東北歴史博物館で開催されました

「世界遺産 大シルクロード展」
早速、行ってきました。

 



出羽三山の「羽人」のことを
いろいろ書いてましたが、それが予習だったとは・・・キョロキョロ

自分で書いておきながら、何がどうなんだ?と思っていたけど、
シルクロード展で何度も出てくる人がそうだった・・・。

その民族は「ソグド」指差し

 

※ソグド商人の壁画図(wikipedia)


以前、youtube動画で昔の歴史ドキュメンタリー番組で
ソグド人の歴史をみたことがあり、
まさかここで使うことになるとはね~。
メモしておいて良かった。

(後半まとめます)

日本にもシルクロードの品々が多く運ばれており、
有名なのは「シルクロードの終着点」と言われた「正倉院」

ギリシャ・ペルシャの文明がもたらした金細工や
西洋と東洋が混じる魅力的な品々は圧巻です。

 

 

ニュースでもやっていましたが、

上の図の杯はとっても小さいのに、詳細な金細工なんです。

 

この技術はいったいどこからきたのか?

 

 

赤い石は遺跡にもよくみつかるメノウです。

日本でいうアカルヒメ。

 

 

舞台となるマップ。

 

 

※五台山は、天台宗が基としている総本山。

杭州はいろいろ記憶に残る過去世の地。

 

※五台山(東北地方の奥州観音霊場は天台宗が広めた)

写真撮影は基本OKなのですが、
実際見るのと撮るのは違うのでね・・・参考になるものだけ
撮らせて頂きました。(ほんの一部です)

ほんのちょっとだけ見どころを、

歴史と共にソグドについて説明します。

 

織物・絹の文明

 

考えてみれば、日本の古代史はシルクロードですね。

 

シルクが「絹の道」というように、
蚕がもたらされたのは「ホータン」国でした。
蚕からスタートする展示。

 

 

 

「脱皮の前の蚕」ってところがマニアックすぎ。キョロキョロ

ホータン国は、クンルン山脈で採られた(崑崙玉)とよばれる
白い翡翠、日本語で「和田玉(わだぎょく)」というのです。
和田=ワタツミ

 

※和田玉(白い翡翠):wikipedia


崑崙山脈では豊富な埋蔵量があり、
中国では玉の産地として有名。

そして、このホータンは「毘沙門天の末裔」がいたとされ、
玄奘三蔵は『大唐西域記』の中で、帰途、ここへ立ち寄ったとされる。

 



「毛織を算出し、糸を紡ぐ。白玉や墨玉を産出する。
音楽を尊び、歌劇を愛す。礼節あり、規律ある。
文字はインドに似て非なる。
王は、毘沙門天の後裔という」


これ、ソグド人ぽいですよね。

奥州藤原氏の初代、清衡がホータン王にとても関心をもっており、
その王は獅子に乗って登場するのですね。

後で登場しますけれど、月氏と烏孫族。
「孫」の人。

 

※新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠(wikipedia)

 

 

カラコルムハイウェイ

 

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これが三日月(5,6世紀)

 

 

 

吐蕃はチベットのこと。

そして、いたー!!

 


 

羽の人(うじん)


こっちの方がちょっと可愛い。
天使みたいだ。

羽人(うじん)7,8世紀。(青海省)
上半身は人間、下半身は鳥。


黄金の吐蕃!
頭にターバンを巻く。

 



これが道教の練丹の金属。

 

 

この器に盛ると金銀のパワーがつくとされ、
薬の効果を向上させると考えられていました。

この銀製のものはやはり三足でつくられ、
薬を温めるために煎じて用いられたものでした。


この発想は、例えば、日本ではほとんど使われなくなりましたが、
昔のフライパンは銅製のものでした。

焼いたり煮たり料理に使う際に、多少なりとも銅が料理に
含まれ体内に入ることが、実は、身体に良かったのです。

銅が不足すると貧血やうつ病の原因となり、
それらは、銅不足と言われています。
※ヘモグロビンのことと関係。

 

日本にもある菊紋様。

 

 

ペルシャやエジプトにも広く伝わっていますが
ルーツは、日本です。

これらを用いる部族はいろんな所に散らばり、
東の日本へ戻ったということで。

この壷が見つかった墓の被葬者は「鮮卑族」
の軍人なのだそうです。

 

 

鮮卑といえば、魚と羊。
鮮卑の「卑」を用いる人には「卑弥呼」がいますね。
ということをずっと書いてましたけど・・・

日本の和歌には「鹿」が多いものです。
鹿は釈迦の前世と知って、ええ!そうなのか。

だからシャカばっかり繋がるのか・・・

 

仏教と鹿は深い関係があるようです。
釈迦が鹿王と会うシーンがあり、
鹿狩りをしていた殺生のことだったか・・・

こちらのサイトを発見。

興味ある方はこちらを参考に。
鹿王本生譚(ジャータカ物語)

 

 

これは実際壁画の図(レプリカ)をみてほしいです。

素晴らしいものでした!
これが一番気に入りましたが、なんというか、ジブリの世界です。

鹿をモチーフにした図は非常に多いですけど、
鹿は、多産だからという理由もあるのですが、「角」ですね。

これがソグド人の思想だったとは。
鹿はソグドなのか?

馬に乗り、角をはやした鹿王が今でも通用する
デザインセンス。

 

ぜひ、実際にみて下さい。

 

 

 

金とトルコ石の細工も素晴らしいものでした。キラキラ

 

 

ソグド人について

 

さて、ここでは歴史を。

すごい繋がりです。凝視

 

シルクロードでは何度も登場する民族「胡人=ソグド」があります。

 

※ラクダの間に「胡王」の文字

 

「胡人」と言われ、西から来た人の意味。
胡人とは、ソグド人のことをさします。

 

 

この「胡」が日本でいう「胡四王」と直接関係することはない?と思いますが、

日本では胡は異国人のことを言うのですが、

ソグド人を示していることはあったのかな・・・

 

キャラバンのリーダーの首長の意味をもつソグド。
※しかし、ソグドはキャラバンではないそうです。

彼らはイラン系オアシスに住んでいた農耕民族。

「黄金の水しぶき」と呼ばれるザラフシャン川に住んでいたとされます。

 



ソグド人の特徴

 



「商業目的」で「定住しない」人でしたが、
中国でしばらく定住していた事があります。

彼らは、ゾロアスター教であり、
赤ちゃんが生まれるとゆりかごの周りに
火を焚いて祈りを捧げます。

また、赤ちゃんの口には蜂蜜を含ませ、
甘い言葉で商売ができるように、という意味なのだそう。
(うまく商売ができる意味)

また、手にコインをもたせお金を得られるように
赤ちゃんに握らせるのです。

商売のために他の地へ旅立つ、
ことを繰り返す意味をもつ民族なのです。


なぜ、ソグド人が商売になったのかは、
古くから交易を行っており、それぞれ独立した土地をもっていた為、
国に属すことはなかったそうです。


※商売上手なフェニキス人との関連もあり。
なので難波にはソグド人がたくさんいたかもしれない。

宴会はよくやっており、シルクロードの交易で
豊な財を築いていたという。

 

国をもたないって大事なのかも。

ですが、ソグド人は途絶えたと言われます。

「トルファン」は、新疆ウイグル自治区にありますが、
シルクロード最大の交易都市でした。

 

※ホータンの日曜バザール(wikipedia)

 

4世紀頃のソグド人の遺跡が発見され、
中央アジアのキャラバンと中国風のソグド人がいたとされます。

 


ソグト人はキャラバンとは違うそうですが、
キャラバンと中国に定住していたソグド人が助け合い、
売買の契約書を交わしていました。


それは、定住していたキャラバンをソグド人が
サポートしていた事になります。


西~東へ交易を広げるために、

互いにネットワークを築いていたのです。
 

※赤=絹の道、青=海の道(wikipedia)

 

敦煌は、ソグド集落ですが、多くの貴重な遺品を持っていた為、
壁画には盗賊に命ごいするソグド人の図があり、危険なこともあったようです。

ヨーロッパのベルギーにもソグド人の痕跡があったそうで、
この日本でも鹿の織物がもたらされましたが、
鹿の図の裏に「ソグド文字」が書かれ、
鹿の図案を用いた錦が発見されています。

これが、絹の道を繋いだ日本へ渡来した秦氏に繋がり、
養蚕の収穫を行っていた「ウズベキスタン」の「うず」は、
京都の太秦であり、大量に織物が作られたペルシャ、インドを経由
してきたソグド人がいた可能性があります。

 

※ソグド人の絹デザイン(wikipedia)

このソグト人の交易と文化の奥深さから、
京都の秦氏により受け入れられたと言われます。

 

ウズベキスタンの絹模様を「アトラス」とよびます。

 

 

群馬県と提携したり活発になってきたので、
アトラス柄が流行しそうです。飛び出すハート

 

 
ソグド人は、交易だけではなく絹織物のスペシャリストでもあり、
動物のモチーフが多く用いられています。

円の中に描く動物は、ペルシャがルーツとされます。

また流行も先取りしており、
どんなデザイン、何が一番売れるか、といった
情報、流通のスペシャリストでもあったそうです。
 
 
アトラス柄に模しているコースター。
(展覧会のおみやげ~)

とにかく、商売にしか興味がなかったそうですが、
好奇心が旺盛だったとも言われます。

独特のソグド文字もあるのです。
 

この図はwikipediaですが、実際に展示されています。

ちなみに、ソグドのことを漢字で「粟持」と書くのです。
粟・・・アワ。

こう聞くとソグド人は優秀な商人で争いには無関心、
といった感じを受けますが、

しかし!
ここで驚く歴史事実がっ!絶望
(パート1)
 

日本にきていたソグド人

 


先月~ずっと羽人と弓のことで漠然と書いていた燕の王。
この人は、ソグド人だった!!
 
ソグド人の衰退をもたらしたのが、
中国に定住したソグド人でした。


それが安禄山(あん ろくざん)と言う人で
権力を望んだ人だと言われます。
 

唐代の軍人、大燕国皇帝。
本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。
 
今のウズベキスタン。
ラピスラズリの青で有名な都市(敦煌の窟にもよく使われた)
 

その安禄山は、「燕」王の始祖をもち、
「公孫 淵(こうそんえん」が自立し燕王を称したという。
 
この末裔が日本にきている。
それが赤染氏だった。
日本にきたソグド人と言える。

燕王公孫淵の末裔を称する渡来系氏族赤染氏の一族(新撰姓氏録)。
河内国大県郡を主な根拠地とし、
同地に常世岐姫神社(大阪府八尾市)を祀る。


まさか~、物部氏がいたところ~。
シルクロードのソグドがここで繋がってくるとは。。。
 
えーと、ふりかえりますと・・・
出羽三山の月山で書いてました。

湯殿山の道に「常世岐姫」の石碑があったこと。
 


赤染氏(常世氏)の祖は、中国の「燕王」と言われます。
 
で、その安禄山は、
移住だったソグド人の中で、
「定住を選びその地で王になりたかった」
ソグド人だったのです。


ソグド人の経済力を基盤とする「商胡」として各地に送りこみ、
絹の売買で富をたくわえたという秦氏みたいな人。

この財力をもって当時の玄宗皇帝と楊貴妃に取り入れられ、
皇帝をねらったという。
しかし、失敗します。


楊貴妃?!(710年頃)

玄宗は楊貴妃にラブラブで仕事もせず、
その一族楊国忠が実権を握ったことで
反発した節度使「安禄山」などの反乱したという。


三国志に登場する時代(200年代の頃)

やっぱり、何かが来ると繋がってくるのですね。
濃厚すぎます。
 
という事は、この燕王の祖が日本に渡来し、
九州福岡県の香春岳由来になる。


赤染氏は秦氏と関わりをもっていたわけですから。
 
おそらく、日本に渡来したソグド人を弓月の一派(秦氏)
らが受け入れ、香春神社の神主を任せたとか?
 
「香り」は、鹿児島県の由来にもなっているようです。
地名由来にはいろいろありますが、香りの島から「鹿島」になっていますけど、
本来は「香島」であった説もあるのです。
 
鹿=香
 
島から「良い香り」がするという事らしい。
お香のような匂い。
何かを焚いていることであれば、
それも、ソグド人がもたらした「白檀」があります。
 
聖徳太子は、ソグド人だったのか?
 
『「太子」は天平宝字5年(761年)に法隆寺の宝物になった香木で、
原木は全浅香とは違う 白檀だが、原産地は東南アジア、
全浅香の少し前に日本に入った可能性が高い。
この香木に中央アジアでペルシャ人やソグド人が使われていた
文字の刻銘や焼印があったのだ。』
※読売オンラインより
 
香りの交易も、
ソグド人が広めた、
と言われます。
 
この技術もすごく難しいらしく、
香り高い匂いを長く生かす技術は、今はわかっていないそうだ。
沈香とよび「埋もれ木」はここがルーツかも?
 
ユーラシア東方世界における仏教や
香料・香木の普及は、ソグド人の交易活動と
密接に関わるものであったのです。
 


しかもその「白檀(びゃくだん)」は、仏典では、
牛頭山(西ガーツ山脈のマラヤ山(摩羅耶山 秣刺耶山)とされる)とよび、
に生える牛頭栴檀(ゴーシールシャ・チャンダナ gośīrṣa-candana)として有名であった。
 
牛頭天王・・・・

それで!もっと驚きのことが!
まだある・・・絶望絶望(パート2)
 

 

 

 

迫害された鷲鼻はソグド人

 

この安禄山の乱がきっかけで

ソグド人(胡面)をした顔の人は
残らず処刑されたというのです!


しかし、これまたイスラムが関わりイスラムの侵略により
終わったというのだが(このへんわからない)

その胡面とは、「鷲鼻」を持つ人だった!

 

がちな羽人の鷲鼻!

この写真ずっと使いまわしてるけど。(朝日新聞ありがとう)

 

これ、羊なる者。


まさに、この羽人は、ソグド人では?
鼻を強調してますからね。
→魔法使いのおばあさんも・・・

 

正倉院に保管されている乾漆伎楽面をみると

ほとんどが鷲鼻です。


乾漆伎楽面の報告にあたって(PDF)

https://shosoin.kunaicho.go.jp/api/bulletins/36/pdf/0361001030

 


また、猿楽をもたらしたのは、秦河勝と言われますね。
踊りが好きだった。

 

駱駝舞楽胡人俑。

ラクダに乗って演奏する胡人の像。

(wikipedia)

 

いや、だから~聖徳太子は秦さんなんじゃないの?

秦さん自ら聖徳太子に化けたんではないの?

 

ちなみに、ソグド人の赤ちゃんの口に蜂蜜を含ませる風習ですが、
蜂蜜が頭脳への洗脳に刷り込みできやすいと言われるため。

「抵抗できないようにする」という甘いものです。
それは聖書に記されているのですよ。

 

密=密多羅=ミトラ


という事なので、彼らが、ゾロアスター教(拝火教)であり、

ミトラとも関係すると。


日本でいう愛宕神、秋葉神として火を敬うタタラの風習へ繋がります。

 

して、原始キリスト教でしょう。

ペルシャは、ササン朝ペルシャの時。

ソグド人のルーツは、ササン朝ペルシャとも。

 



琵琶、音楽、食事、好奇心旺盛、
商売にしか興味がないけれど、
西と東の文化を受け入れてきたことがありました。

それは「国に属さなかった」ことが良かったことだと思いますけどー。

そのおかげで、大シルクロードの数々のすばらしい
技術、芸術が残されて、はるか昔、西から東へ
向かった遺伝子を確かめることができるのです。

感無量。ヒヨコ

 

キジル石窟

 

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あまりにも、今まで書いてきたまほろばブログが、

なぜ、今、月山なんだろう?と思ったのですが、

 

時空を超えて繋がることは、

はるか昔に渡来した遺品が、

日本に集まったからです。

 

 

東北にきたから、繋がったのですね。

それらの国々は、赤い国政府により今も迫害を受けている地域です。

チベット、ウイグル自治区。

 

悲しいかな、私は中国もチベットもウイグルもみんな好きですから。

私は日本人として生きることで、正しいことを追求していきたいだけ。

 

 

東北歴史博物館は、多賀城のすぐそば。

 

シワ・オアシスもシルクロードから来ていると思うのですね。

 

 

多賀城が1300年祭だから、

きちゃうんですな。おばけおばけ ←はりきってますよ。www

 

 

 

 

この桜の開会時期。

なんとも言えない魂の喜びでした。

 

日本で開花すべき民族なのかもしれません。

 

しっかし、食べることしかないね~。

牛タンコロッケ。

 

 

食べたら忘れます。

ええ、それがなにか?

 

展示は、6月9日(日)までやっています。

 

 

 

それで、ちょうど今、他の展示室にも

蝦夷がきてます。真顔

蝦夷フアンには必見の展示も次に記録しておきます。