東北にも、ドルメンがあった?!

 


ドルメンとは、支石墓(しせきぼ)とよび
新石器時代から初期金属器時代にかけて、
世界各地で見られる巨石墓の一種。

基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、
その上に巨大な天井石を載せる形態をとる。

 


※アイルランドのドルメン
 

 続石(つつきいし)

 

 

「小高い杉林の中に古代巨石文化がのこしたものといわれている大きな石がある。
二つならんだ石の一方の上に、幅7メートル、
奥行き5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が笠石として乗っている。

弁慶がそばの石に笠石をのせたら、
位の高い石なのに大石の下になると残念と嘆いたので、
今の石の上におきかえた」

(遠野物語拾遺11話)


墓ではないけれど、ドルメンスタイル。
 
他にも弁慶が持ち上げたという話もあり。
これは、弁慶には力があったことを修験の人たちが伝えたようだ。
巨石と弁慶の話は各地に多い。

 


   
(泣き石:最初はこの石が上に乗っていたという)

泣石は縦に長いので、こっちの石であった時はコンセイサマを表したかも。
それが今の横長の石に変わった。
これって時間軸の意味もあるのかな?
さて、その真相は・・・?

 

 



御伽屋のオーナーが少し時間がとれるということで、
車で案内して頂いた!
 
この石を見ずして遠野は語れないといわれるほど有名な

「続石」

オーナー曰く、

続石は、石上山に向いていて、
「つつき」の名前は、福島県の陸奥国一宮である都都古別神社の
「ツツコ」からきているのでは?という興味深い話を聞いた。

この神社だけ一宮なのに2社ある。
どちらも同格ということだが理由は不明。

石都々古和気神社は、味鋤高彦根命(アヂスキタカヒコネノミコト)が
その父である大国主命を助けて奥羽の地を開拓し、
住民にその徳を慕われ、当地に祭祀されたのが始まりとされている。

日本武尊がこの地に東征したとき、千度戦って千度勝ったとされ、
その後陸奥国に来た八幡太郎義家が、この故事を称えて当神社を
「千勝大明神(ちかつだいみょうじん)」と名づけたという。
(wikipedia)

チカツといったら、千鹿頭に似ている。
もしそうだとしたら、諏訪のモリヤ氏と関係している。
気になるツツコ。。。
 

 

なぜ大きな石を乗せたのかは謎。

いまだに説明はつかず。
続石はここだけではない。

人型の石があってここから人が生まれたとか、
真っ二つに割れた石など続石はどこまでも続く…。
遠野は一つ一つの岩に伝説があるから面白い。
 
実はよく見ると、上の石を支えているのは、右の石だけ。

よく見ると左の石は浮いている。

 


それが故意にしたのかどうかは謎。

 

 

しっかし、この大きさ。
カメラに収まらず。

どのくらい大きいか、主人に入ってもらう。




盆地でかつては湖だったことが共通しているかもしれない。

このすぐ近くに千葉家があり、、
その向かいの笠通山だったか「猫岩」という巨石がある。
猫が女性に化けた話。

 

 

 羽黒岩

 

もうひとつ、羽黒岩

 

この上に高さ約9メートルの巨石がある。

 


 

矢立松と丈くらべをしたところ、
石の分際で樹木と争うなどけしからんと天狗に下駄でけられ、
上の部分が欠けた。
(遠野物語拾遺10話)

 

矢立松は、坂上田村麻呂がエゾの宮武を射った
矢の鏃がくいこんでいるといわれた松。

 

 

羽黒岩の入口。

天狗の下駄

 



羽黒権現を祀っていたこのあたりは、
羽黒山伏の先達たちが矢立ての行事をおこなっていた際場だろうと推測される。

 

 

 



   
この山頂付近には縄文遺跡があるという。
縄文時代から石を使った斎場はあったのだろう。

遠野は縄文から続く風土がいまだに根付いているところ。
そこにはたいてい、巨石がある。

 

不動石

そうした石をドルメンというが、
関東地方は開発されてほとんどが失われているけど、
東北地方はまだ残っている所があるので、保存してほしい。

 

 

遠野まつりの神楽

 

最後に、遠野まつりと神楽の紹介を。

 

秋に行った時、ちょうど遠野祭でした。

毎年9月、市街地・遠野郷八幡宮で行われる。

 

 

遠野の鹿踊(ししおどり)
地区により様々な鹿踊があるが、
特徴的なのは「黒い」こと。

 

 

山伏や修験者が使っていた獅子舞(東北では「権現様(ごんげんさま)」
の影響を受けて黒くなったと考えられているとの事。
そこに本物の鹿の角をつけるのだそう。

 

 

 

 

 

 

早池峰神楽

 

 

「大出早池峰神楽」

大好き、神楽♪
早池峰神楽は仙台でのイベントでよく観てます。

 

遠野まつりで披露される早池峰神楽を

本場で観られるとは、感動的。

 



この大出神楽は剣九曜紋。
鶏舞など特徴がある早池峰神楽。

 

 



「篠神社」とあるのは、鷹鳥屋集落に鎮座する権現。
遠野物語拾遺56話

神像の後ろで眠ってしまった子供が姥神様に起こされた話が伝わっている。 
この姥神は、蛇神とされる。

 

 

 

 

 

 

■早池峰神社は、

江戸時代、早池峰山は十一面観音の山といわれた。

十一面観音以前は薬師如来の信仰があり、薬師から十一面観音に変わった。

 

元来の信仰は、薬師岳?

 

※遠野の早池峰神社(花巻とは別)

 

 

中期頃、この山の姫神は、瀬織津姫との考え方が定着。

 

遠野の早池峰神社にしか行ったことがないので、

花巻の早池峰神社については、↓

 

 

 

「早池峰神楽は大償(おおつぐない)と岳(たけ)の2つの神楽座の総称で、
昭和51年(1976年)5月4日、国の重要無形民俗文化財に指定され、
平成21年(2009年)にユネスコの無形文化遺産に登録されました。

記録資料等は現存していませんが、
岳の早池峰神社に文禄4年(1595年)と記された獅子頭があることや、
大償に早池峰山の修験先達をつとめた山陰家から伝えられたという
長享2年(1488年)の神楽伝授書があることから、
その時代にはすでに神楽が存在していたことになり、
その初源は南北朝時代にまで遡るものと考えられ、
500年以上の伝統をもつ非常に古い神楽であるといわれています。

 


また、岳妙泉寺(早池峰神社)の開設が正安2年(1300年)と
伝えられているほど早池峰山信仰の歴史が古く、
修験山伏が行った祈祷の舞が神楽となったともいわれています。」

 

仙台で行われた時の早池峰岳神楽(南部鶴)

 

山神舞

 

 

「岳神楽で使用する幕には早池峯神社の名を中央に、
その神紋を左右に染めています。

江戸時代には盛岡南部家の祈願所であったことから、
その家紋の「向かい鶴」が神紋として継承されています。 」

 

 

未知との遭遇。飛び出すハート

 

(ぼやけた)

 

鶏舞

 

 

三番叟(さんばそう)

 



そんな魅力ある東北の民俗学。
まだまだ、た~くさんありますので、また遠野に行きたいですね。

 

 

激しくて何がなんだか・・・笑

 

 

向かいあう鹿

 

 

 

東北地方は今もなお、
生活の中にシャーマニズムが受け継がれている。

どんどはれ。

 

※本来は薬師だったのを観音に変えてきた東北の謎の歴史。