御頭御社宮司総社(長野県茅野市)と諏訪の考察 | 陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

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長野の諏訪シリーズは今回で最後です。

神長官 守屋資料館(長野県茅野市)の中にある、御頭御社宮司総社(おとうみしゃぐちそうしゃ)です。


【神長官 守屋資料館】




りっぱな家が入口なようです。家の敷地内に、資料館とミシャグチを祀る社があるようです。


祈祷殿






この神官長の守屋家は、前回レポした上社前宮の大祝(おおほうり)をサポートしてきた神官一族のようですね。


守屋資料館

 





今日は休館日のようです・・・。残念・・・。
はたまたスピ的に入ってはまずい理由があるのか、嫌われているのか・・・。うーむ。



気を取り直して上の方のミシャグチ神を祀ってある社へと向かいます。




【御頭御社宮司総社】

 

 

 


ミシャグチ神を直接祀ってある唯一?の神社です。

 

4つほど社がありますが、御柱が四隅に立っていたり、
首飾りのような注連縄(しめなわ)だったり、供えてあるものが栗の実だったりと不思議な所がいろいろあります。

 

 


エネルギー的は、左隅の木と一緒になっている小さな社が気になる所ですが、諏訪大社前宮の鳥居前のエネルギーに比べると薄い感じです。

エネルギーの性質としては、前宮で感じたような、サードアイにぐわんぐわん来る、フラつくようなどっしりしたエネルギーです。



社叢案内





うーん、社よりも、その前を流れる湧水の川周辺にエネルギーの通り道があり流れているようでした。

 

 

 

 



 

 



【諏訪の考察】
”諏訪は、縄文の信仰が根付く、全国でも稀な神社が残っている地”という話を良く聞きます。

実際に、諏訪大社4社と、御頭御社宮司総社を訪れてみて、それらの祀られているもの、エネルギーなどを感じた上で、考察をしてみたいと思います。


自分が感じたエネルギーを元に、自分自身が納得がいく答えを見つけ、吸収すると共に、それらを今後、自分がどうしていくかの礎として落とし込んでいく必要があると感じたからです。

 

歴史を含め、自分の周りに広がっている世界は自分の心を映す鏡として用意されているものであるから、心の揺らぎを感じた時は、熟考しそこから必要なものを導き出すというわけです。

 

 

それが正しい・正しくないかは関係ないです。自分が何を感じ、どう思い、どう今後に生かして行くのか、が大事だと思うのです。

 

(なので、でたらめを書いていても、気にしないです。正解なんて無いですしね。

気にせず書いてアップして循環していく行為が必要だと思っています。)

 

 

 

・・・。

 


まず、エネルギーとして感じたものをまとめます。


諏訪大社 下社春宮(+万治の石仏)
・祈りの意識集合体エネルギー(日本神道+渡来民族信仰)
・飛鳥系宇宙由来のエネルギー(縄文)と呪術寄りの陰エネルギー

諏訪大社 下社秋宮
・祈りの意識集合体エネルギー(日本神道)

諏訪大社 上社本宮
・祈りの意識集合体エネルギー(日本神道+渡来民族信仰)
・精霊たちの自然エネルギーとそれらが発展した高次元存在たちの光エネルギー

諏訪大社 上社前宮
・祈りの意識集合体エネルギー(日本神道)
・飛鳥系宇宙由来のエネルギー(縄文)
・霊媒・儀式系のエネルギー

御頭御社宮司総社
・飛鳥系宇宙由来のエネルギー
・霊媒・儀式系のエネルギー


縄文の神としてのミシャグチ神とそれらを祀るエネルギーは、前宮に色濃く残されていると感じます。
それも、拝殿(本殿)の付近ではなく、2つ目の鳥居の周りや内御玉殿のあたりでした。

ミシャグチ神をはじめとする、この地方に於ける縄文の信仰のエネルギーって、ある宇宙族を降ろしてきているときに発生しているエネルギーに近いと思っているんですよね。

今までのブログの中で同じく蛇神(白・黒)を神様とする種族というか・・・。
飛鳥地方の酒船石や益田岩船、マラ石とか。

茅野市から出土された、縄文の土器や偶像などは、それらに繋がっていると感じています。


で、神社という文化がこの地に来たのは、出雲族が諏訪の縄文の民を制圧&和合し、社という文化を持ち込んだからではないかと考えています。

(大社造の神社であったり、スサノオ・オオクニヌシをメインで祀ってある場所はその名残ではないかと。出雲⇒諏訪⇒氷川の他、京都の東と北の結界も関係していると思っています。)

出雲族などの朝鮮系の民たちは、神を信仰の対象として持たず、儒教のように、種族の長や先祖信仰が中心なので、そのための社を作ったのかなと。

で、出雲族の末裔である諏訪氏が、建御名方神(出雲族のスサノオ-子の大国主-孫の建御名方神)を祀るというわけです。八坂刀売神は、”八坂”ですから、スサノオ本人のことを祀ってあるのかなと。


しかし、それでは縄文の人々の信仰を得られないので、
大祝(おおほうり)の儀式を行い、縄文の代々の神官である守屋家がミシャグチ神(蛇神、金精神)を降臨させ、諏訪氏の首長に降ろす。そして、諏訪氏の首長=現人神とする。というわけです。

ですから、その儀式を行っていた、前宮の場所には縄文の特殊なエネルギーが残っているというわけです。

 


一方で、時代が進み、全ての神社で中臣鎌足が唱えていた大祓詞や禊払祝詞を、毎日各社の神主さんたちが唱え、多くの人がお参りし祈り、祈りの意識集合体エネルギーが集積し、現在の日本の各神社の意識集合体のエネルギーを構築しているものと考えています。

 


ただ、諏訪で祀ってあるのは、朝鮮半島由来の出雲族の首長なので、武人系のビリビリとした温いエネルギーがメインとなっているようです。

 

祀ってある対象(主祭神)の看板を立てかけてあったり、それに関するご利益などを表示してあるだけでも、そこにいる神様に対する共通したイメージが作られ、そういう集合意識体が作られるものと考えています。

 

 

・・・。

 

話しを戻し、この地の縄文のエネルギー(前宮に残っているもの)について書きます。


しかし、縄文の信仰の中にもいくつか種類があると思っていて、前述の蛇神を降ろしてくる術は一子相伝であり、それを降ろす諏訪氏の家系も、他の血が混じることを許さなかったわけですから、自分の家族やその末裔だけが重宝がられて絶大な権力をもち繁栄するという図式になっているわけです。

当然のことながら、それらの利権は強い欲や妬みなどを生み出すものとも考えます。


その考え方に基づく信仰に、高い波動の神がその波動を維持しつつ宿り続けるとは考えにくいですし、社ができ中世へと進むにつれ、儀式・契約・呪術・対価を支払う生贄などを基に成り立つ重たい波動のものに代わっていったんじゃないかなと思います。前宮周辺には、多くの古墳がありますしね。


一方で、利欲を捨て、恒常の平和を願い、自然や全てのものを愛し、調和し暮らしている縄文の暮らしもあったと考えますし、それらの生きる姿こそが(無条件の)愛そのものであるし、その姿こそが神だと感じます。


私は、今回の旅の中では、諏訪周辺の各高原や湖の精霊のエネルギー、そして、諏訪大社上社本宮奥の守屋山付近(第四の柱の方向)からそういうエネルギーを感じました。

 

 

形として残されているモノはないのですが、心地よいエネルギーを感じられ、自分を解放できる感覚があるんです。

 



私が今求めていくのは、そういったエネルギーであるし、現代にてそういう波動を体現し維持していくにはどうしたらいいのかということが、これから必要になってくるのだと感じます。
 

 

※参考

https://yaoyoro.net/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%82%B8.html

 

諏訪に来て感じたことがほぼそのまま書いてあり、守屋氏と諏訪氏の関係を分かり易く教えてくれたサイトでもあります。

 


(2017.9.4)