このお話はフィクションであって、実際にあった事件、実在していた人物とは関係ありません
その29
それから一週間、4人は働き詰めに働き続けました。
捨て鉢な事を言ったり、考えたりしている暇がないほど身体を動かしました
粟の収穫の後は、高黍の収穫、そして水に浸かって倒れてしまっていた稲を起こす作業と続きました。4人は、朝は薄暗いうちから田畑に出、夜は星空が輝くようになる時刻まで、懸命に働きました。
身体が二つも三つも欲しいと思うほどの忙しさです。
労働になれない祐貞は、体中がきしんで、悲鳴をあげました。
しかし、それでも、この仕事が、この一年間、自分達4人が生きていくための食べ物を確保するためには、絶対必要だといわれると、休んでいるわけにはまいりません。
特に、お兼、お米といった女たちが、愚痴一つ言わず、黙々と働いている姿を見ると、男であり、この家の当主である自分が、弱音を吐いているわけにはまいりませんでした。
お兼や、お米には、農作業の上に、避難してきている人たちの食品の手配りから、自分たちの家の家事労働まで負担をかけています。それにもかかわらず、彼女達は、文句ひとつ、愚痴一つ言う事もなく、懸命に働いてくれています。
その姿を見ますと、弱気になっている時間はありません。
祐貞は、その分、農作業では、自分達男が、少しでも頑張らねばと思うのでした。
しかし、何しろ慣れない仕事です。
身体も吉六ほどには、鍛えられておりません。
この為、どうしても、吉六には負担をかける事が多くなります。
それが悔しく、申し訳なくて、祐貞は、吉六より少しでも多くの時間、働くように心掛けました。
このせいもあってか、家に帰った時は、もう疲れ果ててしまっていました。
食事を摂るのがやっとで、後は、直ぐに横になり、そのまま、寝入ってしまうのが日常でした。
考えてみると、女性達はもっと大変なはずでした。
家に帰ってからも、避難してきている者たちへの食事の手配から、自分たちの夕食の支度、翌日の朝昼の食事の準備、風呂の準備から、洗濯、繕い者などなどの仕事が待っています。
傍で見ていると、何時寝ているのかと心配になるほどの仕事量です。
そんな状況にもかかわらず、お米は、疲れた様子も見せず、毎朝早くから、祐貞を起こしに来ました。
そのさわやかに笑顔を見、元気そうな声を聞くと、不思議な事に、どんなに疲れている時でも、元気薬でも貰ったかのように、疲れがふっとび、「この人達の為にも、今日も一日頑張らねば」と言う気力が湧いてまいりました。
その30
稲を起こす作業は、全部の稲を、うまく起こす事は出来ませんでした。かなりの稲は、水に浸かる前に、既に台風で倒され、茎が痛んでしまっておりましたから、起こす事は出来ずに終わってしまいました。
吉六は、これから開花期を迎えてのこの様子では、これから後、何事もなくうまくいっても、米の収穫量は例年の半分に満たないだろうと思いました。
だから彼は、水害後、直ぐにしなくてはならない事が凡そ終わると、休む間もなく、粟や,きびのつくってあった場所に、その後作として、秋蕎麦の種を撒く準備をはじめました。
蕎麦は霜に弱い欠点は持っています。しかし、比較的短い期間で収穫する事が出来、しかも栽培に、比較的手間のかからない作物です。
8月の中から下旬に種を撒いても、11月初旬には収穫できます。
しかも今度のように、洪水の後なら、水が肥沃な土を運んできていますから、殆ど施肥も必要ありません。
だから農夫たちは、米が不作と予想された時は、救荒作物として蕎麦を考えるのが普通でした。
祐貞は、自分の小作人達にも種を貸し出し、秋蕎麦を作る事を勧めました
その31
青木家の頭領となった祐貞は、単に、農作業をしているだけではすみませんでした。
台風とそれが伴った洪水による農作物の被害の手当てが、一通り終わると、小作人達は、連れだって、祐貞の所に押しかけてまいりました。
「若旦那様、このままでは、何時また水が襲ってくるかもしれません。一日も早く堤防の決壊部分をなんとかしていただきたいのですが。
そうしていただかないと、心配で、おちおち夜も眠れません。どうか一日も早い修理をお願いします」ときりだしました。
しかしもう、今の青木の家には、単独でそんな大事業をするような余力はありません。
蔵は底をつき、家財道具は売り払い、家の中は空っぽ、今日では、自分の家の食べ物を買うお金にも事欠き、食事に、野草も混ぜて、口にしているありさまでした。
そこで祐貞は「申し訳ない。前回の堤防の修理と、前回と今回の水害の際、被害をうけた皆さん方への救援で、財産の殆どを使い果たしてしまって、もう家には、何も残っておらんのです。
親戚知人などにも融資を頼んでみはしたんだけど、こんな村の状態でしょ。誰も貸してくれないのです。
後は、もう、お上に頼むより他に、途(みち)がないのだけど、お上というのは、父の時もそうでしたが、私が単独で行ったのでは、おそらく、相手にしてもらえんでしょう。
よって今回は、皆さん方にもご一緒して頂こうと思っています。
この席で代表者の方3,4人を選んでもらえんやろか」ときりだしました。
部落の人達は、この忙しい時にと、皆尻込みし、なかなか代表者がきまりませんでした。
だから中には、「まだ、まだ大家の家には隠し金があるはずだ」とか、「こんな状態を、なんとかするのが大家の義務なのに、それができないからといって、私らに押し付けるのはおかしいのではないかとか」ぶつぶつ言う人もいたりして、なかなか話は纏まりませんでした。
この為、復旧の手助けを藩に陳情する為に、代官所へ一緒に行く3人が決まるまでには、その日の夜半過ぎ迄かかってしまいました。
しかしこんなにまでして、代官所へ陳情に入ったにもかかわらず、藩の方からは、例のように、財政が厳しい事を理由にして、今の所助ける事は出来ないという、冷たい返事が戻ってきただけでした。
祐貞は、もしかしたらという、淡い期待を持って、お金の運用を任せてあった、桑名の廻船問屋にも行ってみました。
しかし訪ねて行った廻船問屋の店先には、「江戸に向けて荷物を積んで出港した、船二艘の消息が途絶えている」とかというので、それを心配した荷主達や、乗客の身内の者たちが、一杯詰めかけていて、そんな話をするどころではないありさまでした。
祐貞は、何も言えずに、すごすごと引き返さざるを得ませんでした。
もう一度、親戚を頼って、あちらこちら、金策にも回りました。しかし皆さん、
「祐貞さん、あんたの話じゃ、もう、あんたんとこは、駄目なんじゃないかなー。
いい加減に見切りを付けて、あんな土地とは、縁を切った方が、良いんじゃないですか。
そんな土地にお金をつぎ込んだとしても、溝(どぶ)にお金を、捨てるようなものです。
この後、どれだけつぎ込まれたとしても、結局何も得る事なしで終わってしまうんじゃないでしょうか。
お話をききますと、お父様にはいろいろお世話になったことですし、なんとかしてあげたいのは、やまやまですが、しかし、私どもとしましても、あまっていて、捨てるようなお金があるわけではございません。お返し願えるという、きちんとした当てがない所へは、お貸しする訳にはまいりません。
何度御頼みにお出でくださっても、同じでございます。
ですから、今後は、こんな無駄な事はお止め下さい。
なにしろ、このお話、慈善事業や、同情で出せるような、ちょっとやそっとの金額ではないのでございますから」
と異口同音に言って、だれもお金を融通してくれようとはしませんでした。
以下次号に続く