これも過去記事です。
2015年5月。

 

だいだらぼっちの手長足長が磐梯山にいて、
それを弘法大師が退治するという、
よくある話ですが、仏教に帰依させるためや、
異なる宗教との争いから(宗派の違い)
だいだらぼっちが登場するのは、鳥海山と同じです。

手長は、長い手で猪苗代湖の水をすくっては顔をざぶざぶ洗い、
会津盆地にばらまいていたという言い伝え。

 

 ※雄大な磐梯山


また、天災が起きる理由を説明するために、
昔は、こんな風に語られていたわけですが、

長い昔話なので、そのまま書くのは省略します。
ちょっと紹介しますと。

 

干ばつが続き、凶作だったため、村の人たちが困惑している。

それを回復するには、磐梯山へ登って祈願をしないとならない。

 

村の人達が一戸一人づつ出て、磐梯山の山頂に登り
お修祓をすることになります。

「そうだ、磐梯山から飯豊山にナ、

でっけぇ蛇でも跨ってんでねぇべが。」 
 

 

※冬の磐梯山(北側)

ナガスネヒコの足の脛が長いというのは、
大阪の生駒山がそうで、
山の嶺が長い=脛のことを言う説もあります。

なので、大蛇とは、山の長い嶺を表すため、
飯豊山と磐梯山をつなぐ大蛇とは、地球の大動脈なのです。

 

※冬の銅沼

干ばつというのは、水不足ですね。

そこで、弘法大師が村人の後を追って
山に登ってきます。

山中で水がないため、喉がかわいたので弘法大師に
お願いすると杖でたたいた所に湧水が出た、と。

 



「皆んなが飛び上がるような大きな声で掛け声をかけで地面を突いだら、
いやいや、たまげたごどに、水がドンドン、ドンドン出て来たんだど。」


弘法大師の杖(湧水をみつける)話は、全国各地にありますけど。

すると、大きな大蛇が「なにか?」と、目覚める。


天災などの原因が、大蛇にあるとなり、

力比べをします。

「そんじゃ入道様、おめぇ様はそれだけの大男になれるたいした力を持って、
そして、化身が飯豊山を枕にして寝る程の大蛇どは、いやいや見上げたもんだ。
そんじゃ、俺ど力くらべすんべ。」


すると、大蛇はどんどん大きくなっていきます。

「あぁ、分がった。分がった。
何と力のある人だべな。
えれぇ力持ってるもんだ。
とっても、とっても、わしではかなわんナ。」


と、感心して弘法大師は大蛇を褒めます。

この伝説の面白さは、
村人と弘法大師と、大蛇がその能力をもっていることを、
かけあいをしながら、大きくなったり小さくなったりします。

「あぁ、てぇしたもんだ。 立派なもんだ。

やっぱり、そなた様は日本一の、
いや、世界一のたいした技を持っる人だ。偉い、偉い。」
と、大蛇をほめてほめまくる。

 

でも、大きすぎると会話が大変。

小さくできる能力も見せます。

 

すると褒められたせいで、

手長足長明神も、どんどん小さくなっていきます。

最後は、手の平になるほど、大蛇を小さくしてしまうのです。
そして、弘法大師は、手の平の上の托鉢を、
ポッと被せ、洞窟の中にいれ、入口に蓋をしてしまいます。


「そごさ入っていろ。」

そして、弘法大師は、

その大蛇を「磐梯大明神」として祀り、

神様として奉しすることにします。

 

ということで、伝説では、ぼっちさんは、小さなツボに入ったままで、

洞窟に潜んでいるということ。

 



そうして、会津平は米の良くとれる村になり、
どんどん水が出るようになり、豊かな村になっていったとさ。

 

※詳しい伝説の解説は、観光サイトを参照して下さい。

 

 

磐梯山が噴火の山であったことから、
きれいな五色沼が誕生。

これも戦場ヶ原の戦いと同じ部類の伝説です。
 

 

 

治水技術の発展

 

 

はるか昔から、治水の技術は中国から渡来され
その技術は、多くの遣唐使たちが学んだ分野でもありました。

空海もその一人。

土砂災害が起きた場合、古来の人々は、
人柱を行っていたのですが、それを止め技術で防ぐことを村々に教えることに。

その思想は、殺生を禁じる仏教にありました。


国土交通省のサイトに、空海についてこんな説明が。

「空海は、遣唐使として、仏教を勉強するため延暦23(804)年に中国へ渡り、
日本へ真言密教を伝来した僧侶。

空海は仏教の教えに従い、人々の苦しみを救うため数多くの土木事業を行った。
特に、弘仁12(821)年に手掛けた讃岐国(香川県)の満濃池(まんのういけ)の
堤防建設は代表的な事業である。
また、唐(中国)から井戸掘り技術を持ち帰り日本で普及させたと言われている。」


中国四川省の楽山大仏は、大仏の力で濁流から守るために作られたと言われるが、
ダムとしての役割を果たしている。

 

※夏禹治水図

 

本来は、「黄河の治水に功を残した禹が江海
(特定海域の名ではなく海と大河)の深さを測定した際のおもりという。
 

杖は、その象徴。

モーセが海を割って道をつくったのも、その杖にある。

中国の大河は日本の河川のような穏やかさはなく、

濁流に飲み込まれたらあっという
間に流されるほど流れが速い。

空海は、中国の灌漑用水の知識を得て、

仏教により生活再建を立て直そうとしていた。

 

 

精霊が宿るタブノキ

 

しかし、伝説はそれだけを伝えているのではないようです。

手長足長彦は、タブノキ(クスノキ科)の実を食べていたそうです。

タブノキは霊が宿る木とされ、
古代では信仰の対象となっていました。

それが「霊の木(たまのき)」であり、
タモ、タブ、タブノキと変化したと考えられています。

クスノキの仲間ですが、クスノキの比べて
木の質は悪いんどえすが、実際は、様々な用途に使われ、
古代では丸木舟をつくり海と深い木でもあります。

 



また、中世では建築材料として多く利用され、
鎌倉時代では権力の象徴となるのです。
蚊取り線香のように香としても粉は使われている。

 

夏には、ありがて~ぇ。

 

※みやざき森林環境教育より
https://miyazaki-feel.com/jumoku/tabu/

 

 

山形県では慈覚大師が降参させた時に(たぶん手長足長明神)

タブノキの実を蒔いたら後に、タブノキが茂ったと伝わる。

 




タブノキと同じ種のスダジイは、

人間が実を植えていたと考えられ、
それが繁殖し鎮守の森になったという。

タブノキもスダジイも、日陰でも育ち、繁殖力が強い。
要は、噴火の跡地に森を形成した植林のことです。

そのタブノキは、南の暖かい地域に育つため、
福島県が北限であったと思われます。

タブノキの実は液状なので鳥が運んできた可能性はあるが、
それが火山の噴火後の植生などに関係していると思います。

森の再生に、タブノキやスダジイが自然に生息して繁殖したと。

 

タブの実

また、タブノキは祖先が残した樹林でもある。

ヨーロッパでは、自分の木を持っている。

誕生日の記念に樹を植えるのが習わしとしてあります。

それに似ていて、タブノキが舟の材料として使われていたとも
言われているので、記念樹として植えた可能性もあります。

それが後に、神々の森(鎮守の森)として広まったのです。


そんな古くから森と暮らしていた人々の姿が
偲ばれるような磐梯山なのです!

 

 

 

五色沼湖沼群

 

 

2015年にいった時のなので、今は少し変っているかも。

解説もまじえて。

 

磐梯山頂北側、小磐梯を含む部分が水蒸気爆発によって山体崩壊を起こし、
岩なだれが川をせき止め、このエリアに数百もの湖沼が形成されました。

 

 




2016年にミシュラン・グリーンガイド1つ星に認定。

5つの沼というわけではなく、
様々な色彩を見られることから「五色沼(ごしきぬま)」
という名前がついている。

 

 



ここは、トレッキングコースが充実しているので、
涼しい時にいくのがお勧め。
たぶん、夏は、暑いと思います・・・

 

 

 

 


五色沼の水系は、磐梯山の火口付近にある銅沼(あかぬま)に
端を発する地下水を水源として、一つに連なっています。


銅沼


るり沼


赤沼(たぶん・・・)

桧原湖の湖水や磐梯山の深層地下水などが混入している湖沼もあり、
沼ごとに異なった水質を示します。

五色沼には酸性の沼が多く、鉄、マンガン、
アルミニウムなどを多量に含んでいます。

 

竜沼の方まで行ったのですが、青い湖できれいでした~。↓

 


青沼


 

また、五色沼には水が青色や赤色に見える沼が存在していますが、
これは水中に存在するケイ酸アルミニウム系の金属微粒子による
光の散乱や、湖底に蓄積した酸化鉄などが光を反射することに由来します。

 

磐梯山は過去6回くらい噴火を起してきたそうです。

 



特に1888年の水蒸気爆発では、
500人近くの死者があったとされます。


他にも磐梯山には、大蛇が住み磐梯山の周りをぐるぐる巻いて、
七回り半もあったや、
それからここに寺を建て、梵字清水という伝説なども。

今の磐梯神社の後ろ、閼伽井の側の藤の枝に、
三鈷が引っかかるのを見つけ、その地に寺を建てたなどなど、
多くの信者を魅了してきました。

 
沼の色がきれいな青なんですが、なぜこのような色になるのか、
科学的にわかっていないそうです。

 

トレッキングがおすすめ!

 


では、その手長足長明神とは・・・

ポリネシア語「ウヤムヤ」が同音であることを推したい。

(確証はないが)

 

「有耶無耶」が仏教語になっていることも、

ウヤムヤの語源がルーツであったから、

「曖昧」な態度として認識させられた。

 

それは異民との「掛け合い」から。

まさに、磐梯明神のことでは?

 

山形県では「有耶無耶関」があり、

関所を通る時のやはり、峠の境に置かれる。

 

川崎町(宮城県)にもあるのですが、

ここも鬼がいたから。

鳥海山のぼっちさんも同じウヤムヤです。

 

鬼がいればウヤ、いなければムヤ

鳥海山や磐梯山などに伝わる手長明神は、
火山地帯に過ごしていた民のことではないかと思います。

 

ゴンドワナ大陸の時代

 

舟で航海し日本へ上陸。

(いろいろ書いてます↓)

 

 

考えてみると、不思議なことに、
ここずっと手長足長明神と繋がっていました。

今日は、七夕。

手長明神を、機を織って宇宙へ還す。

 

 

 

 

橋をかけるハカの祈り

 

つながっているな~と思う、地上へのはしご。

ニュージーランド「ハカ」の踊り

 

※ハカを舞うマオリ族の男性たちを描いた肖像画(1845年ごろ )

「私は死ぬ、私は死ぬ。

私は生きる、私は生きる。

見よ、この勇気ある者を、
ここにいる毛深い男が再び太陽を輝かせる

一歩はしごを上へ、さらに一歩上へ!

一歩はしごを上へ、そして最後の一歩!

そして外へ一歩! 太陽の光の中へ!」


この踊りの歌は、争いがあった時、

村の人たちは、地下に逃げていました。

しばらくすると、地上から誰かが声をかけてくる。

敵だろう、と構えていると、隣村の長だった。

 

「争いは終わった」ことを告げにきたと。

互いに村の長は、ハグをして喜んだ意味の踊りです。

 

※地下に隠れていたので、一歩づつ地上へあがることの意味が

太陽の光へ。ということらしいです。

 

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とても不思議な夢を先日みました。
足がなかった精霊の足が、くっつき歩けるようになった。
という報告をもらう夢。


足首がないんだけど、カポっと足が

くっついたのです。


それは、死者が蘇ったのか?とおもいきや、人じゃない。

人間でも動物でも何かでもなにもない。
説明がつかない生き物だった。

何かのキャラクターに似てて、
ちょっとかわいかったな。
小さい精霊。おばけ

 

そんな世界をいつも見せられていると、

魅せられる世界を想像していることになるのだろうか・・・

実に、不思議で面白い。


て、言っても、やっぱり蕎麦!!

 

 

ここ、会津から帰る時によくみかける手打ちそば、

「蕎麦物語遊山」

 

 

 

 

 

手長・足長明神は、おしまい。