今度は岩手県。
今年は、平泉の中尊寺が900年祭。

 

 


昨年は名取熊野三社900年祭だったので、
平泉とは密接な関係。

まだ、900年祭は終わってなかったか…

さて、この話、
相当な話で広げる。
「妄想」で聞いてね。ヒヨコ

今、エジプトではなくヒッタイト。

断然、ヒッタイト派。指差し

 

このほのぼの獅子が、かわいい。(ヒッタイトの都「ハットウシャ)」

まず、この帝国を知らずして鉄は語れない!

あの舞草神社のことを、思うことがある。
ヒッタイト文明が何らかの人物により、
東北にタタラをもたらしたとしたら・・・

 

 

※白山岳の反対側、中尊寺裏手の月山より束稲山をながめる

(ここにはアラハバキとよぶ岩がある)

 

その前に、神社の概要を。

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【2015年11月の記事】

舞にイ偏がついた漢字のモクサ神社。
奥州平泉にある。


 
北上川



舞草、白山岳付近に安房という刀鍛冶が住んでいた。

名刀をうつために舞草の神社にお参りしたところ
「金と火と水と風の陰陽を合体するようにすればよい。

うしとらの方角に刀を鍛えるのによい湧き水がある」

とのお告げを受けた。
その場所で鉄を鍛えたところ、名刀が出来上がったと伝えられる。

ある時、安房を恨むものが襲いかかってきた。
安房は一族の者五、六人で防戦していたが、
舞草の神の加護によって三百人もの助太刀が突然現れ、
敵を打ち破ることができたという。」

 

舞草山。

今は観音山という。


日本刀は陰陽道の造形物。

一度、この神社へ訪れた時、
感動した絶景をみせてもらった。

 



この絶景をみたくて探しても場所が見つからず。
諦めて帰ろうとしたら、ちょうど、車がざーーっと勢いよく神社に入ってきた。


聞くと、舞草神社の管理をしている方で、
絶景を教えて頂き、見ることができた。

 



この一期一会から、舞草のタタラが好きになった。

 

 

タタラへの道

 

ここは日本刀発祥の舞草刀の聖地。
 
14号線を進むと白山神社がある。
平泉は、白山信仰。

 



向かいあうような場所に白山神社があり、
ここにある白山神社が観音山と関係している。

ここを訪れた人物は「大野東人」

 



看板の説明より

「724年大野東人がこの地に勧請し建立したと伝え、
白山妙理大権現と称していました。

祭神は、イザナミ命(女神)で火の神、学問の神です。

明治時代になって、大年神、御年神、若年神の三柱の神を合祀しました。
農業の神、稲の神です。」


宮城県北部の加美町あたりから、
西の山形~秋田までの道を築いた人。
また、薬師如来を祀る人でもあったらしい。

縄文時代は1万年近くも狩猟だけの文化を築いていた。

世界四大文明はすでに農耕文化があったが、
縄文の日本だけが狩猟生活だった。

そこへ大陸からの農耕文化が入り、渡来人は森を切り開き、
山里の麓に住んでいたと思われる。

その初期は、九州~日本海経由し青森付近で稲作が広がる。

狩猟の生活を糧としていた先住民たちは、
山での暮らしを余儀なくされた。

 



それに、ここは、北上川が雄大に流れる日高見国の一部でもある。

大野東人という人が、農耕文化を伝えた開拓の話に発展させるならば、
狩猟から農耕文化への転換期であり、
その場所がタタラ場であった為ではないだろうか。

かなり古い時代から先住民が住んでいた東北の地に、
タタラの技術をもたらしたことも大きな出来事。

14号線からはずれて左へ。
林の道を登っていくと表参道がある。


 

ここから徒歩で登ることはできるが、
どのくらい時間がかかるのか予測がつかず、
今回は無難に車道を進む。

しばらく進むと、「観音堂入口」という小さい看板を発見。

ここからは急な細い登り道になる。
先へすすむと広い道に出て、民家らしき家が遠くに見える。

さすがに自転車を転がしてはきつい坂なので、
ママチャリ(レンタルサイクル~)を置いて歩いていく。

※神社前に広い駐車場があるので車で行けるとは思う。
他のルートもあるようだ。

 



このへんから大きな石が埋まっており、
人が居住していた痕跡がみえる。

 



神社へ行く途中に「仁王像」があった。
看板が汚れていて読めないのだが・・・

 



舞草山(観音山)と二王堂について、

東征の際に、舞草神社は、坂上田村麻呂がみきり勧請した、
とあるので、マロが修復(内装)行っていた様子。

「この山は舞草山といっていたが、今は観音山という~
また、吉祥山東城寺と称した。」

そのため、「鞍馬山の観音と合祀している」と。
なぜ、鞍馬山なのかは、鞍馬山縁起をよんでみるとよくわかる。

 



ここに悪路王がいたからだろう。
 
その悪路王とは、総称だが、安倍氏のことをさすと思われる。

多くの武器を必要とする安倍氏や藤原氏などが控えており、
鉄落山からは刀の原料として優秀な鉄鋼を産出したので、
修験者たちは日本刀の原型といえる刀を制作。


優秀な鉄鉱資源があったため、修験者が集まり宿坊もたくさんあった。

豊前、豊後、薩摩、鎌倉、津軽などに移動し、
各地に刀鍛冶の技術をもたらした。

仁王像は、京都から戻った僧侶が建立したとある。

 

 


しかし、貴重な場所ではあったが、はっきりした痕跡や確証がとれないとも聞き、謎が多い。

 

 

今年が、その始まりとなるのか。


1000年ではない「900年」

999段で終わったあのナマハゲ階段でも、
1000には届かなかった。

でも、東京で、平泉が開く。

 

ヒッタイトが、動き出した。

 

神社へ向かう。

 

 

日本刀発祥の舞草神社

 

平泉が世界遺産になっても舞草神社は含まれていない。

製鉄跡や遺物は見つかっているのだが、時代の特定ができないと。
確証がないため、保留に。

観光客はまず北上川を超えて反対側へはあまり来ないから、もったいない。

 

※白山岳

実際、行ってみると本当にここで産鉄族が集まって
大きな製鉄跡があったとは想像できないが・・・

 



このあたりも物部氏が関係していると思う。
平泉にもハウシワケ神社(配志別神社)があり、
この神社は秋田の保呂羽山にある。

刀は武士の魂が宿る、といったことを聞くが、
古くは儀式として用いられたもの。

天皇へ献上する刀の中で、舞草刀はベスト5に入る。
その丸く歪みをもった日本刀は、ここで発明されたという。

 

※NO.3太刀 銘 舞草 陸奥国 鎌倉時代後期 

長72.7cm 反り2.1cm

日本の製鉄錬は、早い時期に行われており、
鉄は大陸から入り、北海道~日本中央へ伝わったという。

縄文晩期といわれる蕨手刀が日本刀のルーツといわれ、
九州まで伝播され、

その鍛治集団のいた所が舞草神社のあたりとされる。
 

 

バナジウムと北欧神話

 

舞草刀の特徴は、以前の直刀ではなく

「反り」のある少し湾曲した刀を生み出した。

そのような反りを実現できたのが、おそらく、
バナジウムという物質を含んでたいたことにあるとの説。

詳しいことはわからないが、
この物質が多く含む褐鉛鉱(かつえんこう)などの成分が、
何らかの鉄の道具に使われた可能性があると。

 


※燐灰石グループ(六方晶) 

 

バナジウムは灰色の金属で主な産地は、
南アフリカ、中国、ロシア、アメリカで90%以上も占める。

金属としては柔らかいので、鉄にバナジウムを含めると、
やわらかくなるため、しなやかな形にできるという。

鍛治集団は、元素などあらゆる物質界の知識をもっていた人たちだった。

バナジウムが白山岳に含まれていることを知ったのは偶然ではなく、
大陸で鉄の知識をもっていたから、よく「地形を知っていた」→アテルイ。

バナジウムは美の女神バナジスに因んで名づけられ、
これを含む化合物には鮮やかな色のものが多い。


白山岳はバナジウムを含む山と言われる。

バナジズ→北欧のスカンジナビア神話
「ヴァンたちの女神」を意味するヴァナディース=バナジス
「黄金を生み出す女神」=月神と同一。

 



別名:フレイヤ

双子の兄、フレイは猪を従え、
9つの世界を牛耳る王。
必ず「9(九)」=禹王も9つのクニを治めた。

 



その上の「10(十)」を目指したのは物部氏。
十種神宝。

北欧の鍛冶師(ゲルマン)「ヴェルンド」が、オーデンの剣を作った。
この伝説から「白鳥神話」となり、
日本では、羽衣伝説(天女)となる。

ヴァン神族は、北欧神話では「巨人族」

日本のタタラが巨人族である大国主(出雲)と、
結びつけられた神話になっている背景には、

地球の創世、鉱山資源を生み出すのは、
巨人族の女神崇拝があるため。

(↓ヴァン神のもつ剣の取手)

 



ヴァン族は、
アース神族(風神・雷神)のもと、

(※日本では、シナツヒコ)

へグルヴェイグ(名前の意味は「黄金の力」)
という女を送り込んだことが、

2つの神族の抗争の原因となっている。


世界と日本神話の共通は、二国間の争いと兄弟争い。

これが、ずっと日本の神話にも受け継がれている→蘇民将来。

しかし、1000年も続く蘇民祭は、今年で終わった。

 



※ギリシャ→キジル石窟(ウイグル語で赤の意味)の風神→日本

赤は辰砂=丹、風の神とは、ふいご。


で、これらが神話となり、鉄を含む鉱石に変化。

↓参考に

 

 

もちろん、一概に、バナジウムだけが金をもたらしたとは言えないが、

バナジウムという鉱石が、黄金の平泉を繋いでいたことがあった。

 

製鉄には水が重要。

 

バナジウムは、他に富士山麓の地下水にも含まれるため、

水もまた重要だった。

 

ククリヒメ信仰は水信仰があるため、
富士山の湧水には多くのバナジウムを含み、
血糖値を下げサラサラ血になることで、健康にも非常によい水。

 

蝦夷と鉄



古来の直刀は祭祀用具であった。
鹿島神宮の直刀など。
騎馬民族が入り、より強い鉄を求めた。

日高見の時代:河北新報より引用。

「奈良時代6,7世紀頃、日本刀に特有の「反り」は、
直刀に比べて進歩した形で、これを創始したのは舞草鍛治。


この祖先は中国からやってきた。
北九州に上陸し、鉱物資源を求め、日本海水軍で奥羽に入る。


修験道のネットワークと結びつき、
冶金族は山岳地帯を網羅する修験のネットワークを使い、資源探査をしていた。

最も高度な鍛治技術を必要とする日本刀は、
「火と鉄の芸術品」とよばれ、古代奥州には優れた鍛治集団がいたが、
その代表が、舞草刀工団と月山一帯の月山鍛治である。

金色堂の内陣を飾るクジャクの彫り物は、
銅板で作っている極めて純度の高い素材が用いられており、
通常は不純物として銅に含まれている。
鉛が全く検出されなかったという

 



また、舞草刀は後の「政宗」という名前の名刀になっていく。

千年前の刀鍛冶のから誕生したものだったので、
彼らは「俘囚」だったと。

朝廷に召されて京都周辺に定着していた人の名前は
「保昌(ほしゅう)」一派といい、俘囚(ふしゅう)から由来している。

 

 

 

また、歴史書では鉄の技術をエミシに伝えるために、
坂上田村麻呂などが京へ俘囚たちを派遣していたと言われるが、

「技術者を派遣する職業訓練」は、家族の衣食住を保証し、
この時代から行われていたこと。

東北に稲作を伝授する代わりに、鉄の技術を西日本(近畿)へ
もたらすことを交換条件とした。

いずれも「水」が重要だったため、
坂上田村麻呂は、生活用、タタラ用、稲作用
の水の利権に悩まされていた。(と、思う)

その地域を治めていた人は、母系社会であったことから(安倍氏ら)
相続する娘(首長の長女)と関わりをもつことが多い為、
マロは、女性問題に取り沙汰されてしまうことも?

 

また、その中に「薬水」があり、
これらの成分を含む水が治療薬になった。

そこに十一面観音像を信仰し、水神を敬うようになる。
大野東人が薬師信仰であったと伝わる背景には、タタラ場がある。

 

※舞草古鍛冶発祥之地

また、鬼の名前を名工にする人も多い。

皇室御物の「鬼丸~」という名前があるのは、
奥州鍛治鬼丸といわれる名刀とされる。

 

 

・・・なにもの?大あくび

 



 

 



 長くなるので、次にしますが、

これらの話から、
「アラハバキ」の語源につながったりする。

だんだん、ヒッタイトが繋がろうとしている。

 

松尾芭蕉の句。

「しばらくは 花の上なる 月夜かな」

 

 

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一関博物館では、舞草刀や蕨手刀がみられます。

貴重な摩多羅神の掛け軸も。

 

 

つづく