つづき。

 

 


丸山峠から少し歩くと、
滝?があるようですが。

 

 

車は入れません。

 

 

なんかいい。

 

 

鳥居が。

でも、見つかりませんでした・・・

個人の畑があって、
あんまりうろうろできませんでした。

 



なんだか不思議な空気で、
きれいな森の空間。

 

 



不思議の国のアリスみたいな。

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ところで、

ちょっと気になる資料があり、
『梓神子の由来』より

朝日和歌神子が
文禄3年7月10日、
高清水(宮城県栗原)の「丸田沢」という所に
和歌神子大神宮として現れた祭文があります。

朝日(旭)神子や羽黒講(口寄せも含め)
祭文の多くは、英雄伝承といって
西洋の叙事詩から由来するものがあります。


源義経、藤原秀衡、伊達政宗など、
天皇家や歴史上の英雄、位の高い人、
尊敬する人たちの語り部となり、

琵琶(その他楽器)などで伝える芸能から
ゴゼ(瞽女)という生業が生まれました。


朝日神子は、盲人を救った人と伝わり、
奥州、出羽にその伝承が広がり、

タタラと口寄せとも深い関係がありそうです。

しかし、その「丸田沢」という場所が
高清水で見つからないのです。

丸の田だから、
和邇氏関連が高清水に痕跡がありそうだが。
高清水にも義経伝承は、あります。

たしかに、高清水は葛西氏の奥方(or娘)
が、盲人の巫女になっている朝日神子伝説はあります。

しかし、ここ水の森の「義経の道」とされた
古くの奥州山道に「丸田沢」という名前があるのです。

こっちなのか?


関係しているのかわかりませんが、
義経伝承があるため、和歌神子(高清水)との
関連がありそうな気もする。

山形県の瀬見温泉も義経と弁慶がきてますね。

瀬見が「蝉」との説もあり、

(弁慶愛用の薙刀「せみ王丸」の石突きで掘ったのに由来)

葛西氏や北条氏は、
豊島氏が紀伊国から熊野権現を勧請していたので、

葛西氏も熊野信者ですけど、
その最も敬っていた神が、「王子神社」といわれ、
東京北区の王子にある。

盲人の蝉丸なんですね。
琵琶の名手です。

それも、蝉「丸」なんですよ。

ということで、
語り部たちが伝えている義経であるから、
そのような歴史もあるのです。

リアルなスピリチャルですよね。

 

 

高柳川

 

 

 

 

川のそばを歩くと、すぐ到着。

 

 

 


水の森は、

2003年にキャンプ場としてオープン。

 

 

 


「農業用水確保のため1706年に
関係諸村から人足1万人を集めて造られた。

高柳川に流れ込み、
川からはたくさんの「しじみ貝」が昭和20年までとれた。

冬の期間は、氷を貯蔵しておく「氷室(ひむろ)」があった。
現在確認できるのは2箇所。

 



堤の東側は、地元で秀衡街道といわれた古道がある。


「金売吉次」と共に「義経」が、

平泉を目指した道ともいわれる。

西の丸田沢堤がある地区は、
大阪城落のとき、この地に落ちのびてきた
高梨左兵衛、右兵衛兄弟が開拓を願い出、
兄が丸田沢堤を造ったと言われている。」


また、新しい人が登場。

 

 

三共堤

 

 

 

 

 

 

 

 

キャンプ場の方にいくと、

丸田沢があります。

 

 

丸田沢

 

 

 

 

 

 

 

ここから高柳川へと流れる。

 

 

ちょっと森を歩いてみます。

 

 

 

 

地下道できるかと思ったけど

遠回りになるので、また戻りました・・・。

 

 

 

 

 

■金売吉次とは

簡単にまとめておきます。

私が金売吉次伝説を知ったのは、
「藤太」というあこや姫の夫伝説になった
炭焼き藤太です。

「俵藤太」は、藤原秀郷がモデルと言われています。

 

※秀郷VS平将門

奥州藤原氏の祖が、藤原秀郷です。

俵→田原→相模国淘綾郡田原(秦野市)を名字の地。

繋がるよね~。

幼時に山城国近郊の田原に住んでいた伝説なので、
ルーツは秦氏なんじゃね?

炭焼きの伝説も、必ず、

炭焼きをしている小屋の前には
「金銀の粒が山になっていた」

といった書き方をしており、
東北の金を都へ豪商としていた職業が
「金売吉次」という名前になって広まり、
吉次も同じく、砂金の山をもっている。

【金売吉次の伝説のパターン】

・貧しい若者が一人で炭焼き小屋に住んでいる

・都から娘が観音様のお告げで嫁にやってくる

・砂金をもらって市場へ行くよう頼むが、
水鳥をみつけて砂金を沼になげつける。

・砂金なら山ほどあると言い、後に長者になる。


・・・なんというか
したたかな都会の女と、
気が良すぎる陸奥の男、みたいな。


その、あこやんと結婚した伝説の藤太の墓
と伝わるのが、宮城県金成で、そのまんまの地名。

 

 

 

 

伝:藤太夫婦の墓(中世)


そこは「畑(はた)」地区。

秦さんだから。
お金積んでる・・・?→稲積

 

ここでは、妻が「おこや」になっている。
「あ」じゃない。

伝承では、

藤太夫婦には3人の子供がおり、長男の吉次(橘治)
は父のあとを継いで毎年都まで砂金を売りに歩いた。
後に、金売吉次と呼ばれた。


「橘」?


吉次は都へ行き来するうちに、
鞍馬寺に預けられていた義経に会い、
いつしか目をかけられるようになった。


義経が16歳になった時、
吉次は平泉の藤原氏のところを訪ねるようにすすめ、
その道案内を引き受けた。

藤原秀衡は、吉次のお供によって、
義経が無事に平泉へ着くことができたと
大そう喜び、ごほうびに吉次に立派な家を建てあたえたそうだ。

藤太が京都にいた所は、
首途八幡神社(京都)と伝わります。

「首途=かどで」とよむので、
卒業式などに「かどで」というのは、
ここが由来なんだそうです。

秦氏が、「織り物の西陣織りを伝えたところ」

でもあります。


義経の郎党の堀景光の前身とも伝わります。

ということから・・・・?

なんかいるー。
 



亀に出会った!飛び出すハート

♪ある日、森の中、
かめさんに 出会った~♪

熊じゃなくて、なんで亀なん?

 

 

森へ入る時には、いなかった。

戻ってきたら、亀がいた。指差し

この子は、沼から出てきて待っててくれたのかしらー?

近道して帰れるのか森の中に入ったけど、
遠回りになるから、結局、戻ってきたからねぇ。

後で調べたら、よく田んぼにいる「クサガメ」
という亀さんらしい。

心配になって、遠くからみてたけど、

のっそ~~と、
ゆ~っくり草むらの中に消えていきました。

どんだけ、鶴は亀に会いたいのかねぇ。ニヤリ

・・・秦氏とイソラ

この後、セブンティーンアイスを食べて(ラッキー)

すずんできました。ソフトクリーム

 

 

 

 

かわいい~

 

弁が五角形なの。

 

 

 

 

あやめの季節~。

帰りに湧水がありました。

 



亀だけに水甕で終わる。ニヤニヤ

ミッション終了~。