続きです。
久米清水
御台所清水から、市場湧水太郎まで歩きます。
「かつて(大正時代以前)この清水の側に久米という家があって、
自家の水屋のように使っていたという。
そのためにこの名がついたようである。
別名は「跳場(はねっぱ)清水」である。
ハネッパとは、馬を冷やしたり、
物を洗ったりする場所の方言で
「跳場」はハネッパを当てたものである。」
(データーベースより)
ハタチや清水
お店のそばにあるのですが、
ぽこぽこ湧水が出ているのです。
こんな生活のすぐ場所にあることが、
カルチャ―ショックな・・・
「太平洋戦争後、現在地にハタチやが酒類などの店を出したことか
らこう呼ばれている。
その前、この周辺は戦前本道町にあった伊藤写真館の
所有地でこの近所に住む石橋家が管理していた。
当時はとくに固有名詞はなかったようだと
地元の老人が言っている。
ハタチやではこの清水に販売する酒や
サイダー・ジュースなどを冷やして
いて、飲料には適した温度と言われている。」
泡がみえているところ。
湧水太郎市場へ
ここで、ひとやすみ。
サイダーをここで買ってみました。
とても立派な施設で、
明治30年の酒造を改修している建物です。
1826年、京野長助が「高砂」「賀茂川」の銘で、
旧六郷町で創業。
1881年、初代孝之助のとき、
明治天皇東北巡幸に際し、同地で酒を献上したところ、
随行の森有礼(もりありのり)=初代文部大臣が
「この酒は誠に優れており国の誉だ」と申し伝えられたと。
それ以後、「國之誉」と改めた。
清水の住人「ハリザッコ」がおりました。
この魚は、トゲウオ目トゲウオ科とあり、
六郷では昔から「ハリザッコ」の名で呼んでいるそうです。
「冷たいきれいな水にしか住めません!」
きれい好きなお魚でございます。
(人間の方が汚い暮らしをしております・・・)
そのため「氷河時代の生き残り」と言われ、
絶滅危惧種のリストIAにランク入り。
世界的にも貴重な魚だそうです。
※IA類・・・
ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの。
かなり上のランクです。
暗くて写真がきれに撮れませんでしたが、
扇状地は、豊かな湧水を造ります。
舟ッコ流し
六郷の発展は、雄物川からきているのですね。
秋田物部氏の川でもあります。
機織清水
次にたちよったのが、機織清水でした。
機織ならではの伝説です。
杉林になっていた。
また南側はかつて巨大な杉があったらしく、
近年まで杉の大きな伐根があり、
水遊びの子が切り株に休憩したりしていた。
戦前は川がない町部の子供たちの水泳場所だった。
清水の三分の二のあたりに乱杭が打たれ、
その東側が子供たちの水浴び場で、
西側の三分の一ほどは馬などの冷やし場で、
このルールは守られていた。
清水の名称は「なびき伏したりし大柳ありしが」
と『月の出羽路』の絵詞にあり、
次いで文政はじめに倒れ枯れ、
夜になると梭(さ)の音が聞こえてくる。
それはこの清水の神霊が織る音だろうということで
「機織清水」と、言うようになった。
また、天明8年竹村蛙叟の書いた『六郷賦』には
「機織清水は子供の夜泣きを止める」とある。
水面の広さは清水では六郷一である。」
藤清水
佐尾久右衛門の別荘があったところである。
当時この地に佐尾氏の蔵が3つあったことから
「三倉清水」とも言われた。
別荘の意味である「下第」(したやしき)とも呼ばれた。
この場所を造園されたようである。
現在では藤の花の見事さから藤清水と呼ばれている。
ということで、さくっと巡った六郷清水でした。
この地に住んでいる人にとっては、
当たり前のことと思いますが、
水が枯渇している昨今、
このように生活の中に湧水があることが
貴重な世のなかになってしまいました。
清水、湧水が観光になることは、通常はあり得ないことです。
それだけ、環境が破壊されていることを
痛感する旅でもあり複雑な思いです。
六郷湧水群の詳細はこちらを。
さて、次は、「水の神様」について。
つづく