震災の日が近づくと蝦夷のことを書きたくなるので、
過去記事をまとめて書きます。

 

久しぶりに、アテルイDay。

2016年4月の記事です。


その前年、
2015年に一関市の舞草神社へ行き、(舞はイ編に舞)
剣と刀の違いが気になったことがあります。

一関博物館に舞草刀が展示されているというので、
その時、博物館へ行ってきました。

 



舞草は、日本刀発祥地と言われ、
それまでの直刀に変わり、
湾曲の刀が生みだされたという。

「舞草、白山岳付近に安房という刀鍛冶が住んでいた。
名刀をうつために舞草の神社にお参りしたところ

「金と火と水と風の陰陽を合体するようにすればよい。

 


うしとらの方角に刀を鍛えるのによい湧き水がある

とのお告げを受けた。
その場所で鉄を鍛えたところ、名刀が出来上がったと伝えられる。


ある時、安房を恨むものが襲いかかってきた。

安房は一族の者五、六人で防戦していたが、
舞草の神の加護によって三百人もの助太刀が突然現れ、

敵を打ち破ることができたという。

 


片葉(かたは)の伝説が各地にありますが、片目などもそうで、
それは刀の片刃(かたは)の事もあると思うのです。

善悪二元論という悪を作り出したことで、
より悪いモノから断ち切ることを考えて作られた刀であると思い、

それは明らかに自分が善にたつことでなければ、
使うことがない刀とも言える。

しかし、都合よく解釈をしている人が多いが、
自身が善であるべきという意味ではなく、
悪いと感じている=分断させているモノから

断ち切るという事にあると思う。

 

悪いモノからは逃げてもよい。

しかし、
線引きしている発端が何であるか、を問うこと。

差別もそうだ。
そのラインを引いているのは、誰か?

どこかで、皆、自分にあると気づく。

 

 

 蝦夷とは

 

改めて説明する必要はないですが、
「えぞ」という北海道の地域をさすのではなく、

九州では隼人と呼ばれたように、
東北では蝦夷(えみし)と呼ばれた人々がいました。

「まつろわぬ民」ともいわれ、
朝廷に対して反発する者のように、
先住民という事ではなく、
「朝廷側の人ではない」といった線引きをするために、
用いられた言葉でもあります。

熟蝦夷(にぎえみし)は、朝廷側。
荒蝦夷(あらえみし)は、反朝廷側、
といった解釈がありますが、
一概にそうとは言えず、
アイヌ人どうし、東北の和人どうし、
村々で争いをし、和解に入っている朝廷の人もいます。


震災が起きる2年くらい前に、
秩父で仲間と武甲山へ登ったこと。

その時に、参加した方が宮城県出身で
埼玉に住んでいる人でした。

私が仙台に住んでいると言うと
「蝦夷が気になるんですよね」
と、言われたことがあります。

その後、実家に帰省する準備中に、起きた震災だったので、
エミシの言葉が浮かんできました。

震災直後は、埼玉に戻ったのに、
すぐ仙台に連れ戻された為、
それから、エミシ探訪が始まります。

もうこのブログも12年がたとうとしていますが、
いろいろなことが見えてくると、
結局は、自身のカルマなりトラウマが一番強いことを知る。

 

でも、どこかで満たされていて、

いつも、どこかで、優しさはありました。

その場へ行くことで、自分自身の過去と向きあい、
供養することが、未来へ続くことを知り、

過去・現在・未来は同時進行で起きているため、
過去の歴史認識を理解すれば(歴史をよく熟知すること)、

未来が変わることは当然のことなのです。

よく、過去は過去だから、という人がいます。
歴史は過去の話しだし、という声も聞きます。

では、なぜ、日本の山岳信仰に、
過去・現在・未来が存在するのか。

 

なぜ、先祖は、私たちを残したのか?

なぜ、神は山に坐す?
大地の崩れを蛇とよんだか?

それを、どこで知っていたか?
思いだすこと。

 



ということで、アテルイ(悪路王)を追悼する気持になった
ところで、言霊にも通じる剣のことを。

 

 

 

 言霊による太刀

 


「言霊では、太刀(たち)といい、「絶ち」に通じる。

これは、人間が産まれた時から授かっている判断力で、
物事をわかろうとする分析力となります。

分析、すなわち分けなければ永久に分かりません。
分けるから分かるのです。

この分析する・分ける働きを表徴する器物を太刀とよびます。

全体としてそのものが理解した時、良いか悪いかの判断をする。

この総合する働きを「剣(つるぎ・連気)とよび、
何かを一緒にする時の「つるむ」と同じことをいう。


分析の太刀と、
総合の剣の両方の働きをする古代の剣は、
両刃でした。


これに対して物事だけを絶ち切るだけの
働きは剣は刀(片名)とよばれました。

 



※両方の刃をもつ剣:(剣名:以餅鉄守一作之1864年)


キリスト教
「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。
平和にあらず、反って剣を投ぜんために来れり。」


(意味)ただ平和にするために来たのではない。
人々に正しい判断をするために来たのです。

仏教

「両頭を裁断すれば、一剣天に奇って寒し」

(意味)あれかこれか経験知の迷いをするより、
すっぱり切ってしまえば物事の正邪善悪を
決定することができる」


参照『言霊学』島田正路著

どの宗教も同じです。


剣は、その両方を成し得る。

→バランス


分析し、何が正しいか、正しくないかを

判断する能力を授けるのが、剣なのです。

 

しかし、今、現代人、

特に若い人の判断力、決断力は失われていると感じます。

判断させないようにしている事もある。

今の刀は、判断力の欠如により、
ただ恨みをもって自分だけの勝手な念を消したい為の道具にすぎない。 


剣は切らないから「両方の手でもつ」。
刀は片方だから、片手で持てるように考えだされた。

騎馬民族が片手で剣を操れるように、
軽い刀(歪んでいると軽い)を生みだした。

 

これが、舞草刀↓

 

 

NO.3太刀 銘 舞草 陸奥国 鎌倉時代後期 長72.7cm 反り2.1cm
鎌倉末期の記録写本「観智院本銘尽」では

全国の名人42名中8名の舞草鍛治が記録されている。
※「郷土のかたな」一関博物館より


では、古来の剣は、何とよばれていたか?

「天羽羽矢」は羽を2つ書く「羽」だった。

 

東征に臨む神武天皇に対し、長髄彦(ながすねひこ)は
饒速日命(にぎはやひのみこと)が所持する天羽々矢を示し、
自分が天津神に仕えていることを証明する。

 

この意味は、青銅(出雲信仰)から

鉄(稲荷信仰)へ変わったことにあります。

 

ええ、ですから、

秦氏が「そんな剣じゃ、あかんやん」

と、関西弁でいったかどーか。

羽とはこの場合、刀のことで刀が2本で剣になる。
それを「ハハ」とよび、蛇と重ねた。

 

稲荷の狐の本来の姿は、蛇なんです。

それで男系社会に変わったという意見もあります。

月山刀は、赤色の蛇とよばれ、
ヤマタノオロチの時に生まれた剣と伝わる。

 

※月山鍛冶跡 標高の高い所にあり。

八劒神社はヤチホコの意味で、大国主を祀る。

また、「八つの肝」の意味もあり、肝は五臓の中で一番重要。
肝心、肝に銘じる、というように剣で五臓をおさめる。


世界遺産になっている平泉の中で、金色堂に納められている刀が
坂上田村麻呂伝承のものやアテルイが使っていたものと同じと思われる
蕨手刀などがあるそうです。(伝承です)

 

 

※一関市指定文化財 蕨手刀 長41.7cm 奈良~平安時代
一関市大東町摺沢に鎮座する摺沢八幡神社で出土。
ほぼ完全な姿をとどめており、刃の反りは0.9センチあり、

柄の先端部分は1.2センチある強い反りの形状

 

 

※岩手県指定文化財 毛抜形透蕨手刀 陸奥国 中尊寺蔵
長52cm 反り0.4cm
エミシの首長・悪路王の佩刀(はいとう)と伝えられる。

蕨手刀は、ほとんどが東北産で関東地方の他、
長野県、島根県で出土されているという。
大和があった近畿地方にはあまり見当たらない。

やはり、エミシが崇拝していた

大国主と出雲族が関係していると思うが。

蕨手刀のルートが、東北地方~関東~
長野(山間部に特に多い)~島根県という流れ。

舞草鍛治の刀が全国的に広まり、
舞草鍛治は全国へ派遣され技術を教えることになりますが、
それが良くなかったのかどうか、舞草鍛治は衰退し、なくなります。
 

 

 

 武蔵に伝わる蕨手刀

 

秩父にも蕨手刀が発見されたと知り、
調べた事がある(といってもネットからの情報ですが)

 

 

 

 

 

蕨は、水の意味です。

大野原古墳群で発見。


日本で初めて自然銅が発見されて(ニギアカガネ)、
朝廷に献上したのは、聖神社に奉納されている
ムカデを象徴とした。(元明天皇も祀る。)

雄と雌の足の数が違うが、意味はわからない。

記念に大国主と金山彦を祀り、
朝廷から派遣された三宅氏らに監督させたと。

この辺りでは、円墳がたくさん残されており、
7世紀~8世紀初め頃とされます。

荒川と横瀬川の合流地点の南側段丘で、
和銅開珍などの古銭と蕨手刀が出土されたました。

その側に鎮座する美の山は、美濃から由来しており、
知知々夫彦の伝承がある所。

蕨手刀は東北~武蔵の秩父まで伝わっていたのです。
この刀を重要だと思っていたのは三河だと思います。
 
しかし、蕨手刀は質の悪い剣であるため、
切るものではなく、どちらかというと
神事など儀式的に用いられていたと考えられ、
剣は地にさすためのモノであったようです。

 

 

 二ギハヤヒは隕鉄剣?

戸矢氏の本『二ギハヤヒ』から、
隕鉄剣は二ギハヤヒの依り代であるという。

隕石伝承は、全国各地にありいずれも磐座信仰と直結しています。


天空から降臨した神と考えられ、
そのイワクラは、神奈備山や神籬(ひもろぎ)と
同様で古代神道の依り代でした。
 
東北地方の特に岩手県に集中して舞草鍛治が集まり、
良質の刀が完成されたのは、
鉄を多く含む土地であっただけではなく、
空から隕石が落ちてきたのを山中で探して拾い、

また、隕石から鍛造された刀剣はとても重いのだが、
研磨すると隕鉄特有の紋様が浮き上がり、
その紋様があたかも龍が昇るようにみえることから、
「龍紋」とよばれているそうです。

それに鍛治集団は、鬼です。

鍛治神掛図というのがあり、一関博物館で見られます。

中央に立っているのが、三宝荒神とよばれる鍛治の神様。
3つの頭と6本の腕をもっている姿をしている。
手前には、鍛冶場の様子が描かれ鬼が剣を作っている。
奥には稲荷(狐)も描かれています。

 

例:岩泉町の三宝荒神図

 

 


ところで、アテルイが身につけていた舞草刀が、
なぜ伝承されたのでしょう?

これも物部氏たちが仕掛けた伝承?

これが、女性たちが伝えたタタラであったら、興味深い。

達谷窟毘沙門堂には悪路王伝承があり、
悪路王やアテルイという人の伝承が毘沙門堂に伝わる由縁には、
「靈」と書く「ヒ」があるのです。

 

達谷窟毘沙門堂は、「達谷靈窟」と、書く。

 

靈の漢字は「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「口」の象形と
「神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる」象形から、
祈りの言葉を並べて雨ごいする巫女を意味し、そこから、
「神の心」、「巫女」を意味する「霊」という漢字が成り立ちました。
(漢字辞典より)

 



二ギハヤヒは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(先代旧事本紀)
おそらく、こちらが正式な名前かと。
そうなると、日は靈であることもいえる。

 



ニギハヤヒの霊を鎮める場所だったのか・・・

源頼朝の伝説もありますからね。

だから、達谷窟毘沙門堂に「姫待不動尊」があるのですね。
姫待とは「櫛」である。
霊力をもつ髪の毛の伝承。

「奇し」の櫛。

えみしは、ずっと奇なる姫を待っていたんです。

また、海と山の関係も剣と同じで、

山民は、マタギとなり海民をサポートし、
海民の行く末を案じながら、
政権を影で支えてきたのです。

では、次は、アテルイの里へ。

 

■おまけ--------------------------------

 

 

 

治水の技術は継承されています。