自民党新潟県大和支部の設立50周年記念大会出席のため、私が所属する水月会の石破茂会長が来県されました。

大会の前に、田中角榮記念館と田中先生のお墓のある生家を訪問されるということで、私も随行させて頂きました。

 

石破茂先生が政界入りしたのは、鳥取県知事や自治相を務めた父・二朗氏が昭和56年にお亡くなりになられた時、盟友だった田中角榮先生から後継出馬を迫られたのがきっかけとのことです。昭和61年に初当選するまでは、田中角榮先生率いる木曜クラブ(田中派)の事務局員として下積みを経験し、自民党の現職議員では、健在だった田中角榮先生を知る最後の世代だと思います。

 

日本の第64代内閣総理大臣に就任された田中角榮先生は、政治家としては百年に一人出るか否かと言われるほどの不世出の人物として言われ、柏崎市西山町から名誉町民の称号を贈られています。先生の数々の偉業を讃え、遺品・遺墨などとともに後世に伝えるべく、生誕の地であり学んだ地に平成10年にこの記念館が開館されまし

 

昭和224月の日本国憲法による最初の第23回総選挙当選以来44年の間、当選回数17回を数え、手掛けた議員立法数は117本、郵政大臣、大蔵大臣、自由民主党幹事長、通商産業大臣、内閣総理大臣を歴任しご活躍されました。衆議院議員として新潟県はもちろん日本の復興と発展、総理大臣就任後手掛けた「日中国交正常化」など、今日の繁栄まで尽力されたことは、誰もが認めることだと思います。

 

今回の視察であらためて、日中国交の道を再び開いた偉業や生前の面影を偲び、私が尊敬してやまない田中角榮先生の偉大さを強く感じました。

石破茂先生は、田中角栄先生の残された書や遺品などを大変神妙な面持ちでご覧されておられました。目白の田中邸の応接室がそっくりと再現されておらえれた部屋でも、当時の全国から集まる陳情処理でお忙しくされておらえた田中先生の遺影を思い出され、あらためて「東京一極集中の是正」は時代背景や国を取り巻く環境は違えど、同じ普遍的な課題であると、仰っておられました。

また、田中先生の墓石の前では、長い時間お参りをされておられました。その後の記者へのぶら下がりでのコメントは報道にあるとおりです。

 

私も、田中角榮先生のように、十年、二十年、三十年、五十年と末永く国政の場で汗をかかせていただくためには、強固な存立基盤を作っていく必要があります。私も初心を忘れずに、石破先生からもご指導を頂きながら、日々謙虚に政治活動を一歩一歩前に進めてまいりたいと思います。

 

衆議院議員 石崎徹