狐の次は、牛。

虚空蔵菩薩像のもとへ。
素晴らしい御堂でした~。キラキラ

 

 

牛は、私の守り本尊です。
牛しっぽごろごろ、のほほ~ん牛あたま

しているのが牛の特徴。

して、ちょっと適当(自分だな)


 

東海村は、原発があるとこ。

「日本国内で原子力の火が灯った最初の村である」
という事で。

 



虚空蔵菩薩像がある所は、海が近いため、
原子力研究所が集まっている所に鎮座します。

日本原子力研究開発機構、
日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など
多くの原子力施設が村内に所在し、
近隣市町をあわせた、茨城県の太平洋沿岸部は
日本の原子力産業の拠点となっている。


ちょっと異様な雰囲気でしたが、
村ですと農村のイメージがありますが、原子力発電所があるからか、
潤い(経済的な)を感じます。

そのため、全国の村の人口も2番目に多いとの事。
茨城県は筑波大学があるので、研究所が多い所でもありますね。
※But,1999年臨界事故あり。

・・・震災の時は、どうだったんだろう。
帰りに、いわき市を通りましたが、
福島北部~宮城県北部にくらべると、被害の大きさを感じませんでした。

北上すればするほど、
痛みの風景が見られます。

 

そんなところで、お参りを。

 

 

「霊験木(れいげんぼく)」
というのがありました。

 

 

必死の祈りだったことが書かれています。

※『加藤寛斎随筆』より

「村松の虚空蔵菩薩尊には「霊験木」とよばれる寺宝があります。
長さ91センチ、幅10.5センチ、厚さ4センチの松板。

1689年陸奥国伊勢屋与兵衛の船が
村松の沖合で台風にあい、今にも沈没しそうになった。

船員たちは、村松の虚空蔵尊にすがるしかないと、
船板を一枚はがし祈願文を書いた。

船員みんなが各自の毛を一部切り取ったものと、
持っていた銭53枚をその木に結びつけ、
「村松虚空蔵尊さま、我々を助けたまえ」と祈りながら海へ流した。

そのためか、嵐は3日目にはやみ、船員たちは全員無事で、
祈願して海に流した木片は、村松海岸に打ち上げられたので、
人々は、これを「霊験木」や「願掛木」とよぶようになった。」

 



何がすごいかって、海に流した祈願木の一部が、
形見のように戻ってくることでは?びっくり

だから、その木と毛は、何かの、誰かの・・・
形見なんですよ。おばけ(ご先祖さまよ~)

守ってくれるモノの実態は、何か?
ヒトに尽きる。

その祈りをした海民たちの霊力。
だれしも、備わっているモノです。

人間の霊力に感服。

 

 

空海の虚空蔵菩薩像

 

これまた、全国の3つのひとつ、というよくあるパターンですが、
それほど、全国的にも有名な虚空蔵菩薩さまという事です。

 

牛と寅

 



牛と寅は、虚空蔵菩薩堂には、必ず置かれるそうです。
後で知ったのですが、屋根にも牛と寅がいます。

 

(梁がすばらしい。)

空海が、修行中に「口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできた
と記されていた、大阪の星田妙見が有名です。

真言密教を広めた空海ですが、中国に行ってます。
中国で宇宙信仰とも言われる密教を学び、
蘇州、杭州など北の方まで足を運び、
中国でも空海像はよくみられます。

言い伝えですが、日本から密教というマニアックな宗教を
学んでくれる人がきて助かった。という話があります。

中国人は、見えるものしか信じないタイプ。

(宇宙を信じなかった国が宇宙開発をする理由…)
今もそうですが、荒れ狂う川の氾濫を技術力と崇拝で(例:楽山大仏)
治めた民族(漢民族とは限らない)なので、これが人間だ!神は存在しえないと考えるタイプです。

 

見えない世界を信じるだけではダメですけれど、

「怖いもの知らず」ということでは、

「蘭陵王」を生み出した大国ならでは、と私は思う。

対し、
日本は、地質・地学的に、川や水が大地の景観を補ってきたので、
自然に順応であれば、それで問題なく生活できたのです。

 

つまり、日本は島ですから、

自然に順応しなければ、生きのびることはできなかったという意味です。

それは、中国とは、まったく別の環境です。

そのためか、本国の中国では、密教は人気がなかったそうだ。
それを日本に伝授してくれる、
となり、密教の僧侶たちは大変、喜んだそうです。

また、空海はとても頭が良い人で、
すぐ理解できた、という話もあります。

 

これに、賞賛を加えるならば、

 

空海は中国の文化だけではなく、

世界の異教徒の思想を取り込み、日本語の「イロハ」

の「マントラ」という、独特の「言霊」を生みだした。

中国文化の基本には、異教徒の文化も含む。

それらを上手に習合させた天才です。

 

※霊隠寺(中国杭州)右下にある赤矢印は空海像。

後ろ向き・・・笑


スピリチャルでいえば、
空海は、チャネラーだった。

 



村松虚空蔵菩薩の由縁には、
遣唐使から日本へ戻った空海は、
茨城県東海村を訪れ、虚空蔵菩薩をお刻みになり、
村松虚空蔵尊を建てられたと伝えられています。


との事で、この虚空蔵菩薩像は、空海がもたらした、と伝わるのです。

「村松虚空蔵尊は平安時代初期の大同2年(807)、
空海、のちの弘法大師さまが、仏教により国を守り安泰にする
「鎮護国家(ちんごこっか)」と、万民が一人のため、
一人が万民のためを思えば平和な世界が訪れる
「万民豊楽(ばんみんぶらく)」を掲げ、
等身座像の虚空蔵菩薩を一刻みするごとに三度礼拝す
る一刀三拝の礼をつくしてお刻みになりました。


そして平城天皇から「村松山神宮寺」の勅額
(直筆の寺額、今でいう看板)を賜わり、創建されました。

平安末期より鎌倉、南北朝、室町、安土桃山時代まで500年ものあいだ、
佐竹氏が隆盛を極めていました。


その保護のもとで、塔中寺院・円蔵寺・松林寺・
歓喜寺・東光寺・竜蔵寺・竜光院などたくさんの
僧坊(そうぼう:僧侶が住む建物)を建設し、

多くの学徒の養成に貢献しました。」

 

 

 

徳川家の家紋がありましたが、
佐竹氏が秋田藩に移り、水戸徳川家の支配となる。

 

 



ああー!今、思いだした。
平泉の三峰神社の創建由来の看板にあった
角館の田鉄のこと。

 

 

佐竹氏の家臣(芦名氏)がそうで、茨城県にいたんだった。
ここでちょっと繋がった~。

家紋からして、芦名氏は会津ですよね?
会津と関連しているのかな。


平安時代 は、久慈郡に属し、美和郷、神崎郷とよばれ、
1594年(文禄3年) 豊臣秀吉の検地以後は、
那珂郡に属するようになる。

会津の虚空蔵菩薩も有名です!
やっぱり、会津でしょう。
赤牛ですからね。

 

過去記事。
こちらに、いろいろ書いています。

 

 

空海は、カバラを学んだ人だと思います。

「うしとらの金神」
ゲマトリア・カバラ。

闇、巨人などといった神話は、
光と闇を分けるために、日本列島をわけた。(東と西で)
そのような世界を、政治や社会に収めた藤原家(中臣氏)がいたのです。

東北が、うしとらの金神と言われるのは、
方角のこともあるのですが、
「自分の位置をどこに置いて世界をみるか」

により、変わるでしょう。

例えば、秩父に柱を下ろすならば、
うしとらは、仙台にあたります。

逆に、仙台に柱を下ろすならば、
秩父がうしとらにあたります。

それをどうするか、決めるのは自分なのですが、
スサノオが壊すと思いますぅ。
(悪いことではないぞ)

武甲山の麓は、牛頭天王がいるのでね。
(うちの遠い先祖が祀っている・・・)
武甲山に囲まれてね、
なるほど~、な、「顕」という事象なのです。
→アラ(顕)ハバキ。

 

ということは、仙台にいる意味、いろいろみえてきます。

つまり、私の場合、

血統=秩父(武蔵)
霊統=仙台(陸奥)

 



茨城県は、巨人族がいた所と感じ、

とかく、大国主、大黒さんの匂いがいっぱいだった!照れ


ハハ=大蛇が、顕れる地域なのだと思います。

だから、修復が大変でもあり。
バランスという意味でね。

みよちゃんが、面白いことをブログに書いていて、
南朝は、霊統、
北朝は、血統。
そういうことなんだね~。

 

※うしとらの金神の図・・・つぇー。
(安部晴明ほきないでん図解)

 

 

 

 

 

 

 

そゆことで、東海村には、虚空蔵様が鎮座されるから、
原子力という物質界の力が、集まってくるのかもしれません。

これも、ある種、「破壊」です。

妄想ですので、神話は楽しむこと~!

虚空蔵菩薩像の裏手に、「村松大神宮」があります。
次は、そこへ行ってみます。

つづく

 

中国での空海に興味ある方は、こちらを参考に。