昨日は出口汪先生の「書ける力」養成講座を受けてきました。

内容は主語・述語からはじまり、作文で終わるという感じでした。

私は日本人だから日本語なんて簡単に扱えるだろうと思っていたのですが、

今日の講座をうけて自分の日本語リテラシーの無さを痛感しました。

私たちは常に日本語で思考し、思った事を日本語で伝えているのですが、

そもそも日本語の規則がおかしい状態になっている人が沢山います。

私もその1人なのですが、そういうことに気づけただけでも受けて良かったと思っています。

なぜそう思うのかというと、こういう「きっかけ」がないと人生は変わらないと思うからです。

ずっと自分のへたくそな日本語に気づかずに日々を過ごしていたら当然人生なんて変わんない。

もちろん、アイドルやスポーツ選手はそれだけじゃないかもしれませんが。

でも一般人がなにか成し遂げようとしたら、

やっぱり正しい日本語の規則を身につけなければならない。

おかしい日本語を使っていては自分の伝えたい事を相手に理解してもらえず、

セールスマンだったら商品が売れない、

人間関係もうまくいかない、

ということになりかねません。

だから、私たちはまず、日本語の規則を習得する必要があります。

ということで日本語勉強しましょうねというお話でした。

では









こんにちは。

実は、僕、薬学生でして、今日で病院実習最終日を迎えました。

期間は2.5ヶ月。

私は大学の付属病院に配属されました。

そこで、いろいろ経験した訳です。

大学の付属ですから、同じ大学から多数の学生が放り込まれます。

今までは、講義ばかりでしたから、あまりコミュニケーションを必要としなかったし、

必要な場面でも最小限で済んでいました。

それが、実習になったおかげで、グループみたいなのができて、

「みんなで協力」という形になったわけです。

そこにはいろんな性格の学生がいます。

穏やかな人、自己主張ばかりする人、何もしゃべらない人、ムードメーカの人、

やる気のない人(私がそうでした笑)、怒りっぽい人などなど。

正直、私は集団が苦手です。

もっというと価値観や性格が異なる人と一緒にいることが、ものすごく苦痛です。

それでも、コミュニケーションをとらなければ課題や実習そのものが円滑に進みませんから

毎日毎日いろいろと葛藤するわけです。

例えば、私は気が弱く、自己主張もあまりできないので

自己主張の強い子にものすごく苦手意識を持っていました。

そして、それがいつしか「敵対意識」に変わり始めました。

その苦しみを解決するために人間関係に関するノウハウ本を読んだり、

ネットで「人間関係を良くする方法」をぐぐってみたりもしました。

それでも苦しいままで、一向に解決しません。

苦手だけど、気が弱いから本人には直接「嫌い、苦手」とは言えない。

でも、2.5ヶ月間で一度も心が落ち着いたことがなかったのかと言われると、

それも違くて、

確かに何日かは一緒に実習をしても苦しくなかったというか、

むしろ「楽しかった」と思えたこともあったんです。

実は今日もそうだったのですが。

で、その何とも思わなかった日々、

そして今日の自分の「感情」を振り返ってみたんです。

そしたらみんな共通して、その日は「敵」がいませんでした。

自分の心に中で敵を創っていなかったのです。

実は、私は昔から、ものすごく負けず嫌いです。

小さい頃から自己主張が強くて、

そうなった発端をたどってみると、

親から「勉強で良い成績をとりなさい」とか「良い大学に行きなさい」とか

まるで、私には価値がないという風に育てられたという記憶が呼び起こされたわけです。

「何らかの資格をとらないと価値がない」「親の言うことをきかないと愛されない」

といったようなことも体感レベルで感じました。

そんな風に育てられた私は、自分をアピールしないと価値を感じられないという

思い込みをするようになりました。

そして、その「アピール」は形を変えて大学生である現在まで続くようになります。

小・中学生のころは自己主張ばかりして、目立とうとしました。

いわゆる「やんちゃ坊主」です。

高校生になると、人間関係がうまくいかず、

自分をアピールする道具として「勉強」をはじめました。

中学生の頃の成績はそこそこだったのですが、

アピールする道具として「勉強」に切り替えてからは学年3位とかとりはじめました。

そして、大学生になってからも「勉強」による自己主張は消えませんでした。

話を戻して、先ほど「心の中で敵を創っていなかった」と言ったのですが、

どういった「心の変化」があったのかというと、自分を受け入れたんです。

自分を愛したら敵が消えました。

自分を愛することでなぜ敵が消えるのか。

それは、「自分で自分の価値を認めた」からだと思います。

自分の中で、自分の価値を認めたらアピールする必要がなくなります。

「何らかの条件で愛される」というようなものにも縛られなくなります。

その結果、「自分が正しい」と、主張する必要もなくなるわけです。

自分の中で完結するわけです。

もちろん、自分の意見を言わなければならない場面ではいえば良いのですが、

「自分の正しさ」を主張する必要がなくなります。

私は2.5ヶ月の実習で「自分を愛する」ことの重要性を学びました。

「自分を愛する」ことの力はとても大きく、これは伝播します。

自分を愛するようになると、他人をも愛することが自然にできるようになるのです。

これについては、今後も書いていこうと思います。

てことで、今日はこのへんで。











世の中見ていたら自分の考えのない人が多いということに気づく。それはしょうがない。だってみんなそういう教育を受けて来たんだから。でも少し考えればわかるはず。どれが嘘でどれが真実か。例えば、好き嫌いはっきりしろ、と誰かに言われたとする。これが大物や権力者の場合、多くのものがこの言葉を信じる。でもこの言葉の真意を理解するものはどれだけいるだろうか。これは色んな意味に解釈できる。自分の気に食わない行動を一つでもやるやつは嫌い、自分のことを全肯定してくれるやつは好き、とかね。おれは少し前までこの部類に入っていた。でもあるときふと思った。そんな完璧なやついるのか?ってね。だって表面上、自分を作ることは簡単なんだから。相手を褒めたり、波風立てずにいることはとても簡単。自分は果たしてそんなことを望んでいるのだろうか。もしかしたら相手は自分のことをはっきり言えずにいるのかもしれない。自分が好きな人が自分のことを嫌っているケースもある。

話が逸れたけど、

結局何が言いたいのかというと、ものごとをもっと大きく見るべきであるということ。さっきの話で言うと、人間なんだから合う合わないは必ずあるはずでなのにそんな当たり前のことを受け入れることができず苦しんでいる人が日本にはとてつもなく多い。ただ、人格攻撃をしてくるような場合は別として。
ちっちゃなことは気にしないメンタル
が重要という話。