お世話になっております。31期坪根爽真です。


まず初めに、平素より東北大学男子ラクロス部をご支援、ご声援いただいている方々、大会運営等にご尽力いただいた関係者の皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。ご支援、ご声援本当にありがとうございました。



ついこの前ブログ書いたばかり(https://ameblo.jp/tohokulax08/entry-12829048121.html)と思ったのですがもう3週間経っていたことに驚きました。
引退ブログという事で4年間、特に鮮明に感情を覚えているラストイヤーを振り返りながら自分語りをします。長くなってしまうのですがご了承下さい。



自分の4年間を振り返ってみても、ラクロスが楽しいと思った時期なんて1年生の最初ぐらいだろう。それぐらい辛い事や悔しい事を経験し続けた。



1年生はただ純粋にラクロスを楽しんでいた。
ゴーリーは痛かったけど止めるのは楽しかったし、何より東北ゴーリーという組織の暖かさが自分がラクロスをやる上でのモチベーションになっていたと思う。



2-3年は何を考えながらラクロスしてたかなんてほぼ覚えていない。現状を変えようなんて思っても具体的な行動もせず、受け身かつ脳死だった。何度も辞めようと思った瞬間はあったけどその度に教えて頂いたコーチへの恩だとか31期にゴーリーが一人しかいない責任感だとかで辞められなかった。今振り返ればそんな責任感あるならもっとこの時期から真剣やれよって話だ。




しかしターニングポイントとなったのは30期が引退となってしまった去年の全学1回戦。名古屋に負けたって事実より自分がこれで最高学年になってしまったっていう事実に恐怖した。
このまま、この姿勢でラクロスに取り組んでいたら引退する時に俺は何の為に4年間ラクロスをやってきたのか分からず終わるのは明確だった。そんな自分には絶対になりたくなかった。




そこからは今までとは違う、脳死でも受け身でもない、明確になりたい選手像を見据えて自分にはその選手に近づくために何の要素が足りないかを考えながら練習量を増やすようになった。夜中にダンベルを振り回す不審者にはなっていたが、確実に上手くなっていった。
今まで本当の意味で研鑽していなかったのだから上手くなるのは当然ではあった。




その甲斐あってか、つま恋、龍鷲戦、スーパーカップ、七帝戦などは試合で活躍することが出来た。
この頃自分は「俺が止めて活躍すれば、チームは勝てる」と馬鹿みたいに思っていた。思えば、冷静でありながら楽観的にプレー出来ていたこのマインドが俺のパフォーマンスを一番発揮出来ていたことに当時の自分は気づく事は出来なかった。
この時期に平行して光田、たつや(どっちも32期)がめちゃくちゃ上手くなっていった。特に光田は試合での爆発力が目を見張るものがあった。すごく焦った。
そして7月の遠征、自分の試合でのパフォーマンスは最悪だった。最低な失点をした。
「止めて活躍しなければ、チームは勝てないどころが自分はこれから試合に出れない」という強迫観念めいたマインドがこの時の自分にはあったからなのだと今ならわかる。
この失点のせいで、開幕戦に自分は出る事が出来なかった。




精神的に追い詰められながらもなんとか院試を乗り越え、試合中のマインドの正解を模索しながら再び練習に励んだ。9月の初めに膝を壊してしまったがリーグ戦の真っ最中、今怪我で練習を休むことは試合で活躍出来るかどうかがかかってる中で許されないと思い、テーピングして鎮痛剤を飲みながら練習し続けた。
しかし最後の遠征、自分は同じコースに2本決められてしまった。どちらとも止めなければならないショットだった。俺のせいで勝てた試合が引き分けになったと言っても過言ではないだろう。このせいで俺がチームの大事な試合に出る機会はもうないことを悟った。
試合後誰とも話せないぐらい申し訳なかった。俺の足がもっと強く蹴り出せていればなんて思っても、もう遅かった。気が狂うぐらい悔しかった。すべてはこの時に終わった。




そして、全学1回戦東北大は負けた。
自分は観客席で眺めてるだけだった。




自分は試合に出れなかったので、名古屋との引退試合に出させて頂いた。膝は痛かったけどこの試合のパフォーマンスは最高だった。結果的に名古屋のショットのほとんどを完封した。なぜなら自分に背負う物なんてもう何一つなかったからだ。
この試合の時の自分はシーズンの初めのように冷静でかつ楽観的だった。俺にとっての試合でのマインドはこれが正解だったんだと、、
チームの責任を背負うのはゴーリーとして大事な要素ではあるが、それは試合前までの練習や自主練などで言動や行動で示すべきであり、試合中はそんな責任を考えずにただ楽観的であればいい。
言葉にすると簡単だがリーグ戦中のネガティブな思考に囚われてた自分には決してなれなかった状態だ。最後の試合、自分が止められたことが嬉しいという感情より、このマインドにリーグ戦中なれなかったのが悔しいという感情が大きかった。
そうして、自分の4年間のラクロスは終わった。




4年間ラクロスをして得た物は、数多くある。
同期、先輩、後輩、その他お世話になった方々といった人々との大きな繋がりだったり、目標を実現するための考える力や研鑽力だったり、、

しかし自分が得たものの中で一番価値があったと思う物はもう人生で二度とこんなに強く味わうことがないであろう、この悔しいという感情だ。
チームに申し訳ない失点をしたり、大事な試合に出る事すら出来なかったりした自分が許せないし、悔しかった。
この悔しさがある限り、自分はこれからも現状に満足することはないし、目標へ努力し続けることが出来る。
だから、あの日ラクロス部に入ったことは決して後悔していない。



【光田、たつやへ】
まずは計3年、特に最後の1年、一緒にラクロスをしてくれてありがとう。同期のゴーリーがいない自分にとって二人はライバルだったし、素直で最高の後輩だった。
来年二人がめちゃくちゃ上手くなってゴーリーからチームを勝たせている姿、期待しています。


【後輩ゴーリーへ】
みんな当時の俺よりも上手いけど、俺みたいに腐らず2,3年で主体的に努力し続けて欲しい。活躍を期待しています。


【お世話になったコーチの方々へ】
今までこんな自分を指導して下さり、本当にありがとうございました。結果が出せず、39番を輝かせられず申し訳ありません。来年は1年コーチやります。自分がみなさんから頂いたものに加え自分が4年間で学んだものを後輩に還元していきますので、よろしくお願いします。


【戸館さんへ】 
1年の夏から始まり、4年の最後までご指導ありがとうございました。戸館さんが組んでくれたメニューで鍛えられた筋肉は間違いなく自分の成長の一因でした。
本当にありがとうございました。


【両親へ】
主に金銭面でのサポートありがとうございました。
与えられたものを還元出来るような、そんな人間になってみせます。本当にありがとうございました。


【同期へ】
ありがとう。これからもよろしく。






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31期坪根爽真