もうひとつおすすめの里山を。

仙台より北の大和町。
ぽこぽこした山が連なる七ツ森。

 

 

だいだらぼっちさんが作った山です。

 



七ツ森には七つの山すべてに「倉」がついており、
元々は八つでしたが、薬師如来の仏教が伝わって七つになりました。

 

※笹倉山

なぜ、「倉」なのかは、「鞍」の事をいい、
神の坐る場所という意味があります。


七ツ森のすべての山に神が宿る信仰。

近くにある石神山精神社と鹿島天足別神社は、石をご神体とする信仰があります。
笹倉山は、七ツ森の中でも親分的な存在で、
この山にも磐座があり、 なぜか「亀」なのです。

 

こちら↓

 


宮床という地名は元は、「難波」と呼んでいました。
今でも難波という地名が残ります。

信楽寺がありますが、 淳和天皇は天皇の位を下りて、
東北へ来ていたと言われており、宮床の地名は、天皇に由来しているとの事。 
※淳和(じゅんな)天皇は桓武天皇の皇子。

なんだけど~

八雲神(天王さま)と、
スサノオを祀っていたのであり、
熊野信仰だったんですね。

そして、賀茂家です。

『黒川郡誌』に、
気になる記載。


後になってからですが、
「出羽から」黒川氏が鶴峯八幡に勧請したのは、
「西宮大明神」とよんでおり、

この神様は、
西宮神社(兵庫県)の西宮大明神をさすらしい。

恵比寿様。

 

だから大阪の難波だったという話は、こちらで相当書いてました。

 

 

 

さて、入口は猪除けの柵があるので、開けて入ります。

 

 


七ツ森は、大倉山、高倉山、三峰山の三山を霊峰としていたそうです。
大は朝鮮語でタカと読みます。

このあたりの地名もオオと名のつく地名が多いので、 
オオ氏とタカ氏の山とも読み取れます。

これは、大和政権になってからの事ですが、 
後に奥州街道でやってきた秩父狼信仰の総本山、
三峰山を含んで 船形連峰を信仰の山として崇めた修験道が確立したと考えられます。』


ということで船形連峰の三峯山の山頂には、
 大口真神が祀られているそうです。

意外にも、関東平家が関係する土地であったりするのですが、
この後の神社参拝にも関係してくるのです。

 

 

けっこう急登です。

 

 

 



鎌倉山の薬師様

 

胸のところに穴があいていて、五円玉がぴったりはまっていた・・・

 


 

 

『七薬師がけの由来』 

七ツ森は東北二十五勝の一つとし又黒川の
人々の信仰の的として 古くから愛されてきた。

現在、七ツ森各山頂に祀られている薬師像は
1762年5月8日 宮床館主家臣八巻景任長親子が薬師像を
背負って安置したと伝えられ、 毎年その日を薬師如来大祭としている。

七ツ森への山岳信仰はさらに時をさかのぼり、 
七ツ森を本願功徳霊山として若者たちはそれぞれの願いをこめて、
約20キロに及ぶ険しい山道を1日で踏破し、
五穀豊穣無病息災家内安全あるいはよい嫁さんが
授かるように祈願したと伝わる。』

 

 

 

 

※イワウチワ

 

 

 

 

 

石神山精神社には、椿大社や瀬織津姫の名が登場する由来があるのです。

遂倉山は「トガクラ」というのですが、 
たぶん、戸神山、戸倉山、という名の山があるように「戸」なのは、
ピラミッドのような三角形の山に言うようです。

 



遂倉山の薬師様。

 

「遂」の漢字にしたのはわかりませんが、となりの「たがら森」は、
噂ではピラミッド説があります。

登ってないけど、石だらけなのでね。

 確かに、七ツ森は不思議な山が並んでいます。

自然に火山などで隆起した山がそのまま固まって残されたにしても、
 ちょっと不思議すぎる山です。

 



石神山精神社の裏手の山=奥の院と言われていますが、 
何もないなあ、といつも思うけど・・・

石神山精神社については791年「官社」とある。

官社の意味は、布を神へ捧げる新嘗祭のような意味があり、
 律令時代、布などをお社に配布する習わしがあったそうですが、 
その布が麻だったかもしれない。
大嘗祭に麻を奉納する阿波忌部にも関係していそうな話。

エミシは石神山精神社で祭祀を行っていた?

 

 

さて、ここからたがら森方面へ下ります。 

 


 

ここの森は、癒されます。ニリンソウなどの群生が、
た~くさん咲いていて素晴らしい森です。

 

 



今年もみかけたエンレイソウ。

 



山道一面にニリンソウが咲いています。

 

 



明るい森で、縄文の頃もこんな感じだったのかな、
と思うような妖精の森です。

清水が湧きでているので、花々もよく咲くのです。

 

 



なので、熊も多いでしょう。

 

 

 



小さい三角山(左)がたがら森。

 

 

 

 

 

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おまけ、「貴船神社」

 

 

大衡村にある貴船神社。

 

 

『1443年7月勧請と伝えられ、元柏木の地にあったといわれている。
1873年(明治6年)に野田の相善社、藤ノ沢の羽黒神社、沼田の神明社、
下西沢の山神社、牛野の湯神社が合祀された。

社殿の正面には都から頂いた「正一位貴船宮」の額があり、諸願成就のため
模型の木舟が奉納されている。お産の神様としても知られている。

大衡村教育委員会・大衡村文化財保護審議会より』


相善社は、福島県にある相善山(子眉嶺神社)の関係だと思います。

 

 

 



本社の隣に羽黒神社があったので、参拝したらご神体が、剣のようなものでした。
今はどうかな。
閉まっているかもしれないですね。

 



クラオカミの神は、水神で、これが「ミズチ」の事とも。

貴船神社について、「トベ達の悲歌:津名道代著」によると、

『京都の鞍馬は貴船神社のあるところ。
そこは、鴨川の水源でもあって、

その地の人は「上賀茂さんなどはあとで大和から来たんで、

わしらは神代から貴船さんの氏子」という。

その貴船さんも祭神「高おかみ・暗おかみ」は

字の示すように龍の霊体が伏している。
※おかみ=雨冠に龍。

「水霊(ミズチ)としての蛇神」である。

なお、のちに大和朝廷が宮廷での占卜に「桜」の枝を燃料として使う。
その桜を「ハハカ」と呼んだが、それは
葛城の葛木坐火雷神社から献上のものを使う習わしであった。』

 



葛城さんね~。

 

のどかな風景

ハハカのハハは蛇の古語。

ヤマカカシもそうだけど、熊野は「山田」姓や山田の地名が多い。
代々、熊野の神官は山田姓とも言われます。

「山田のカガシ」が、ヤマカカシになり、
意味は、「蛇族の大人(うし)」
うし=族長の意味。
また、蛇神は夜刀神でもある。

剣が産み出している存在は、蛇族とされ、
事代主は、出雲の国譲りで大和葛城の鴨の神であると著者の本にも書かれている。

この付近には、聖徳太子信仰もあったりするので、
アザマロも逃れていますしね。

 



ここから北上するともっと蝦夷色が濃くなっていきます。

七ツ森はまだいろいろありますが、おしまい。