このお話はフィクションです。実在の人物、実際の事件とは全く関係ありません。
「ポニーちゃん達が、ここを引き上げていく日も、もう真近になってしまったね」
ご両親は、ここを、何時、引き払うと言ってらっしゃった」
「3日後の午後。もう明後日の朝は、家の後片付けがあるから、多分ここにはこられないと思う」
「そう、それじゃー、じゃじゃ馬ポニーちゃんに会えるのは、もう明日の朝だけということ?」
「ごめんね。それが明日の朝はもう来られないかもしれないの。
父と母がね、ここでの思い出に、淳志さんが話していた、例の、宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出てくる、ブリオシン海岸にそっくりの場所、ほら、化石の転がっている知多半島の最先端の海岸、そこへ行く話になっているの。
だから、明日は、もし来られたとしても、ゆっくりお話しを、している時間なんかないの」
「じゃー、会えるのは、今日が最後と言う訳」
「そう、ゆっくり会えるのはね。
でも発つ前、お別れの御挨拶には伺うと思うよ。父がそのようなこといっていたから」
「そう、これでまた、この別荘地の住人は、僕一人と言う事になるのだね」
『そうよ、これにて、お邪魔虫のジャジャ馬は、退場することにいたします。嬉しい、嬉しいでしょう。お邪魔虫がいなくなって。
「心かき乱されることなく、しっかり静養なされ」という、月神様の思し召しなるぞ。
ありがたくお受けなされ』と悪戯っぽくいう久美。
でも声は少し鼻に掛かり、語尾は微かに震えております。
「ありがとうごゼエますだ、月神様。しかし私めには、そう言う小憎らしい事をのたまう、かぐや姫様が、傍にいてくださった方が、心が安らぎ,静養になるのでございますが」と冗談っぽく返す淳志。
しかし久美を見つめる目は真剣です
「無理じゃ、無理。わらわはのー、もう間もなく、去らねばならぬ。月の国からの、お迎えが、すぐそこまで、来ているのじゃからな。
そなたも、せいぜい達者でお暮らしなされよ。さらば、さらばー」とおどける久美。
しかし淳志を見つめ返す、久美の目もまた真剣で、潤んでいました。
しばらくの間、二人は言葉を交わす事もなく、ただ見つめあっておりました。
二人の間には、僅かな刺激によって、破裂しそうなほど、空気が張り詰めておりました。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」、
どれほどの時間が経ったことでしょうか。
「フーッ。これからさびしくなるなー」その張りつめた空気に耐えかねたように、淳志が大きく溜息をつきました。
「でも淳志さんも、来年春には復学出来るんでしょ。後、ほんの少しの辛抱よ。
ガンバ!
復学しさえすれば、そこには、友人との交遊も、御家族との団欒も待っているでしょ。
そうなると、私なんかの事は、思い出の中の影法師にすぎなくなってしまうにきまっているわ」
「そんな事はないよ。この夏の、久美ちゃんとの出会は、確実に、僕の青春の一ページを飾る最大の出来事だもの。それも黄金色に輝くね」声は鼻声で、やや掠れて(かすれて)おります
「久美ちゃんこそ、関田村(のちの春日井市)に戻ったら、もう僕の事なんか、蜃気楼のような存在にすぎなくなってしまわないかな」
「酷い!(ひどい)、そんな言い方。私にとって、この夏が、どんな意味をもった一夏だったか、知らないわけでもないないでしょうに。
大きな、大きな思い出が、一杯詰まっているこの一夏の出来事を、忘れるはずがないでしょ。
中でも、特別な存在だった、バイオリン奏者の事は、特にね。
私、あの土曜日のお別れ会で、淳志さんに、教えてもらいながら、皆で歌った“湖畔の宿”、あの歌の事、一生に忘れないと思うな。
寂しい時や、悲しい時、辛い時と言った、心が沈んで耐えられなくなった時には、知らないうちに、あの歌を口ずさんでいるに違いないと思うわ。
だって、あの歌のリズム、壊れたオルゴールのように、繰り返し、繰り返し頭の中で、鳴っているもの」
「僕、久美ちゃんの家へ、手紙出しても良いかなー」
「駄目よ、そんな事。
だって、男性と文通している事なんかが、学校に知られようものなら、大変、下手すると退学、軽くて停学になってしまうもの。
それにね、うちのお祖母ちゃん、これがまた頑固一徹な昔気質の人で、私のような未成年の男女交際については、とても煩い人なの。
だから淳志さんが手紙を下さったとしても、男名の封書は多分没収。私の手元までは届かないでしょうね。
仮に届いたとしても、私から、お返事を返すことはできないわ。
文通なんかしている事がお祖母ちゃんに知られようものなら、私、家に居られなくなってしまうから。
そう言う訳で、私が女学生である間は手紙をくださるのは駄目。絶対に止めてね」
「それじゃ、ポニーちゃんの家に会いにいくのは」
「そんなの、もっと駄目。そんな事をしたら、お祖母ちゃんは、貴女の事を、不良少年と勘違いして、家の敷居を二度と跨がせてくれなくなってしまうから。
もし、淳志さんが、大学へ進学された後もなお、私の事を、覚えていて、会いたいと思って下さったら、その時はお手紙くださるなり、訪ねて来るなりしてよ。
その頃は私も、もう学校を卒業しているから、堂々とお祖母ちゃんにも打ち明けられるし、紹介する事も出来るから」
「冷たいんだなー、ポニーちゃんって。でも、その時は久美ちゃんは、もう結婚が決まっているじゃないの?
一般にこの地方の良家の子女って、女学校を卒業すると、すぐにお見合いさせられ、婚約、そして結婚というコースを歩まされるのが普通だから」
「大丈夫よ。私、お婆ちゃんから何と言われようと、それだけは譲らないから。
絶対待っている」
続く