行けたのですよ~。
行けるものだね。。。

もちろん、目的は違うことでした。
姉のいる豊洲へ久しぶりにいってきたのです。

それで、豊洲へ行く前に、飯能へ行けるかもしれない、と、
ピンときたのでした。セキセイインコ青

豊洲から有楽町線で1本で池袋へ行けますので、
乗りかえ1回で西武線から飯能へ。
近いのです。

 

能仁寺の近くにおしゃれなお店ができてました。

 



私一人では頼りないので(いろいろ気づけない)
武蔵イネハポ担当の友と!
よき相棒(笑)
面白かった~。

 



あの飯能戦争という重たい空気が全然ない。

時代は変ったなあ、という感想がもれますが、
飯能戦争で散った先祖にとっては、
子孫が幸せであれば、それで良いと思うのでしょう。

 

 

うまし~~。お茶お団子

発酵料理のお店。

コースを頂く。

 

 

お昼を食べ始めたら、大雨。
そんなに強くはなかったので、良かった。
 

■能仁寺へ---------------------------

 


友達は、一度、このお寺に行ったことがあるという。

 



おかげで庭園まで観られた!
立派なお寺でしたよ~。

 



そーしたら、いろいろな発見があったのさ。

能仁寺は、戊辰戦争の時に幕臣側についた人たちが
本拠地としていたお寺です。

飯能戦争については、こちらを。

 

 


やっぱり会津とよく似てますね。

このあたりも煎茶で有名な所です。

狭山茶。


川越の天台宗「喜多院」→狭山茶発祥地
太田道灌(おおたどうかん)→江戸城に深く関わる。

武蔵千葉氏というのがあり
太田道灌と千葉孝胤が戦い、どーのこーの(1400年代)

言い伝えから、いろいろと匂う。。。
「夢のお告げから品川沖に道灌がのった船があり、
「コノシロ」という魚(都奈之:つなし)が踊り入ったという吉夢をみたので、
今の皇居に江戸城を築いた」

 

という伝説があります。

魚・・・いろいろ想像できますね。

 



会津は、茶の湯で千利休の子を会津にかくまった伝説があり、
御薬園という有名な庭園があり、薬草茶があり有名なのです。

飯能もちょっと環境が似てますね。
会津ほどの規模ではないけれど。

 


要するに、江戸城が無血になったけれど、
その代わりに飯能の寺院が複数焼かれた。
それは、会津も同じ。

会津だけではなかったことを知り、
隠された飯能戦争ともいわれている。

なので、ほとんどの人が知らないこと。

 

庭園は「日本名園百選」に入る。

 

 

庭園は拝観できます。(有料)

 

 

 

 

 

しかし、もっと深い所につながっている気がしており、
行ってみると、本当にそうだった。

今、このご時世にこれがつながっていることが
偶然ではないこと。

でも「終わりにしたくない」から、何かが伝えてくることがある。

きっかけは、松島だった。
あそこは、レムリアの記憶が眠っている。

宝物館に行かなければ、山岡鉄舟を知ることはなかった。

あの時、葉山神社へ行きたいと思わなければ、
千葉愛石を知ることもなかった。

でも、終わらせたくないから、
彼らの深い友情が、今、生きている私たちに問いかけていた。

あきらめるな。

何を?

「妙だ」

これか・・・

「妙観察智」

秋保へ行った時に書いていた老子の禅=妙。

 

 

対象を十分に観察する智慧。

 

妙「みょう」は訓読みすると「たえ」

言いようのない優れていること。

 

で、たえ→たお、と音が似ている。

たお=TAO=道。


この後の資料館で、衝撃の事実を知り、

すごい繋がりとなる・・・

 

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天覧山の名の変わり。

二度名前を変えていた。

愛宕山→羅漢山(十六羅漢がある為)→天覧山。

 

 

そして、このキュービック型の大きな石。

 

 

本堂内もとても綺麗で、お寺はいつもきれいですけど、

他のお寺とどこか違う。

 

窓ガラスを磨いている方が複数いて、訊ねてみたのです。

この石のことを・・・作業中にも関わらずとてもご丁寧に教えて頂き、

ありがとうございました。

 

 

ていうか、そんな質問するかね~~。笑

 

この石は、芝増上寺から頂いた石だそうです。

増上寺の再構築の際に、不要になった石を頂いたというので、

やはり徳川家との関連があっての事ですね。

 

また、

入口に、大きな石灯籠がありまして、これも関係しています。

 

 

能仁寺の石灯籠は、徳川家の菩堤寺の増上寺に各地の大名が
寄進したものだそうです。

 

これらの灯籠を調べた方がおりました!(すごい)

リンクしておきます。

 

石灯籠について

https://tokopan.seesaa.net/article/201201article_5.html

 

 

 

もちろん、家紋は「三つ葉葵」

本家というのか、ルーツは賀茂家らしいのです。

 

 

松平家は、賀茂家のヤタガラス族だったのかな。

(もーそーですよ)

 

そして、これ。

「長島茂雄氏」と合作の作品。

 

 

写真は控えましたが、赤い富士の絵でした。

当人から頂いたもの?!

 

能仁寺のご住職と交流があったそうです。

 

「大学卒業後、報知新聞社運動部に入社。
記者として入社後5年間にわたり、読売巨人軍担当となる。
以来、川上哲治氏・藤田元司氏・長嶋茂雄氏・王貞治氏らとの親交を深める。」

 

ということで、いろいろ、すごい。

 

これも・・・

門跡から発掘された菊紋様

 

 

屋根に使用されたものらしく、
約200年前に製造されたと推定。

 

なんか、菊紋様の数が違うとかで。

十六ではない数の方が、なんだっけ?サルタヒコが・・・

 

表の入口には、陽の武。

ここから「武」にしたのでしょうか?

 

 

 

看板の説明にちゃんと「飯能戦争」が、書いてあります。

 

 

赤丸のところが、能仁寺。

裏手の山が天覧山で左へ向かうと多武峯山。


 

■飯能資料館へ-----------------------------------

 

能仁寺の後、すぐ近くに資料館があったので行ってみたのです。
何か情報ありそうだから。

すると、驚きももももも桃の木。

なんと、
三島由紀夫の

「美しい星」の舞台だった!!

 



あーーー!
資料館で叫びそうになったよ。

 

知っている人は、あまりいないと思う~。

これは、若い時に読んだことがある本。

あの宇宙人家族の舞台が、天覧山だったとは!びっくり


三島由紀夫が描く小説の舞台がなぜ、飯能なのか?
疑問はずっとあったけれど、特段、気にもしていなかったが。

その本には、仙台、七北田川、泉ヶ岳のUFOも登場するので、UFO
知人にすすめられて読んだ本です。

「三島文学の中では異色のSF的な空飛ぶ円盤や

宇宙人を取り入れた作品で、
執筆当時の東西冷戦時代の核兵器による人類滅亡の
不安・世界終末観を背景に、

宇宙的観点から見た人間の物語を描いている」

三島由紀夫は知っていたのかもしれない。
飯能戦争のことを・・・・

むむむーーーーん、

めちゃくちゃ、今とシンクロしてる・・・

 

人類みな宇宙人。
そーでしょ、

そうなるでしょ。(なぜ?笑)


ここに到着するとは思わなかったが。

「私共は人類を破滅から救おうとしているんです」

 

 

ニッケイ、まじかyo

 

三島由紀夫がUFOに興味があったとは・・・・

 

日本空飛ぶ円盤研究会の会員とな。
石原慎太郎も会員になってる。。。ニヤニヤ


これを創設した人、荒井 欣一氏が、
飯野町のUFOふれあい館に多くの資料が寄贈されていると。

マニアックすぎて面白いっ!!

 

いやいや、最近、こーいうの繋がりやすくなったWa

 

UFOや宇宙人の幻想が人々を破壊へ導くということ。


また、その幻想から宇宙人が救ってくれる、という思想を生み出す。
それすべてが幻想であっても。

飯能戦争が正しかったのかどうか、わからないが、
2022年、最近、英語に翻訳されていた。

 

httpshttps://newsletter.nichibun.ac.jp/messages/1370/

 


「核兵器がもたらし得る破壊に対する人々の恐れは、
「空飛ぶ円盤」の目撃談などを通じて世界中に広まりました。

これらの宇宙船は、「恐ろしく強力な攻撃を空から突然仕掛けてこられる」
という当時の人間の不安を具現化した存在として解釈することができます。

その一方で、宇宙人は人類を最悪の衝動から救ってくれるのではないか
というポジティブな考え方をする人々もいました。」

 

この山から何かを学ぶ必要があるのかもしれないな・・・

 

あ、それで、
なぜ、飯能戦争が飯能に選ばれたのかは、
渋沢氏が土地勘があったことにある、とされる。

飯能から峠を抜ければ、甲斐(山梨県)、信州、秩父、
丹沢~大山(神奈川)方面を抜けることができたから、
という資料を発見。

なるほど。

 

武は、ヤマトタケル・・・と思いきや、

この時代といえば、千葉家とからめば「もののふ」

 

 

ふるべゆらゆらと~~

物部氏が入っているでしょう。指差し

 

(ぼやけた)

 

各村に回覧していたのですね。

 

 

この「おろし」の漢字。珍しい。

岩手県でしかみたことなかった。

 


 

おまけ------------------

 

<西川林業>

かなり古くからある産業として発展した木材。

 

 

飯能は材木がとても有名でした。

 

 

 

こーいうの、秩父らしい。

 

秩父も昔は、奥秩父(中津)から荒川まで筏で木材を運搬していた。

知人から「サーフィン発祥は秩父」と聞いた。ホントカヨ

 

筏で川を下る→川の波にのる→海でやってみた→サーフィン誕生。

 

ホトンカヨ

 

それで、炭も重要な資源となり、

このような峠における写真は、

秩父でも昔はよく見られたので、武蔵らしいな~と思うことです。

 

 

籠を背中に背負い、竹細工などの技術は、サンカの特徴でもある。

これが南方の海人族の説もあるのだ。

 

<諏訪神社の獅子舞>

 

 

諏訪神社では、巫女のような女性は、顔を隠し、

頭に花をのせるのが特徴。

 

母方の実家吉田町の諏訪神社で、

子どもの時、いつもこの獅子舞をみるのが好きでした。

 

真似して洗濯かごを頭にかぶって遊んでいたら、

母から「めかごになるから止めなさい」と言われたことがある。

 

めかごとは、目が悪い人のこと(盲人)

ということから、籠を被って顔を隠す人というのは、

瞽女(ゴゼ)に関わる芸能に繋がっている場合と、

迫害され、逃れた貴族、皇族が隠れて旅人に扮する場合もありました。

 

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ということで、ヒーローになりたい宇宙人求む。


やっぱり、現地にいかないと見えてこないですね。

 

興味がある方は、お寺と資料館はセットで。

 

さて、もうひとつ、なぜ、天覧山なのか?

ちょっと気になる神の話を。

 

つづく