つづき。

しばらく、妄想Day

 

 

 

こんなに優れた鉄をもたらした人々は、どんな人だったのか?

三内丸山遺跡の巨大集落があるように、
1万年以上も維持できた独特の狩猟文化をもつ人々の
自然に対する考え方は、私たちよりもはるかに優れている。

その人たちは、鉄を生み出していたこともあるのか?

群馬県妙義山の縄文後期~晩期には、石棒祭祀が発掘され、
同じ場所から多種の石が発掘された。

その中に「鉄鉱石」を奉納しているものがあり、
縄文人により鉄鉱石が集められていたことがわかっている。

不純物が少ない鋼は世界に伝播し、
青銅器技術を受け継ぎ、鋳鉄から始まる。


BC13頃に伝わるインドでは、ダマスカス剣があるように。
古代インドで開発されたが、ルーツは、シリア。

 

※ダマスカル剣の模様

日本にはBC4世紀、縄文晩期頃に伝わったとされ、
最古?の鍛治跡は、淡路島で大鍛冶工房集落がみつかっている。

銅剣形石製品出土
※加茂宮ノ前遺跡「那珂川」流域。

 

 



熊野信仰が「鈴石」を用いて布教を行っていたのは、
沼鉄鉱の中にある水。
湖沼鉄の鈴石。

 

 



※図1、図3 鉄から見た我が国の古代史:火力原子力発電技術協会より

名取郡に熊野信仰が広まった理由に、沼鉄鉱があると。
湿地帯(葦=岩沼)だったため。
→鍛冶場=金蛇水神社と竹駒神社。

ちなみに、竹駒神社の「小野」篁の小野家も、
タタラ製鉄民に繋がる。

この沼鉄鉱の中に海水が含まれており「薬水」としていた。
ふると鈴のように音がすることで「鈴石」と呼び
信者に配っていたことがあったそうだ。

※正八面体の中にキューブがあるけれど、

これがアナトリア地方の女神に繋がる。

このように、磁石のように強い磁気をもつ「磁鉄鉱」=正八面体(結晶)。
を、タタラは多く利用していたという。
※最近はアルツハイマー病の脳に磁鉄鉱が含まれている
ことがわかった(大気汚染)

 

※磁鉄鉱

非常に有毒なので、タタラの身体的不自由な物語は、
汚染によるもの。

しかし、これを用いて「不純物を取り除く技術」を、
もっていた製鉄民(山陰地方)にあった。
西~東へ移動し蝦夷になったと考えられるが、

量が非常に少なかったので、ヒッタイト文明の中央アジアの主流は、青銅だったと。

 

「空から光が落ちて来て・・・」
の、妙見大菩薩とは、隕石のことを秘めているかもしれない。

鉄は隕鉄(鉄隕石)から始まり、

古代ヒッタイトが鉄をもたらしたと言われる。

 

※ウィドマンシュテッテン構造
鉄とニッケルを多く含むオクタヘドライト型隕石(八面体晶隕鉄)

加工すると三角形がみえる特有の構造。
どうも、八面体に秘密が・・・

物質を浮遊させるモノかもね。

 

 

古代ヒッタイトの鉄

 


しかし、最近の研究でわかったことは、
「鉄をもたらした民族は、別のヒッタイト人だった?」

という衝撃的な話。

どうもその先に住んでいた人々がいたと… 
アナトリア地方に広がった文明の多くは、
遺物としてあまり残されていないため、謎が多い。

エジプトはレリーフなどで残されているもので、
目にみえてわかるが、ヒッタイトを知る唯一の手がかりは、
「楔形文字」と石の彫刻からイコノロジー(図像解釈学)
で読み解くこと。

楔形文字の文書から読み解く王の人間性がみられ、
「エジプトとは違って」人間見な王=慈悲深い人たちだった。
という専門家の意見が多い。
例:疫病により神に祈る王の文書(ムルシリ二世)

だから、ヒッタイトに興味がわく。

 

騎馬民族(車輪の軸が堅く強固に作られた為、壊れることはなかったという。

ヒッタイト人は3人乗り)

 

----------------------------------------

先住民の後にヒッタイト人がやってきて、鉄を利用したと考えられ、
先に住んでいた謎の人たちが、
隕鉄を利用していた可能性が高いという。

アラハバキ由来の説があるヒッタイトの鉄を意味する「ハパルキ」は、
アナトリア地方(ハットゥシャ)にヒッタイト王国があった所。


確証はないとしても、
このハパルキの言葉が転じてハバキとなりアラ・ハバキになったことは?
古代製鉄民の総称?
(※岩手県の作家、高橋克彦さんも言及されていた)

ハパルキは、ヒッタイト文献に出てくる
「鉄」を意味する「ハバルキ」で、
「ヒッタイト帝国より古い時期に使われていた」
ことがわかっている。

 

ということは、先住の古代製鉄民が古く、

後にヒッタイトが国家を形成したため、

ヒッタイト人が鉄をもたらした、という話。


日本では、彼らをアラハバキと呼んだのか?

 

ヒッタイト王ハットゥシャ3世が、エジプト王ラメス二世にあてた粘土板には、

「キズワトナの私の倉庫には、今は良質の鉄がありません。
私は今、彼らに良質の鉄を造るように命じました。
彼らがそれを造りあげたら、あなたにお送りしましょう。」

「彼ら」とは誰だろう・・・。

キズワトナは、BC25世紀、フルリ人という人が住んでいて、
コーカサス山脈が故郷にある人々といわれる。

北部から移住してきたそうで、「ミタンニ王国」とよばれる。
が、直接、鉄と関係しているかは不明点も多い。

「鉄を生産するには悪い時期」があったことや、
「良質の鉄」と書かれていることが文献史料に残されていることから、
鉄の知識をもっていた人々が暮らしていたことがわかっている。

また、ヒッタイトは獅子を門に置くので、獅子が日本に再び戻り、
狼や狛犬に変化したもの。
 


カマン・カレホユック考古学にある獅子像。(『ヒッタイトに魅せられて』)

カピバラにしかみえない・・・泣き笑い

 

これらのカレホユック遺跡など、
ヒッタイト文明の発掘調査をしている日本人考古学者がおります。

唯一の日本人。大村先生。

こちら!
ヒッタイトファンは、必読ですよ。

 


(『天は赤い河のほとり』の作者との対談)

 

これすごいんだよね。

トルコに日本の皇室「三笠宮記念公園」があり(中近東文化センター)

大村先生や地域の学生たちの援助をされてきた。

 

来年100周年!!

 

 


細かいことは、本を読んでね。

 

とにかく、今年~来年にかけて、〇〇周年という記念祭が多い。

未来はどう動くか。

----------------------------------------

そんなことを妄想する古代製鉄民のみちのくの風景。

 

 

白山岳からみる平泉。

 

 

北上川

 

 

丘と平野の違いだけで、似てる・・・かなぁ。

 

※ヒッタイト文明発祥の川「クズルウルマック河」(『ヒッタイトに魅せられて』)

ヒッタイト語では、マラシャンタと呼ぶ。

 

そのヒッタイト人が世界各地に散らばり、
インドを経由して日本へ渡ったことも十分あり。
でも、ヒッタイト帝国が滅びた理由があまりよくわかっていない。

舞草刀を残してくれたと考えるなら、
それを受け継ぐ者たちを「アラハバキ」と呼んでいたかもしれない?
それはまた女神信仰であり、蛇神だ。

そんな妄想をしてしまうほど、
果てしない大地が広がっている平泉。
 
岩場に囲まれて絶景を堪能。

この景色。
感動しました。

 

「夏草や 兵どもが 夢の跡~」

今では新幹線が田園を突っ切って走る。

豊かだったみちのく。

 



黄金文化と鉄文化。

その中間に稲が実り北上川が流れる。
先祖はいつもよい場所を知っている。

 

ヒッタイトの基礎知識

 


少しここで基本の歴史を書いておこうかと思ったけど、

大変なので、
興味ある方は2時間と長いけど、わかりやすいのでこちらをおすすめ。

(タダでみれるってすごい)

 

 

 

ちょっと簡単にまとめると、


インド・ヨーロッパ語族
→インドからヨーロッパにかけた地域に由来する語族。

英語・スペイン語・ロシア語などヨーロッパに由来する多くの言語と、
ペルシア語やヒンディー語などの
西アジアから中央アジア、南アジアに由来する言語を含む。

 



ヒッタイト人が住んでいた地域は、アナトリア地方(現:トルコ)

ヒッタイト人は、「ハッティ(HATTI)」とも言われ、
前1650~1200年頃にかけてその地を支配した民族。
旧約聖書では「ヘテ人」といった。

周辺の国は、エジプト、ミタンニ、アッシリアなど。

 

---------------------------------------

なぜ、今ヒッタイトなのかは、わからないね~。
突然、昨年末からヒッタイトがきた。おばけ

すっかり記憶から遠のいていたヒッタイト。
原点に戻る。

確かに、
私が古代史や鉄に興味をもったきっかけは、ヒッタイトだったけど。

興味をもつ理由としては、
ヒッタイト帝国が滅びた時期と、
青銅器時代が終わった時期が重なること。

その後に鉄の文化が到来したタイミングに
ヒッタイト帝国が深く関わっていること。
(紀元前1200年)

 



※前1200年の地中海東部
(地中海東部を席巻した大規模な社会変動)

「ハットゥシャ」が都といわれ、まだまだブログを書くよりずっと前、
歴史が好きになった時から、この都の言霊の響きが、
初めてではない気がした。

また、ケルト文明と共通する(ケルト人もインド・ヨーロッパ語源に鉄)
「ハルシュタット」時代。
ヒッタイト人がケルト人と融合していることがある。


日本とも例外ではなく、
塩の道と言われた時代があり、ヒッタイト人が結んでいたことを想像。

「塩と鉄は、つながっている」

鉄器がケルトに伝わったのは二つのルートがある。

南方ルート(ヒッタイトの鉄器文化が前12世紀に滅び、ギリシア・イタリアを経てケルトへ)
東方ルート(黒海地方の騎馬民族の鉄器はハンガリーをへてケルトへ)

ということで、ヒッタイトとケルトとの関連もあり
どうやって果てしない東方の日本へ渡ったのか、興味がある。

しかし、このころは、インターネットがまだ世にでていなかった頃。
知るすべもなく、ただヒッタイトの「草の民と海の民」を妄想するだけだった。

----------------------

そんなヒッタイト神話に、
日本の伝説と共通点があると思ったことが・・・。

 

長年のまほろばブログが、ここで冴えてくる。

やはり、鬼のそばに鉄があった。

つづく