ちょっとだけ前回の追記を。

 

 


龍泉院の由来になった伝説があります。

銘文には梵鐘を寄進した「真季(まき)」という
僧侶の話しです。

『関場鏡』によると
「新吉」という人が熱心な観音様を
信仰する人でした。

ある時、疱瘡の病気にかかってしまい、
観音様へ何度も祈願をしていたが、
なかなか良くならず、効果はなし。

自身の信仰が足りないのだろうと感じていた時、
夢に一人の異人が現れる。

額に三日月の化粧をしているようで、
右の手には楊柳をもって現れた。

「私はあなたがいつも信仰している観音です。
荒田の地にずっと長い間埋まっており、
ここから西にある古松の森に
岩山があります。

清水が出ており、滝になっている所があります。
その滝の泉を柳の木につけ、

滝の泉は、酒にし、体の疱瘡箇所に注げば、
良くなるでしょう。」

と、告げました。

奇妙な夢をみたと新吉は早速、
その告げられた森へ行きます。

言われた通り、松の木があり、
滝水があった。

その水を使って体の痛みある部分を触れると、
痛みがとれ、すぐさま、完治した。

それから、新吉は、一心に荒田の地に埋まっている
と言われた観音様を探そうとして行ってみると、

遠くに池の水があった。

池の中央に何か影がみえたので
引き上げてみると、観音の像が現れた。

木像のもので、朽ち果てていたが、
破損などもほとんどなく不思議と状態は良かった。

それを霊像の出る所となづけたという事です。

後に、新吉が出家し、
真季と名乗ったとの説がありました。

 

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中央にある龍泉院とは、

少し離れたところに霊感寺があったようです。

(屋敷前のあたり?)

 

「浮島」という地名がありますが、

屋敷前、木戸という地名から

このあたりが信仰の中心にあったと考えられるそうです。

 

現在は、その観音像は、龍泉院にあるそうですが、

新吉がみた池にあった観音というのは、

こちらのグーグルマップにそれらしき御堂があったので、

このあたりなのかもしれません。(浮島のところ)

 



他にもいろいろ歴史が書かれていますが、
伝説の部分だけひろってみました。

このような観音様の話しはとても多いです。


津波被害が多かった地なので、
どこかのお寺から流れてきた説が主です。

もしくは、戦乱や火災から守るために、
観音像を池に鎮めておいた。など。

伝説の観音
「楊柳観音(ようりょうかんのん)」とは、

柳の枝を手に持って,
人々の病気をなおすことを本誓とするといい,
薬王観音とも呼ばれる。

仏画の画題として愛好され,
右手に柳枝を持つ姿のほか,
柳枝をかたわらの水瓶に差している図もある。
(コトバンクより)

薬王観音とは、薬王菩薩ともいわれ、
良薬を人々に与え、心と身体の病気を治した兄弟の菩薩と。

 



※薬王菩薩の石像、
タイソンクラー県

池に観音像をみつける話は、
多くは、出羽・羽黒派の修験ですね。

村田町の話しは、おしまい。