだけやって、結果はついてくるもの、自分が決めるものではないと割り切り、

目の前にあるもの、特にこれだけはと思うものだけに絞って挑戦する。

何事も挑戦。難しいとか、できないとかではなく、挑戦する。

やれるかやれないかは結果であり、それは後でついてくるもの、やるものだと腹をくくり、すぐにはじめる。

逆に、これではいけないと思ったら、すぐに止める。

覚悟が試されてます。

難しいことではありません、挑戦です。

うまくいくか、行かないかは結果であり、それは今思い悩むことではなく、思い悩んで良くなるものでもありません。

結果は神のみぞ知るもの、だからこそ挑戦する。

精神科の診察では、問診を細かくとっていました。

学歴の途中が抜けていたり、職歴の時間が空いたりすると、きつく怒られたものでした。

でも、これって、よくよく考えてみると3次元、ないし時間軸を入れると4次元のものを、2次元に変えるものです。

もともと無理、しかもその根拠は発言する受診者の言葉だけです。

自分で考えてみると、思い出そうにもうろ覚えで、自分で創作してしまいます。

覚えている大きな出来事だけしか、いやそれすら時間があやふやになっています。

つまり、創作されたものを頼りに、診察を進めているのです。

病歴をとることが無駄ではありません。

杓子定規に細かいことはいらないと言うことです。

もっと気楽に、気楽lに。

診察するものも、されるものも、もっと気楽にいきましょうと言うこと。

一番重要なものは、今、今でしょ。

今どうするか。

良くないと思ったものはすぐ止めて、良いと思ったことをすぐ始める。

今の状態、どうあるか、それが大事。

3日坊主、そう3日も続けてもう十分とわかっただけ。

そして、薬をのむのは、止まったほうがいいのかを冷静になって考えるための一つの手段。

飲むのが悪いことじゃない。

落ち着かないのにのまないでいるのは、風で熱が出ていて苦しいのに熱さましをのまないようなもの。

落ち着かないときにはのむ、落ち着けばやめていく方向。

もっと気楽に。もっと気楽に。

ゆっくり、ゆっくり、お先にどうぞですね。

 

 

DVで悩む人、いじめに苦しむ人、その気持ちわかるよ。

逃げたくても逃げれないんだよね。

何か引っかかって。

後ろめたさとか、やるせなさとか。

そうだよね、わかるよ。怖くて、逃げたくても逃げれないんだよね。

どこまでも付けられそうで、もうどうしようもなくて。

上下関係で自分がずっと下に置かれて、逃げようもない、そう思うよね。

そういうことも経験したよ。

勇気を出そうにも、怖くて一歩も出せない。

恐る恐るでいいから、ちょっとつま先でいいから、ちょっと出そう。

自分で関係機関に電話するのも、見張られている感じがして、仕返しされないかとか考えるよね。

自分がすることすべてが、見通されているように思えるよね。

そのすべてが基本的人権の侵害だ。

今だからこそ言えるよ。

自分で関係機関に連絡できなければ、ここに相談してください。

綿足を介してでもいいから、関係機関に声を上げよう。

じっとしていちゃいけない。

声を上げよう。

逃げよう。それでいいんだ。

自分を苦しめちゃいけない。

自分を緩めて、緩めて、許していこう。

 

 

電話に出れないときに、留守番電話にしておきます。

留守番電話に変わるのに、何秒が最適なのか。

3コール以内に取るのがビジネスマナーらしいです。

つまり10秒以内でないと、人は待たされるストレスを感じると。

本当かどうか、人によるのでしょうが、9秒以内に出れないときは、都合があって出れないと言うこと。

無理して出てしまうと、逆にトラブルが起きやすいと。

留守電は折り返せばいいだけですから。

一人でやっていると、診察中の電話対応が難しいです。

診察を中断すると、目の前の人とぎくしゃくするし、出ないと診療していないと思われるし。

急いで人を雇おうとしても、合わない人だったり。

聞いた話ですが、つながっている部屋の片方にいてドアをいつも開けて相談しやすくした人がいたそうです。

しかし、隣の部屋の部下は、面倒見てくれない、開けっ放しで見張っていると思ったそうです。

入り浸って、変に思われてもいけないからと気を利かせて、困ったときはいつでも応じる、そうでないときは自由にやってもらっていいと考えたことが、部下は不満だったという、笑うに笑えない状況。

人と人の応対は難しい。

 

ひと昔、まだパソコンが出回っていなかった頃、経理はそろばん又は電卓で行っていました。

そろばんを習っていたころ、伝票算なる項目がありました。

伝票をめくりながら、それをそろばんに入力して合計を出すものです。

文鎮を使って伝票を固定してやっていました。

珠算塾で言われていたのは、就職したらそろばんで計算せんといかんと言われていました。

就職に直結する、いわばマストなものでした。

今ではお笑い種でしょうけど。

そして、会社ごとに決まりがあったみたいで、よく、ここではこうでいいんだと、雲を突くような、けむに巻かれる説明を言われているのを耳にしていました。どうしてそうなるのかなど、合理性、整合性を問えば、面倒くさそうにされて、また同じ説明でした。

シンプルでないものは大概が嘘です。

新聞でも隠蔽されてきたことが出てきているところを見ると、ネットやAIの世界が出てきても、この手の嘘は残っているみたいです。

いや、ネットの普及とともに確実に嘘が明るみに出てきていると言ったほうが良いでしょう。

本当に自分が理解しているものは、シンプルに説明できるはずです。

理解もできていないから、それをごまかすために、けむに巻く目くらましが必要なのです。

 

 

人間は前にも勧めるし、後ろにも進めます。

徳川家康が言っているように、人生は重い荷物を背負って坂を歩むがごとし。

じっとしていたら、楽な方に、つまり、後ろ向きに歩くようになっています。

人は後ろ向きに、悪いことを考えるようにできているんです。

前向きに進むには、ポジティブになるには努力がいるのです。

前に向かって進めば、必ず視界が開けてきます。

頑張って進んでいきましょう。

迷うのは当たり前、だってそのほうが楽なんですもの。

でもそれは本当の楽ではありません。

本当の楽は、ずっと楽、楽しいは続いてこそ楽しい。

ずるずる坂の下に落ちていけば、楽しくありません。

ゆっくりでいいんです、ゆっくり頑張れ。

本日付の西日本新聞の朝刊で、

わからない絵本はどうすれば、という比呂美の万事OKコラムがありました。

人は人の中でしか生きられない、人の役に立ってこそ本当の喜びが得られるという基本概念にたどり着く過程だと思います。

機は切り倒され、切り株だけ残り、そこに座ってもらってうれしかった、気は幸せでしたと言う意味が分からないという質問でした。また、食べるために世話していたキツネが、守るためにオオカミと戦って死んだときに、恥ずかしそうに笑って死んだのも同じことでしょう。

人の役に立って、また感謝してくれる相手がいて、初めて幸せが、幸せという状態が訪れる。

自分だけでもダメ、相手だけでもダメ。

お互いが、感謝の気持ちを持ってこそ関係が生まれる、それが原理原則のように感じます。

人は平気で嘘もつきます。

恐ろしいことに、皆で認めると嘘が’真実’として、常識となります。

医療においてもそうです。

診察の場における、医療は患者関係で、医療者がうまく引き出せないからいけないんだと言われています。

再度考える必要があることだと思います。

釈迦が輪廻転生を教えてくれました。

ぞんざいな、意地悪、攻撃的な人は、前世が恐竜か野獣だったのかもしれません。

人間になるのが早すぎたのかもしれません。そう思ってしまいます。

 

予約システムの人数設定で手間取って、しばらく書きたいことも書けていませんでした。

キュービックの予約システムが、ウィンドーズの出始めたころのような一つ一つ設定する機能だったので、地道に一つ一つ改善していかな刈ればいけませんでした。

ただ、このことで、毎日、一つ一つ丁寧にすることの大切さを再確認しました。

医是zンよりも入力しやすい人数にしています。

どうかよろしくお願いします。

 

アントニオ猪木さんの言葉を下に記し、今後も述べられている言葉を胸に抱き取り組んでいきます。

 

アントニオ猪木 引退スピーチ

私は今、感動と感激、そして素晴らしい空間の中に立っています。

心の奥底から湧き上がる、皆さまに対する感謝と熱い想いを止めることが出来ません。

カウントダウンが始まってから、かなりの時間が経ちました。

いよいよ今日が、このガウンの姿が最後となります。

思えば、右も左もわからない一人の青年が力道山の手によって、ブラジルから連れ戻されました。

それから、38年の月日が流れてしまいました。

最初にこのリングに立った時は、興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆さまの前で、最後のご挨拶が出来るということは本当に熱い思いで言葉になりません。

私は色紙にいつの日か『闘魂』という文字を書くようになりました。それを称してある人が『燃える闘魂』と名付けてくれました。

闘魂とは己に打ち勝つこと。

そして、闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。

最後に、私から皆さんに、皆さまにメッセージを贈りたいと思います。

人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。

この道を行けば
どうなるものか

危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし

踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

ありがとー!

 

 

自分を信じるって大切だなと、自分でも実感しました。

車の車庫入れで、2,3センチでも左右どちらかにずれていると文句を言われるので、非常に気を使っていました。

いったん停めては、車止めのところで、靴の先端からどれだけ離れているのか測っていました。

バックビューを見て、左右のサイドミラーを見てするのですが、どうしても10センチくらい左寄りになります。

バックビューのガイドラインの真ん中でも数センチの誤差があります。

これで大丈夫だろうか、大丈夫だろうかと不安になっているとやっぱり合いません。

思い切って、どちらにぶれてもいいから自分の思い通りにしようと決めて、もちろん慎重にですが、バックしました。

すると、左右の車止めから等距離になるではないですか。

小学校の同窓会の時に、小学校を見たいとみんなが言い出し、数人を乗せて近くの駐車場に停めました。

きちんとしないといけないと緊張しましたが、自分が真ん中ならばそれで良しと駐車しました。

白線から等距離で、ほっとしました。

自分を信じること、たとえそれがうまくいかないときがあってもそれはそれでいい、自分を信じることが先。

そう、つくづく思いました。