今回は、遠野。
過去の写真をいろいろ整理していたら、
ほんとにたくさんいろいろ行っていて、
ブログにあげたこともない場所もありました。
もったいないので、どんどん記録しまーす。
まほろばブログを書き始めた頃、
東北地方にも数多くの三峰信仰があったことが驚きでした。
東北地方では、狼をどのようにみていたのか?
最初は、遠野でした。
よく遠野にいっていたので写真と共に
過去記事をまとめておきます。
牛が放たれてました・・・。(電車から撮る)
狼の古語
狼は、大神ではないか?
という説がありますが、これは少し異なるようです。
(地元の方から教えてもらった話)
神という意味ではあると思うのですが、
万葉仮名で読むと意味が変わるのです。
狼の事を「於保加美」と書き、
狼の「ミ」は「美」で、
神の「ミ」は、「微・末・尾・味」で、狼とは異なります。
大神は、「大御神」がと表記するのが正しいようですが、
この「於保」は、各地に地名として残っていて、
大神社や多神社という名前に変わっている所もあります。
狼が、大神となったのは、オオを継承するよび名に変化・・・?
いや~、どうなんでしょう。
とすれば、犬養などの犬族は、オオ一族の・・・
「多犬養氏」がいた~。
しかも、蝦夷征伐できてた・・・
わ~・・・
<アイヌ語で狼とは>
アイヌ語は不思議な音です。
辞典で調べても、読むというより音を聞いて理解するような言葉です。
アイヌ語で解いてみると、これも「大」と関係しているようで。
アイヌ語で狼の事を「ホロケゥ」といいます。
「ホロ」は「大きい」という意味があり、
北海道に多い「ホロナイ」は「大沢」です。
また、ホルは「水・水の中」を意味します。
犬をけしかける音の意味もあるので、
そのように聞こえる音なのでしょう。
ホロケの「ケ」は、
名詞についての「所」を意味します。
「ホロケ」から「ホルケ」に転じたこともあると、
「水のある所」(川岸?)ならば、
狼が人と混同されて狼人の伝説が生まれるのも理解できます。
たとえば、ヨーロッパの山岳地域では、遠くの山一つ越えたところに人がいる時、
相手に言葉で伝えるために、犬の鳴き声のように大声で通信をしていました。
それと同じように、秩父や阿武隈山系や北上山地など、
山深い谷に、縄文人やアイヌ人など山や谷に住んでいた人は、
犬のような声を出しながら、互いに通信を行っていた事もあるかもしれません。
やまびこを想像してみるとわかりますが、
その声を聞いた里の人は、狼の声とも聞こえ、
山には何かがいるという恐怖にもなったでしょう。
他に「ワッカ」も水を意味しますが、
これは湧水の事で、アイヌ人にとっては聖水です。
山から湧き出る水を「ワッカ」といいますので、
「ホル」の川や岸などで、湧水とは別に考えるようです。
(地域によって違う所があるかもしれません)
例えば、宮城県志津川町には、「保呂羽山(ホロワ)」という山があります。
面白いことに、雄・雌という男女の保呂羽山です。
(秋田県の鳥海山系の山も保呂羽山。)
聖なる山という意味もあるそうですが、
海岸に近いところなので、やはり水や岸辺に関係していると思われます。
またこの辺りは、平泉の金の道といわれ、鉱石がとれました。
保呂羽権現の由来も、水と作物で、鉱石に深く関わっており、
ご祭神は、出雲系とヤマトタケル命です。
鉱石のとれる所に、水と農耕、狼の遠吠え。
鉄族の歩いた道は深い谷だったのですね。
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遠野は昔は湖でした。
「トー」はアイヌ語で湖。
そのため、昔は泥炭層が多かったので、軟弱な土地からどのようにして
そこに人々が住むようになったのかはよくわかりません。
しかし共通しているのは、昔、海や湖だったところには、
伝説や神話、民話が多く残されている事です。
<南部曲り屋(千葉家)>
千葉家住宅は、天保年間(1830-1844)に当時の千葉家当主である
四代喜右衛門(1792-1870)が、飢饉で困窮した人々の救済のため、
約10 年の歳月をかけて普請したと伝わる茅葺屋根の南部曲り家です。
※遠野 千葉家
とても有名な曲り屋。
遠野に来たら、必ずここは観光名所として訪れる所です。
国重要文化財に指定
「どんどはれ」は、岩手県の方言で
昔話の最後の「めでたし めでたし」のこと。
これ↑は、確かお米を入れる大きな箱だったような。
最後まで米が落ちてくるように「どんどん」と叩いていたことが、
どんどん→どんど、になったと聞いた気がする。
違っていたらすみません。
(大工小屋)
裏手には石がごろごろ。
「カド」は千葉家の庭にあった大きな石の所にある「井戸」の事です。
塩釜産の石
遠野物語の狼
<遠野物語36話> 狼の経立(ふったち)
動物が年をとると怪しい能力を身につけ、怪異をおこすというもの。
「その日は、朝から雨が降っていた。
学校帰りの小学生が二ッ石山の近くを通りかかると、
数匹の狼がいて、狼はかわるがわる吠えだした。
それは生まれたばかりの馬の子ほどに見えたそう。
後ろから見れば存外小さいが、御犬のうなる声ほど恐ろしいものはない。」
馬は貴重な財産で、生活に必要な糧でもありました。
その狼に家畜を荒されるのは大変な事だったでしょう。
生態系において、狼は頂点に立つ動物といわれます。
それは小動物を追い払うことができる
といわれ、子供をたくさん産むことも関係しています。
鷹と狼が信仰において比較されるのは、頂点に立つ動物だからです。
それをトーテムとしてアイヌの人々が崇拝していた背景があります。
幕末でも狼の需要がありました。
コレラの大流行、桑畑の盗難など。
コレラが流行した時は「きつねつき」といって、
狼により封印するというのがありました。
狼の骨を削って飲ませるという効果があるといった事もあったようです。
遠野地方にも三峰神社があります。
言い伝えでは、
「1855年に狼が村里に出てきて、人や家畜に危害を加えるので、村人が
三峰様の祟りでは?という事から衣川(蝦夷と三峰神社参照)から分霊して貰い、
祀ったら、それから狼が村に出ることはなかったという」
<「遠野物語拾遺」から>
昔、悪事や災難があった時は、わざわざ衣村まで出向き、
神社から借りてきた御神体の力によって誰が
この災いの原因になっているか突き止めたそうです。
家では盗難にあった時など、三峰様を借りてきて、奥座敷に安置し、
村人たちに集まってもらい、一人ずつそれを拝みに行かせると、顔色も青ざめ、
膝も震えてとても奥座敷まで行くことができない人がでてくると。
こうして三峰様の験によって盗人は明らかになり、
盗品も返されることになったのだそう。
盗難の他にも三峰様は放火の犯人をあばきだす力があったという。
いずれにせよ、憑物落とし火防せが三峰信仰の中心だった。
また、遠野伝説で有名な「河童淵」があり、この近くに河童の狛犬様があります。
遠野物語では悪いことをする河童をこらしめようとする村人たちに、お寺の和尚が、
河童をかわいそうに思い逃がしてあげました。
ある時、そのお寺が火事になったのですが、
火がいつの間にか消えていたので、よく見ると、
水に濡れた河童の足跡がついていたそう。河童の恩返しという話です。
※河童の狛犬
「遠野なる河童の皿の氷かな」沢木欣一
狼も火を消す守り神として祀られています。
元々は狛犬は「水の神」であり、火を消す守り神と
して存在していたと思われます。
火と水の関係は五行説にある陰陽の関係と同じです。
太陽と月、女性と男性、
2つの異なるものが同一であるという思想は、
古代の人々が信仰していた
もので、それが日本にきて多様に変化した結果、
河童伝説が生まれたのでしょう。
■遠野的望郷----------------------
「フォルクローロ」遠野
宮沢賢治が使っていた言葉。
フォルクローロとは、
「エスペラント語」で「民話」を意味する言葉。
1887年にポーランドの眼科医ルドヴィコ・ザメンホフが考案したもの。
言葉の通じない人とのコミュニケーション手段として
「エスペラント」という言語がまず存在し、
その言語を支持し使用する人々(=エスペランティスト)がいるというのが、
エスペラントの基本的な世界観。
※「小説丸」より
https://shosetsu-maru.com/essay/esperanto-726
天正年間(1573~1592 年)に阿曽沼広郷により築かれたと伝わる城郭。
慶長5年(1600 年)に家臣の謀反により阿曽沼氏は遠野を追われ、
三戸南部氏の支配下に入り近世盛岡藩の一部として
城代が治めることとなります。
やっぱり、山の幸がほっとする。
遠野へは何度も訪れていました。
次も遠野の摩訶不思議な世界を。
遠野探訪はつづく
砂金がとれる滝
薬師如来を信仰する山なので、
金と薬師は関係するよ~。