元旦、初詣の後、すごく久しぶりに行ってきたのが、
大梅寺(だいばいじ)でした。

 

 

縁起のよい梅。

梅でスタート。

やっぱ、ゴボウ、いや、五芒星。

 

 



12月に登っておきたいと思ったけど、
タイミング合わなくて登れなかった。

十数年前に蕃山には登ったことがあり、
とても良い里山です。

 

 

 

寒いけど、日差しは暖かい。

 

 




蕃山について


標高365mの蕃山は、七ツ森~蕃山、
太白山のグリーンベルトを保全する運動などがあり、
自然保護活動の意識が高い里山のひとつです。

 




とてもユニークで楽しい五百羅漢が見事なお寺です!

 

 

雪に覆われてますが・・・

 




蕃山とは、盤二盤三郎(漢字は「盤」)の伝説に因んでついたとされます。

山腹の臨済宗大梅寺は、松島瑞巌寺を退山した雲居国師(うんごこくし)が、
白鹿堂跡に来て終焉の地に定められた寺といわれ、禅宗の古道場なのです。

また、伝説には空海が蕃山を霊場を開こうとして天狗に妨げられ、
高野山へ去ったという話もあります。

 

 

 

 

盤三郎は、狩りの適地を探し山寺から名取川へ到着し、
このあたりを住処としていたと伝わりますが、


異なる宗派の修行場だったのを、
蕃三郎伝説にしていると思います。

 




山寺では、万二郎(磐司・兄)、
万三郎(弟)が修行場にしていたとされ、
天台宗に譲渡した話。

 




名取川沿いに逃れてこの蕃山へ逃れたという話は多く、
各地に蕃三郎の伝説が残されています。


その後、秋田県阿仁地方へいき、
戻ってきたという話はありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

観音堂があった。

 

 

 

雪の帽子と雪のマフラー。指差し

あたたかそうです・・・

 

 

これは、将棋中。

 

 

ここから山道。

これくらいなら、登れそうだけど。

 

山頂に御堂があります。

 

 

 

 

秋の大梅寺。

 

盤三郎のマタギ誕生伝説

 

盤三郎は、マタギであり山賊ではありません。

 

「清和天皇御世、(859年頃)下野国(現:宇都宮)
日光山麓に、万事万三郎という狩人が住んでいました。
天下無双の弓の名手で山野にサル・鹿などを捕って暮らしていました。

その頃、日光権現と上野国(現:群馬)の
赤木明神(赤城山か男体山)とは仲が悪く、

たびたび合戦したが、赤木明神は大ムカデに変身し、

 

そこで権現は万三郎の助力を得ようと思い、
白い鹿になって万三郎の前に現れました。

 


(戦場ヶ原)

万三郎は珍しい鹿だと追って山深く分け入ると、
鹿は、日光権現の御堂の前までゆき、ここで神体に戻って曰く、


「汝、これに導いたのはほかでもない。

汝は弓の名人ゆえ、赤木の大ムカデを射てもらいたい」と頼みました。


万三郎は、かしこみ受けて合戦の時、
強弓をひきしぼって大ムカデの両眼を射たので、
日光権現は、

 

「汝まさに日本一のマタギの頭である。
これより、日本国中の山岳の鳥獣を狩って差し支えなし」と許しました。」


(参照:山達根本之巻)

 

※山寺にある円仁と万三郎。

 

※山寺

 

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それにしても、私はなぜこんなにマタギに
関心をもつようになっているのだろう?ニヤニヤ

遺伝がそうなっているのかな。
犬の方(そっちなの?)犬

 

※盤司岩(wikipedia)


最近、ご縁をもったMさんの
母方のご先祖様が、阿仁地方なのです。


何度も阿仁のマタギ伝説を妄想していただけに、
まさか、阿仁とご縁をもつとは、とても嬉しい。


そのMさんから
『邂逅の森』(かいこうのもり)』熊谷達也著
の本をすすめられて、

 



昨年、読んでいたのですが、
伝統の阿仁マタギを生業とする話しなんです。

すごい話で。
でも、さくさく読めてしまう。


老犬神社(秋田)の話しをしたら、
Mさんはその神社を知らなかったというので、

かたぎなマタギ伝説をお伝えすることになる。

 



老犬神社の伝説の中で、富士の巻き狩りが登場しますが、
富士の狩猟の歴史の発端が、
新羅三郎義光と言われた源義光らしいのです。



そーだった。

八戸えんぶりだった!
 

マタギが関わっている。
いつもここをぐるぐるしてる。


一皇子神社(石巻)へ参拝した時、

なぜか、夢でマタギらしき人(正装していた)と
マタギ犬らしき白いワンコと
卑弥呼みたいな、頭に飾をした女性が登場していた。

ネイティブな顔つきで、
インディアンみたいでした。

なぜか、牧山(石巻)へいくと、
マタギらしき夢をみる。


初めて零羊崎神社(牧山)へ参拝した時も、
あの神社が、老犬神社と天河弁財天を伝える
雑誌を読んでいる夢だった。


なぜ、老犬神社と吉野が関係するのか?
と思ったものです。

 

石巻の伝説では、日光マタギの開祖が石巻北村で、

猿麻呂とよび、母が旭姫(旭山)というので、

そこがきっかけだと思います。

 

調べると、
南北朝時代、御醍醐天皇側の皇族たちを
かくまったのが、吉野のマタギたちだったという。


古来から天皇家と関わりをもっていたマタギなので、
「狩猟免状」が必要。
ほんとに信頼できるかはその免状なる
「巻物」で判断していたらしい。

というのは、免状をもつマタギのみ
「峠を自由に越えることができた」からで、

国内の境を越えることができたマタギは、
貴重な情報源だったからです。

 

また、不安定な農業なので、

農民は貧しかったが、

山民は豊かだった。




マタギたちが山に入る際に身につけていた巻物
「山立根本記」



名取周辺、仙台は、日光派。
これが秋田の仙北へ伝わる。

 

こけしは木地師。

※「おやまのおもしえ学校」より

 

 


そのようなマタギを政治利用していた
御醍醐天皇らしい話ですし、
熊野はそうでしょう。


東北のマタギは、関わりをもっていなかったと思うけど、
西へいくと、隠密なマタギとか登場したりして、
けっこう、マタギの文化は面白い。


もうこのマタギの世界こそ、国宝級なんでは?


だいたい、マタギなどの山民に対し、
仏教に改宗させる話が多いですね。


「山賊が悪事を働くから」とでも言わないと
人は納得しないのだろうか。

まあ、昔はそういうことはあったけど、
山賊とマタギは、全然違う。

これとかも、私は知らなかったです。

 


青森県の黒石市にも同様に、

南北朝時代の

「信濃の豪族・香坂(高坂)高宗の子孫」が、

 

逃れているのですが、「弁慶マタギ」とよばれる集落です。

 

 

これらの歴史の多くは、

歴史の確証が無いといろいろ言われますが、

 

当然、隠れて逃げているわけですから、

後世に残せるはずがないのです。

 

しかし、地元では密かに語られている。

 

甲斐源氏の祖が、マタギと関わっている。

彼らが隠密集団みたいな感じなのですが、

 

「松平家」に関わっているのですね。

松平長七郎伝説も各地にありますから。

 

そんなことで、マタギから始まった新年。

 



マタギの文化は、深すぎて雪に埋れるほどです。


陽がさす雪の森を歩くのも最高!

暖かくなったら蕃山に登りまーす。