まず初めに、平素より東北大学男子ラクロス部を御支援、声援頂いている方々、大会運営に尽力してくださった方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
すごい冗長で、高熱の時に書いたので何書いてんのか自分でもよくわかりませんが読んで頂ければ幸いです。




シーズン中から引退ブログに何を書こうかずっと考えていた。自分のラクロス人生を語る人もいれば、後輩への教えを書く人もいる。ほぼ写真だけで終わらす人もいる。後悔してる人もいたし、悔いはないと言った人もいた。色んな人がいた。

結論、この引退ブログには何を書いても良いし、それは対外的に許されるべきであるんだと思う。
4年間、この部活にいれば、大小はあれどみんな戦って来た。そして続けた。その人に与えられた、最後に、公に、何かを文字として残せる唯一の機会がこのブログだ。
だからそこに綴られるものはどんなものでも、その人の表現として認められるべきものだ。

このブログ書きたい内容が沢山あった気がするのに、今ではもう特に書くこともないなと思っているところがある。
このブログで自分の4年間を表せるとも思えない。


現役の頃に関しては特に書くことはないので、引退してからのことを書こうと思う。

あの日から1ヶ月が経とうとしている。
終わった瞬間にはわからないというのと、何故世界は俺たちにこういう結末を用意したんだろうという運命的なことばかりが浮かばれた。あそこでミスったからとか、戦術選択がとか物理的な理由ならいくらでもあるけれど、そんなことは小さいこと過ぎて気にならない。
何の達成感もないまま、俺の4年間は終わってしまった。


何故あの日、あそこで、俺たちが負ける必要があったのか。この世界は俺たちをどうしたいんだろう?どうなって欲しかったんだろう?

あの日からずっと考えている。時々、忘れていることに気づくとふと胸がきゅーって苦しくなる。それは突如襲ってくる。寂しさと、満ち足りないということがわかって、でもその満たし方がわからない、でも生きてる、そんな時間が過ぎる。

あの試合を強く思いながら生きるには、目の前のやるべきことや考えることが多過ぎる。
そうして、このままあの試合を忘れて生きていく。そうすることが最も自然で簡単でありがちなことになっている。

充足感が無くなって、大きく感情が動くことがない。簡単に1日を生きれてしまう。既に、あの頃の自分の方がマシだったと思ってしまっているところがある。


このまま、遊び人になったら最初は楽しい。あとはただただ虚しいんだろう。どんどん人間が軽くなっていって、4年間に積み上げたものはただの思い出になる。

でもそんなことは望ましくないとわかっている。いつまでも「あの瞬間が最高だった」って言い続ける人生ってまじでクソじゃん。4年間で積み上げたものを活かして更に上に行かないと。少なくとも、この4年間の最高到達点をボーダーにして生活するのが理想だろう。それは凄く難しいことで、今の自分は何も出来てはいない。何をしたら何かをしたことになるのかもわからないが。

この部活で活躍することなのか、また違うフィールドで頑張ることなのかそれは人それぞれだし、引退後の生活に何か言うのもそれこそ野暮だ。
だけどこの世界が、今の自分にどういうことを望んでいるかと考えると、ただ堕落した日々を送っている場合ではないということはわかる。
今、引退したこの時にこそ、試されているような気がする。


「お前はここからどう生きるのか」



堕落の底にいる自分に、このブログの場をお借りして楔を打つ。
書いてみてまじで引退ブログっぽくねえし観念的だなと思ってしまったが、これ以上のものも書けないのでこれを引退ブログとさせて頂く。




後輩へ
4年間のことで1つ是非伝えたいことがあったので自分が考えていたことに準えて書く。暇な時に見てくれたら嬉しい。

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好きなセリフにこういうものがあった

「人生で不幸なこと、自分らしく生きれないこと」
「人生で幸福なこと、自分らしく死ねること」

4年になって、引退って死ぬことに似てるなと感じることがあった。入部を生まれた日とすると引退する日は死ぬ日に当たる。
全国大会では文字通り負け=死になる。

開幕戦が終わり、段々と自分の死を意識するようになった。どう死にたいだろう、どんな最後を迎えたいだろう。

ラクロスの世界は良くも悪くも特殊だったから、そこで生きることで大切なものに何かと気付かされたし、逆にずっと居続けることで大事なものがわからなくなることもあった。

いつも見失ってばかりだった。4年間、「わかって過ごせた」と言える時間は殆ど無いように思う。でも不器用ながらも生き方の正解を常に探していた。そこでさっきのセリフに思い当たった。

そしたら
今の自分が未熟過ぎて、こんなんで死にたくないってなった。

「自分らしく死にたい」

その欲望に気づいてから少し生き方の正解に近づけた気がした。

自分らしく生きれない時間が長かった。
ずっとそうしてるとそれが当たり前になって、本当の自分だって錯覚してくる。自分の、みんなの可能性はそんなものじゃないのに。誰かに形を変えられても、それに抵抗しなくなる。
ただ自分の魂だけはどこかでわかっている、これは本来の俺の姿ではないと。

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ラクロスをする中で自分らしく生きれてない期間は大体上手くいかないし楽しくない。

それどころかその期間をただ耐えるためだけに使って無駄にする場合だってある。
だからオフとかラクロスから離れた時間に色々自分の原点について考えてみて欲しい。
ラクロス部は素晴らしい環境だけど、本当に狭いところでもあるし、そこで行われる全てが正しいわけでもない。

来年大変だと思うけど清さんが来て積み上げたものがもっと力を発揮するシーズンでもあると思う。まじで頑張って欲しい、応援してる。



同期
まじでありがとう、また色々話そう。


家族
4年間自由にやらせてくれてありがとう。本当に家族のサポート無しではやれませんでした、もっと親孝行します。


他にも先輩、コーチ、戸館さん、研究室の方々、じいじばあば、大家さん、ここには名前出せない人も含めて本当に色んな人にお世話になりました。こんなにあっさり引退してしまったこと、申し訳ないです。
振り返ってみれば、与えられてばかりだったなと思います。与える側になれるようにもっと立派な人間になります。




ここまでクソ長くて訳のわからん文を読んでくれてありがとうございます。終わりにします。




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31期 #1 竹島湧真