充たされなかった愛(ある記憶喪失者の追想) その13 | ゴマメの呟き・アンモナイトの徒然草

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その20 梨佳の家の事情


こんな不安と幸せの織り交じった状態の時に、私と麻美は会いました

梨佳はこの今の喜びと、同時に襲ってくる得体の知れない不安を、誰かに訴えたくて仕方がなかったのでした。


しかし人生経験のない私が、適切なアドバイスを出来るはずもありません。

私はただ話を聞き、通り一遍の慰めの言葉を言う以外に、何の手立ても持っていませんでした。


その日の梨佳は饒舌でした。王次の写真を見せながら、

自分がいかに今幸せであるか、王次がどんなに良い人か、自分たちはどんなに相性がよく、二人は気が合っているを語り続けました。


しかしそれは、彼女の何らかの不安な心情の裏返しのような気がして、とても気になりました。


それにしても王次は素晴らしい男性でした。

匂うような若武者ぶりの、その外見だけでも、梨佳が夢中になるのは、もっともだと思えるほどに、ハンサムでした。

その上芸術的センスも素晴らしいものをもっていて、人柄も良いというのですから、別れたくないと思うのは、当然だと思いました。


彼女たちは、趣味も、人生に対する考え方も一致しているようで、お互いに信頼し、頼りあって生きているようでした。

従って、そんな二人に、例え記憶が戻ったとしても、別れがやって来るとは思えませんでした。


しかし、話を聞いていますと、彼女達の同棲には、その時、他にも難題が降りかかっていたようでした。


それは彼女が、田舎の診療所に赴任して三ヶ月ほど経ったときのことでした。

ゆくゆくは、自分の病院を継いでもらいたいと思っていた娘が、突然大学と縁を切って田舎の診療所へと赴任してしまったのですから、彼女の両親は驚きました。

そのため、事情を聞きたいと思って、何度もその村を訪ねたい旨、連絡をしました。

所が、何かと用事に託けて(かこつけて)、色よい返事が返ってきません。

そこで両親は、娘には何も言わないで、ある日突然、その診療所を訪ねていきました。


所が、そこで梨佳の両親が見たのは、知らないうちに、全く見知らぬ男と同棲していた娘の姿でした。

しかもその男性は、自分が誰で、何をしていた人間かも分からない、記憶喪失の男というのですから、驚き、呆れてしまいました。


そんな男との生活に未来があるはずもないと心配した彼女の両親は、怒ったり、嘆いたり、嘆願したりして、何とか娘に、目を覚ましてもらおうと試みました。


しかし梨佳の決心は固く、頑として聞き入れてはくれませんでした。従って、両親は、決着のつかないままに、諦めて帰っていくよりしかたがありませんでした。

その21 家からの勘当


梨佳の祖父は、戦争中、徴用されて日本に連れてこられた後、日本に住みついて成功した人で、韓国では名門の一族でした。


従って一門の自負心は強く、高い民族的な誇りを持っていました。

祖父にとっては、日本人のような野蛮な国の国民と結ばれるなどというのは、許し難い事でした(彼の考えでは、日本の文化の殆どが、自分たちの国を通して伝わったもので、文化的には日本は後進国に過ぎませんでした)。


その上、相手が、どこの誰で、何をやっていた人かも今のところ分からない、記憶喪失の男というのですから、問題外でした。

(孫は)悪い男に騙されているに違いないとしか考えられませんでした。


祖父は激怒しました。

彼女の首に縄をつけてでも、連れ帰ってこいと、梨佳の両親に厳命しました。しかし子供の時からの梨佳の性格を知っている彼女の両親は、もしこれ以上自分たちが強く出れば、彼女を追いつめるだけだという事を知っていました。


追い詰められれば、彼女の性格から、黙ってその男と一緒に、どこか知らない土地に行ってしまう心配がありました。

それどころか、村人の前であまり騒ぎ立て、追い詰め過ぎると、娘の愛情の一途さ加減から考え、二人で死を選ぶ心配さえあると思いました。


それに両親は、王次に会った時の印象から、彼がそんなに悪い人間ではない事が分かっていました。

学者のような、職人のような、嘘もお世辞もない真っ直ぐな性格は、彼らにとっては好ましくさえ思えました。


むしろ気懸かりは、王次に記憶が戻ってきたときの、娘の事でした。

記憶が戻っても、そのまま、彼女と一緒に住んでくれれば良いのですが、

万一、他に奥さんが居ることが分かったり、

或いは記憶が戻った瞬間、娘の事を忘れてしまったりされたら、娘はどうなるかという心配でした。


祖父とは違って、既に日本に溶け込んでいる彼女の両親は、日本人だからといって、反対しているのではありませんでした。

王次のとの別れが来た時の、娘の打撃を憂慮しての反対でした。


彼らには、娘の王次への愛の深さから考え、彼との別れが来たときの、娘の悲嘆の大きさが、いまから目に見えるように感じられたからでした。


しかし、彼等がどんなに反対しても、どんなに説得しても、彼女の考えを変えることは出来ませんでした。


自分たちの意見が通らないことを知った両親は、それ以上の説得を諦めました。

当分、祖父から命令されたとおりに、勘当という形をとることにしました。


しかし実際は、もし万一、娘に、今危惧しているような不幸が訪やってきたときは、直ぐに救いの手を差し伸べてやれるよう準備しながら、そっと見守っていてやる事に決めました。


そんな親の心の内を知るよしもない梨佳は、大学と繋がる友人達との縁を失い、

今、親や一族との絆も断たれてしまって、とても孤独でした。


彼女にとっての支えは、今では王次だけになってしまいました。

彼女はそれまでとは立場を替え、王次に頼り切るようになりました。

王次が傍に居てくれる時は、幸せでしたが、彼の姿が見えなくなると、途轍もない大きな不安が、押し寄せてくるようになっていました。


そんな彼女に対して、ある時、王次が、「どうしたのさー。貴女って、もっと強い、肝っ玉母さんだったのに」とからかいました。


「惚れた弱みかな。貴方のせいよ。」と梨佳も返しましたが、もう既に鼻がツーンとしてきました。

「嫌だわ、私ってこんなに弱虫だったのかしら。」と言いながら鼻を噛む梨佳を見て王次は、


「大丈夫だよ。例え何があっても、こんなに愛している梨佳さんのことを、忘れられるはずがないから。

何度生まれ変わっても、貴女の所へ戻ってくるから。」「これからは、私が守っていくからね。」といってくれました。


なんの根拠もない、こんな安請け合いでも、王次がいってくれると嬉しくて、それだけで、少し梨佳の心は休まるのでした。


次回01月06日投稿分に続く なおこのお話はフィクションです。