その18
「ただ今」明るい久美の声が、家の中一杯に拡がります。
「お帰り。朝早くから、何処へ行っていたのよ。
あらあら、びしょ濡れ、砂まみれになって。何をしてきたの、一体全体。まさかその恰好で、泳いできたわけじゃないでしょ。
ともかく、早くお風呂場に行って、洗い流していらっしゃい」
「ウン、ちょっとそこらまで、散歩に。
ついでにちょっと、海に足を入れてみたの。
とっても気持ち良かったよ。お母ちゃん達も、何時までも寝てないで、早起きして、散歩してみたら。空気はおいしいし、海の水は綺麗だし、とても爽快な気分になれるわよ」
「それにしても、馬鹿にご機嫌だこと。何か良い事があった?」
「ウン、ちょっとね。お母ちゃん、知っている?」
「なにを」
「家から200メートルくらい北にある、別荘に住んでいる人の事」
「知らないわよ。そんなの。だって私達、ここに、まだ来たばかりだもの。
でも、この別荘地に、まだ人がいらっしゃるの。こんなご時世ですから、もう使われていない家(別荘)ばかりだと思っていたのに」
「それがそうでもなかったの。ここから約200メートル北東に、二階建ての洋館があったでしょ。ほら、電車でここに来る途中、目に入った、ちょっと目立った、こ洒落た家。
あそこにね、若い男の人が一人で住んでいらっしゃるの。それがね、とても良い人なの。背が高く、ハンサムで、しかもジェントルマンで、優しいの」
「私、その人にタオル借りちゃった。後で洗って返しにいってもよい?」
「駄目よ、そんな事。
そんな身元もはっきりしないような若い男の所に、年頃の娘が、一人で訪ねていくなんてとんでもない。お婆ちゃんが聞かれたら、なんとおっしゃると思う。そう言う、無防備で、危なっかしい所があるから、おかあちゃんは、心配でしょうがないのよ」
「大丈夫よ。私だって人を見る目があるから。それに、上に、上がるわけじゃなく、立ち話でお礼を言ってくるだけだもの。
お母ちゃんはそういうけど、身元だってきちんとした方よ。名古屋の山の内胃腸科の息子さんで、第八高等学校の生徒さんだそうよ」
「それじゃ、その人、大学への受験勉強をする為、この夏、こちらで過ごされていると言うわけ」
「そうじゃないみたい。一年半くらい前からずっと、こちらに来ていると言っていたから」
「それで学生さん?じゃー学校へは?」
「そんな詳しい事まで聞かなかったから知らないわ。でもね、お母ちゃんが心配するような人では、絶対ないから」
「まさか“アカ”で、警察に追われているとか、停退学になっているとかという危険分子じゃないわね。
もしそれだったら、絶対に近づいちゃ駄目だからね。憲兵にでも睨まれようものなら、お父ちゃんも困るし、貴女自身だって、とんでもない目にあう事になるからね」
(註 アカ:その当時、共産主義者だとか、無政府主義者、反戦運動家のような時の国家体制に反対していて、憲兵や、警察による取り締まりの対象になっている人に対する、庶民側の呼称)
「いずれにしても、貴女が自分で、タオルを返しにいくのはちょっと待って。お母ちゃんが、その人の事、調べてみるから」
「調べるって?」
「この別荘の管理人のおばさんに、聞いてみるわ」
「フーン、そんな必要ないのに。お婿さんを探そうというわけじゃーあるまいし。どうせ長くても2週間ちょっとで、お別れする事になる、ほんの、行き擦りの人にすぎないというのに。まあ、お母さんが心配なら、良いけど」
その19
「久美ちゃん。あの別荘の人ね、ほら昨日タオル借りたと言う青年」一緒に、朝食の支度をしていた時、母親がきりだしました。
「ウン、どうだった」と久美
「本当に八高の学生さんだって。あんたが聞いてきた通り、名古屋の千種区にある山之内胃腸科という、とても有名な医院の息子さんに間違いないそうよ
名前は山之内淳志(あつし)さんと言うそうよ。真面目で、お金持ちの坊ちゃんらしい所のない、とても気さくな人で、人柄的には申し分のない人だって」
「そうでしょ。そんな変な人とは思えなかったもの」
「でもねー、一つ問題なのは、その人、胸が悪いらしいの。だから今は休学して、ここで療養中なんだって」
(註 胸が悪い:当時は肺結核の事を指す)
「フーン、そうなんだ。若いのに可哀そうに。でも、見た所、病人とは思えないほど元気そうだったけど」
「でもねー、あの病気はうつる(感染する)から、気をつけないと」
「心配ないよ。私、丈夫だから。病魔なんか、私の姿を見たとたん、向うから、尻尾を巻いて逃げだすくらいなんだから」
「それに昨日も言ったように、私、別に、大した(たいした)ことをしに行くといっているわけじゃないのよ。ただ借りたタオルを返しにいくと言っているだけなの。
そんな大騒ぎするほどの事じゃないと思うけどなー」と口をとがらせて久美。
「そうかしらねー。でも、若い男の人の所に訪ねて行くのだから、お母ちゃんだけでは決められないわ。お父ちゃんにも聞いてみるから、それからにして」
(註:当時は、「男女7歳にして席を同じゅうすべからず」などといわれたほど、男女交際には、厳しい世間の目が注がれていた時代でした。従って良家の子女が、独身の男性と二人だけで話しているのをみられると、それだけで、世間の好奇の目と非難の声に曝される恐れがありました。
まして、久美達のような女学生には、男女応際は固く禁じられていて、文通をしていただけでも、そんな事が学校に知れると、停学または退学処分になりました。許嫁は別でしたが)
次回に続く
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